神への批判のまとめ 9月18日

 ファティマの聖母の記事を通じて、神を名乗る存在と神という概念への批判を行って来ました。記事を書く中で理解の進んだ部分もあり、今になって書いた方が良いという事柄もさらに出ています。
 こちらの記事は必要な情報を網羅する必要があって、長くなりやすいのですが、今回は既に書いている事柄が多いので、その部分は関連記事を読んで欲しいと考えて多少短く出来るかという所です。

 最後に追加しておきたい批判の概念は、仏教などの様に悟りを開いて解脱しても、他の宗教なら覚醒かも知れませんが、あの世の存在になると結局また欲に狂うという事です。

 仏教など一度解脱してしまえば輪廻の輪から外れるので、もうこの世界の欲に狂うことはないはずですが、実際には神を名乗る存在になっても、人霊としてこの世界の支配を担当すると、支配欲に狂って利益を求めるようになってしまうのです。この様に考えないと辻褄が合わないことに気づかされたところです。

 何を言いたいかですが、人間も人霊も、悟りを開いて輪廻の輪から解脱した存在達でさえも、再び欲に狂うのです。仏教で言う所の権力欲でしょう。私たちは人間としても人霊としても、まだ欲を制御できる存在ではないという事です。
 一部分かりにくいとは思います。この世でお釈迦様に悟りを開いたと言われれば、それで解脱状態であり、権力欲にも溺れることはないでしょう。しかしながらあの世に帰り、この世界の動きを神を名乗る存在として見る様になると、集合知性としてさえも利益と欲に狂うのです。この部分はまだ誰にも制御できていないのです。その結果がハドソン湾極時代の文明の崩壊として現れているのです。

 神を名乗る存在になっても、人霊達にはまだ、権力欲を制御できる状況まで進歩ができていないのです。これが私たちの霊も含んだ姿であり、人間が目先で悟りを開いたと感じる事が出来ても、それは、あの世では通用しない物なのでしょう。この部分はお釈迦様も分からない事は語らないであり、あの世の問題までは触れなかった部分だと推測します。
 人間が批判されなくなると欲に狂う部分はたくさん書いてきました。

1)地震学者が自分の科学を批判されない立場に溺れて、地震予知は現代の科学では出来ないと根拠のないことを言うようになっている。
2)ノーベル賞でさえも、批判されない立場で作り上げている。未知の力が宇宙に存在する事を知りながら2011年のノーベル賞は贈られており、アインシュタイン方程式が崩れていることを無視した結果になった。
3)日本の法務省は、三権分立を自分の手で崩し、国民に司法権としての国民審査を使えなくしながら、教育では三権分立を教えて嘘を支配に利用する。
4)警察も検察も政治家も、犯罪の調書を書き換える手法を学び、犯罪行為を隠蔽出来る様にしている。権力に溺れて何でも出来ると勘違いしている。
5)最高裁も米国の影響を受けて審判を下しており、政治的な公平性など存在せず、ここでも司法権を濫用する権力になっている。
6)官僚達は日米合同委員会を通じて支配される事を望んでおり、ここに約束される利権で動く有様である。その結果で法制度までねじ曲げられて米国軍の奴隷になっているが、政治がこれを動かせないほどにしている。
 この結果が国民の望んだ民主党政権の2010年の内部崩壊であり、ここにあるのは官僚達の反対とこれを使った米軍であり、国民主権を踏みにじった行為である。

 これらは愚かな人間の行為ですが、恐らく神を名乗る存在が直接ここに来てその政治を担当しても、結果に大きな差はないのではないかと思います。一時的に欲を手放せても、変化する時の流れの中で常に自分の状況を見つめて制御をするのは、現実的に出来ていないのでしょう。特に批判をされなくなると、人間と同じように、間違いが分かりにくくなって利益と欲に狂って行くのでしょう。
 仏教側では批判に受け取ると思いますが、修行僧が俗世を離れて修行して解脱したと考えても、現実の行為には対処が出来ないと言う事です。思考の中で満足できる答えが出せるところまで私たちは進歩したかも知れませんが、まだそれを現実世界に対応する部分は彼らの言葉のように、未熟児その物でしょう。現実的にも社会運営としてそれは出来ていないのです。

 批判としては脱線ですが、ここにあげた問題を、人間の欲に溺れる姿として明確にして責任を問い、社会を良い方向に変えられるのが民主主義です。そして今回はそのタイミングに合わせて自然が動きを見せてくれており、政治の大きな問題を表面化する自然災害を連続するところです。
 日本における社会の悪弊は、軍産議会複合体に戦後の支配を行われたところです。上記の多くは彼らの仕事であり、隠然と支配が続くようにしていたのです。これらは911同時多発テロが情報公開されて軍産議会複合体の犯罪であると認識されるところから大きく変われるでしょう。
 同時に中国共産党の失政も財政面で明らかになり、偽善の側の押す政権が崩れる所です。何が悪かったのかをしっかりと情報公開して、悪の手法を繰り返させないように、社会のあり方を変えるチャンスです。

 科学の側にも問題があり、査読が彼らの信念でしかない物を科学的事実に変える部分です。信念体系が科学になるのであり、新興宗教と全く同じ物です。そこまで愚かになるのが査読の作り上げる世界であり、一つ一つ自分たちに都合の良い状況を事実認定して、ノーベル賞まで取るのです。崩れるときは崩れるだけです。客観性のない嘘の塊であることが、科学の進歩と共に明らかになるからです。
 政治は自分に都合の良い結論を御用学者に捏造させて利用してきました。原発の関連にもCO2貯留実験の関連にもこの種の御用学者の嘘が利用されており、査読の問題を利用した犯罪行為である事を、私たちは社会問題として告発すべき時となります。
 未来の科学は、これまでの過去の科学を、中世の教会レベルの客観性の無さであったと批判することになります。

 私たちは、神にすがると特別な力を得て、未来を知る事が出来るようになると言う幻想を抱いています。霊能力において、未来はその人の守護霊の知る範囲を知る事が出来るレベルが普通でしょうし、特別な力など、繰り返し書くように大した物ではなく、この世とあの世の科学の範疇です。歴史的な過去と未来はこれを知る存在など皆無でしょう。大半はガセネタとしてオカルト情報になり流れているだけです。
 神の声をこちらが気功の気を用いて霊能力者に伝える事が出来る話も書いています。こちらにとっては再現性のある話であり、あの世の声を聞く機械を作ると書くからこそ、ここまでの事を書いています。
 これでもまだ足りない部分がある様子なので、もう一歩出来る事を書いておきます。もちろん気の流用ですが、こちらの守護霊さん達にお願いすると、龍でも仏様でもイメージを捏造できる状況があるのです。
 どうして気功の気で自由にイメージが作り上げられるのか、まだこちらの科学も追いついていないのですが、結局聞く機械をラジオと思えば見る機械はテレビです。科学はあっという間に進むので、この開発の流れは間違いないでしょう。

 霊能力者の話を聞くと霊だの龍だの、仏様だの色々信じにくい物が登場します。これらを本物であると考えても結構ですが、残念なことに、エネルギーがあれば捏造できるのです。これは難しかったので何故出来ないかを考えていましたが、最後は他力本願でした。守護霊さんに頼んでみよう、の簡単なチャレンジの結果で答えになりました。
 これにもある程度の再現性があります。見る能力が足りないと、こちらの作る骨組みしか見えず、細かい部分が見えないのです。骨だけの龍なんて誰もありがたがらないでしょう。細かい部分が守護霊さん達の仕事であり、これを見る部分が多少難しい様子です。
 こちらの気の量にはある瞬間当たりの限界量があり、大きな物を出すと薄くなり、小さな物を出すと濃くなります。思う力と口にするのは簡単ですが、どこに制約があるのかまだ科学として分かりません。
 5~10mの龍を出すときは、守護霊さん達の助けがないと不可能です。一人ではこれほどのエネルギーにならないのです。
 仏様を大きくする事はないのですが、イメージすれば出せるのであり、心に描く映像がそのままになると考えて下さい。人間サイズでも細かい部分が心に描ききれず、結局は守護霊さん達の出番です。

 さすがに信じにくいと思いますが、気を見る事が出来れば、これを見て感じて頂けます。この実験を通して分かったことは、結局人間の能力など知れており、力があると自慢していても、結局は外部の助けであろうという事です。力の源泉がどこにあるかを知らずに力を使っている人がほぼ全てでしょう。
 関連して書いておきたいことは三点です。

1)個人で出せる能力に限界があるのは物理的な限界として本来当然でしょう。力があると自惚れている人は、守護霊達などのあの世の力である事を知らないと思われる。不思議な力の持ち主には、この種の理解などない場合が大半である。
2)あなたの望む形になって彼らは出てきます。あなたが騙されるようにしているのです。こちらにイメージの形が自由なように、守護霊達も自由に見せたい物を見せられるのです。龍が好きな人には龍で、仏様なら仏様で登場らしいです。
3)赤い気をあなたの手ひらに当てると、暖かいです。青い気をあなたの手の同じ位置にそのまま出すと、そこからぴりぴりした感覚に変わります。気に慣れると感じる事が出来、何もしなくても感じる人は感じます。気を感じるトレーニングをした上で、赤い気と青い気が出せると信じることが出来れば、あなたにもこれが出せるようになります。体温ではない気の実在を他の人にある程度簡単に証明出来るのです。
 これは体験すると、その人の価値観を変えることさえも起きうるでしょう。信じにくくてもそこに意識で制御できる体温ではない気があるのです。

 神の声も形も実は捏造可能であり、霊能力者にこれを見せる事が出来るのです。神などいなくて人霊がいて守護霊たちなだけですと言いたいのですが、まだエネルギーの流れが科学にならないので前回は書きませんでした。
 今回は悟りを開いても神としてはやはり人間と変わらない欲に溺れる存在だと強調したいのです。その中で彼らの姿さえも、実際には作り上げられていることを明確にしたいのです。イメージは本人の見せたい物であり、光り輝く神の姿など、騙す為の捏造と見ても大きな間違いはない可能性があるのです。

 こちらは彼らと話は出来ませんが、いわゆるパワースポットに行くと、普段よりも白っぽい物がよく見える事があります。夜なら自分の気を見る部分はある程度問題ないですが、霊を見る事はまだないです。
 人がたくさんなくなった場所である、神事の祈りの場所に行ったことがあり、その時は昼間の太陽の下なのに、白っぽい存在達が彼らにひかれて出てきていました。さすがに驚きましたし、いわゆる鍾乳洞や、洞穴には時々白っぽい存在を見る事があります。彼らはこちらには実在ですが、まだ話は出来ないので機械の完成を待つところです。
 恐らく見える人には霊などどこにもいるでしょうし、人外の物もいるのではないかと思います。宇宙人は霊なら自由に行動できるのであり、たくさんの干渉が実際にはこの地で起こされていると感じています。
 神を名乗ったところで、人霊は人間とそれほど変わりはないと言いたいのです。どんな綺麗な飾りで自分を捏造できても、欲の制御は出来ないのであり、この部分は人間とそれほど変わらないでしょう。欲の制御は難しいのであり、自分がこれに狂わないようにすることは、一生追求すべき物でもあるのでしょう。正直な言い方で、欲を捨てるのは無理です。制御さえも出来ないのになくなる訳がないのです。言葉の綾の部分は置いておいて、人間の心理のあり方を知らないだけであり、その欲が他の物に姿を変えるだけです。結局まだまだ人間も人霊も未熟なのでしょう。
 神や宇宙人が人間よりもはるかに進歩した存在であると考えるのは大きな間違いでしょう。あの世の声を聞き、姿を見るところまで進めば、愚かな物に騙されてきたと感じる霊能力者が増えて当然なのです。そして私たちはこの世界の姿を今以上に理解する事になるのです。変な物に騙されて宗教支配を受けることなどなくなるでしょう。

 慈悲と共存が重要であることも書いてきました。あの世の存在、自然の存在、異なる民族間の共存も重要なのです。
 私たちは欲を制御できていないと考えて欲しいのです。仏教として解脱するところに近づけば良いのでしょうが、政治の世界でその様な人など少ないでしょう。皆駆け引きに一生懸命で苦労していたり、騙す事しかしない物もいるのが現状です。
 既に始まっている変化は、この少し先において軍産議会複合体と中国共産党に情報公開の光を当てて、彼らの犯罪行為を明確にするでしょう。この種の犯罪がもう起きなくなるように、民主主義その物が国民主権を持って権力者を監視できるように変わるでしょう。
 そこまで進んでもまだ未来には落とし穴があるのであり、価値観が共通化して正しいことが当然の世界になると、変化が起きたときに正しいことが何かが分からなくなって行くでしょう。その結果の間違いの重なりに欲が絡んで狂ってゆくのだと思います。
 これを防ぐには多様な価値観、異なる価値観を尊重して残す事であり、民族がゆっくりと混ざって争いがなくなることは重要ですが、同時に他者を批判する複数の価値観を残す事もさらに重要でしょう。単一価値の世界では狂いが同じ方向に向かって起きるので、狂いを自覚できにくくなるのでしょう。

 これは詳しく書くと長い話になりますが、過去を考えると一つの星から一つの民族が生まれて今に残るのでしょうが、過去の宇宙では結局争いばかりで破壊を常としてきました。仲良く出来ないのですが、これも単一民族としての欲故でしょう。民族の内部ではその欲は正しいのですが、他者の欲とは異なるので争いが生じて破壊に至るのでしょう。例えば日本人としてだけ正しいのでは、民族が狂わされて戦争に突入していった過去を変えられないのです。
 過去の宇宙人達がこの対策としてこの地での他民族との合同実験をしたのかは不明瞭です。それぞれの民族の遺伝子を残せれば良かったのかも知れません。実際に民族の融合は少ないのです。
 今の私たちは、ここでの民族の価値観の違いを超えて、共存のために仲良くすることが重要です。お互いの欲を争いにつなげることのないように、どの様に平和な未来に向けた永続を図れば良いかを考える必要があるのです。私たちが作り上げる平和で永続する未来には、お互いの欲を争わせないようにする工夫が必要です。宇宙に拡がるときにもこれはその基本になるでしょう。
 私たちには和をもって貴しとなすなど指針があるのですが、これから他者との協力協調は重要になるでしょう。お互いの過去の資産を上手く使って共存できるようになることを願っています。

 神への批判の最後は、神を名乗る人霊など人間と大きく変わらないという過去の批判に続いて、いわゆる解脱をしていても欲の制御が出来ていない話と、他民族との共存のために欲の差の存在を認めることです。神としてもこの差を持つはずだからです。
 地の声を通して、先史文明の存在達は、私たちの未来を未熟児からのスタートであるとしていました。それをこの部分にまさにその様に感じる事が出来ています。これから価値観の違いを超えて私たちは協力し合うのです。
 民族間の欲の差は、そのまま価値観の差として、人間が将来単一価値に狂わないことにも利用できるでしょう。価値観の変化に際して異なる反応が欲の差から得られれば、お互いにその変化の将来のあり方を考える事が出来るでしょう。一方向に狂わされる事が減ると思えます。民主主義における多様な価値観を守る事の利益でしょう。
 こちらは結局様々な苦しみの中で、ここまで書かされたという感覚が強いです。こちらを導く事で自分たちの過去の失敗をおさらいさせて、未来のあるべき姿と、今見えている問題点を明確にさせる作業だった様子です。
 変化は既に始まっており、日本の台風と北海道胆振東部の地震、米国のハリケーン・フローレンスの被害が起きたところです。
 続きに政治的な変化、シリアのテロリストが撤退して軍産議会複合体の望む戦争が遠のく話と、自然災害を経て軍産議会複合体と中国共産党への情報公開が進むかどうかが重要な局面です。良い方向に進めることを願っています。
 自然災害に際しては、くれぐれも命に関わる油断のないように備えと注意をお願い致します。

稲生雅之
イオン・アルゲイン