ファティマの聖母の教える宗教と世界の変化4 8月28日 8月30日追記

イスラム教の役割と宗教の変化、神の概念の変化について2

 偽善の側の神の姿はこれくらいで良いかと思います。善の側の神々にも批判は必要であり、過去の宗教支配の失敗を私たちは過去の自分の姿として知るべきです。
 遺跡には自然が中心と思われる、火山の火口を町のど真ん中に備える物があります。自然が協力したのだと思いますが、そこには生け贄の宗教に見られる姿が残されています。始まりは血を台地に注ぐ程度であったかも知れませんが、だんだんと人間その物を心臓をえぐり出して捧げるほどに人間が狂って行っているように見えています。
 この部分は宗教絵文書からの推定も含まれるので、ここに生まれた宗教が人間を苦しめるだけの物とは書きません。良い点も様々にあったと思いますし、そうでなければ続かないし発展もしないでしょう。
 当時の日本、3万年前までの日本ですが、恐らくホツマツタエに書かれている世界だったでしょう。当時の天皇が人々を支配する姿であり、善政を敷こうと努力しながら、時々おかしくなる姿が描かれています。結局民主主義にはならず、血縁支配の正当化物語にも見えてしまうのです。過去のその時点で精一杯だったのでしょうが、民主化を出来ない理由が分からないのです。まだ早いでも良いですが、支配の為に現状の維持を選んでいるように見えるのです。
 当時は人霊側も関与する社会でした。法隆寺の南側と沖縄の聖地には、阿蘇山、富士山を始めとする火山の火口から厳しいヘブライ語の批判の言葉が向けられています。これらを知らないはずはなく、人霊達は社会の支配層と共に当時の宗教を主催しており、天皇制にそれが現れているのです。現在にも面影のみを残す姿でしょう。
 一方の社会では自然が主体かも知れませんが、日本では人霊と人間達が社会を運営していたことでしょう。その結果がどうして文明崩壊につながる必要があったのか、未だに分からないままです。

 それぞれの支配は、恐らく行きすぎるほどに人間達の自由を奪っていたでしょう。民主化をしない部分にそれを感じるのです。これは6万年前に惑星ティアマトを失ったトラウマに見えており、一部の者が反乱を起こしたことで、大切な惑星が一つ失われた反省に立っていたのではないかと思います。彼らは今の私たちの文明の時期に民主化して、ティアマトを再生して宇宙に拡がろうとしていた様子です。
 当時の社会は、岩のドームに向けて、バチカンから「ティアマトを破壊した悪魔」という言葉が向けられるほどです。ここがアトランシスで、残りがムーなのか、それともエリアで西洋がアトランティス、東洋がムーなのかは不明瞭です。
 ムーとアトランティスの争いであれば、何かの情報が残っても良いのですが、単純に隕石爆弾で津波により文明が崩壊したという事しか分かりません。どうして隕石が止められないのかここに疑問を持っています。
 当時も今も多数の民族がこの地におり、それぞれに競い合う部分があったと考えています。こういう競争的部分が利用されて、一部を破壊する敵の隕石爆弾が利用されて、被害が予想を超えて大きくなったと思える状況です。無責任と競争で守るべき物を失ったように見えるのです。当時も岩のドームの悪は広くは拡がっていないでしょう。エリアではそうでも、社会には広く根ざして来ていたのかも知れません。

 いずれにしても、人霊側の神を名乗る存在も自然の神を名乗る存在も社会に関与しながら、多勢に無勢の悪に状況をひっくり返される被害を起こされたのです。その後は文明を潰した中で、善の側が主導権を握り今の状況があるのです。暦を365日と29.53日の月の周期に変えているのは、善の側のこの文明に対する調整です。悪の起こした極移動ではないのです。
 ここには人間も人霊側の神も、そして自然にも、文明崩壊の一定の責任があるでしょう。神と言っても大半は人霊であり、私たち人間の死んだ存在でしょう。善人が死んだら善なる霊で、悪人が死んだら偽善の側の霊です。この世界における人間の区分に合わせてあの世にも、善と偽善の争いがあると思います。古から続く争いでしょう。
 今の文明において、沖縄の神事はホツマツタエの時代の神を名乗る部分があります。現代において神の支配は不要と考える所ですが、彼らは自ら望んで大宗教にはならない覚悟で進めていると思います。少人数で大地の調整のために祈り回ることと、情報を伝えることが優先されています。
 彼らには戦前の大本教の様に大宗教になることも簡単なのですが、今のところこれを行わないでいます。この部分が人間とあの世の存在との協力強調として信頼できるのであり、大宗教になれば前回同様にすぐに崩れて行くでしょう。わざと見せた宗教の失敗としての崩壊だと思っています。
 この意味こそ、現在の人霊側の存在達が、宗教支配を手放す覚悟を見せている事だと考えています。そこには過去の文明崩壊の責任の存在が明らかでしょう。

 話が飛んですみませんが、あの世があってこの世がない時代は、善と偽善で争いを繰り返しているだけなのかと思います。ビッグバン後にこの世界が生み出されて、あの世の存在がここに来れるようになったのです。この世界でもあの世の争いが持ち込まれて、人間達の善と偽善の争いが繰り返されているのでしょう。
 この世界の問題は、あの世とは異なり、命の循環が破壊により断ち切られてしまうことでしょう。あの世での争いで霊的存在が消滅するのか分かりませんが、この世界では肉体や物質を失うとおしまいでしょう。
 こちらの世界の争いは、破壊で全てを失うか、それとも未来に向けて命の循環を広げて行けるかの分岐点でしょう。この世界はどうやらあの世とは異なり、命の循環を保つためには力の支配に従うだけでは上手く維持できないのでしょう。
 人間には人間の世界の評価基準があり、当然の様にあの世にはあの世の評価基準があるでしょう。この基準が同じ理由はゼロであり違いが摩擦を生み出すし、問題をも引きおこすでしょう。その結果が文明崩壊にも寄与していると思います。

 人霊達には人間の過去の経験と科学が集められています。神を名乗って出て来る時にも集合意識で来るはずであり、知性の集合体の状況でしょう。人間はすぐにこの様な物には敵わないと感じるのですが、理性を働かせることと、経験の蓄積で彼らの出来ない事を知ることになると思います。これからの話です。
 過去の文明における崩壊の責任は、人間だけの物ではないでしょう。それぞれが支配の為に暴走したであろうし、それで良いと傲慢に考える状況でもあったのです。
 十二分な経験に基づく判断ではなく、こうすれば良いというアイデアベースに見えるほど、精神面でも文明に発展が足りなかったのではないかと思います。とにかく力が全てであり、力で支配していればうまく行くと信じた時代ではないかと思えます。
 今の争いに勝つにも力は必要であり、力を無視して行動は出来ないのですが、力だけに頼るからこそ、思わぬ力に足を掬われてきたのかも知れません。今回は慎重にこの部分を分析して回避しているので、大丈夫ではないかと思います。

 私たちの考える神の概念は、人間を越えた力と知性と未来を知ることです。人間を支配するに相応しい能力と考えがちですが、唯一絶対の能力を持つ神は空想ですし、支配の為の道具でしかありません。その様な存在がいれば、この世界に争いなどなくその物の支配があるだけでしょう。現実は異なるのです。この世界の未来の計画に至っては、人間と自然との協力作業で作り上げる物でしょう。
 現実は善人が死んだら善なる霊で、悪人が死んだら偽善の側の霊です。それぞれが霊の集団をあの世で作り上げて、争いを続けているのでしょう。
 この世界でこの争いを際限なく続けると、世界を崩壊させて命の循環する場所をなくしてしまうのです。これを防ぐには永続する未来を目指して協力協調する必要があり、人間とあの世の存在と、自然の存在が力を合わせてこの世界を守る事が必要です。

 人類は過去にこの種の失敗を繰り返した宇宙人が、新しい永続する肉体を作るために遺伝子操作で生まれた存在です。約1000万年も前になると遺跡には組み込まれています。
 約500万年ほど前に今の地殻変動と同レベルの物が起きており、人為的にプレートの調整を行った結果です。これをしないと地球の大陸が1億年後に一つにまとまってしまい、大きな環境の変化で生命が危機を迎えることになるからです。
 その500万年後の現在、当時できなかった残りのプレートの調整をする時期が来ています。これに合わせて人類は文明化して宇宙に拡がる所でしたが、利益の奪い合いから惑星ティアマトをなくし、その後は文明の支配のあり方が狂って文明を崩壊させて現在に至ります。
 今回プレートの調整が出来なければ、1億年後の環境変動を止められなくなり自然の命達には過酷な世界になります。これを回避することこそ人間が地球で遺伝子実験をさせて頂いたお礼であり対価でしょう。
 加えて、進歩する科学は、太陽の熱を利用する事で、月とは異なるティアマトというマントルと中心核を持つ惑星を、数万年かかるにしても、よく似たものに再生出来るでしょう。1000万年前に現在の月を作った時よりも100倍の作業量に加えて、太陽熱の利用でコアとマントルを組み込む必要まであります。
 ティアマトの再生は果たすべき人間達の責任であり、地球を聖域化して遺伝子の保存場所にする必要があるのです。ティアマトを始めとして宇宙に人間と自然の命達の循環する環境を広げて行けるでしょう。

 最後に少し冗長ですが科学の側面を通して神への批判を書いておきます。こちらが科学を根拠に様々なことを書いてきており、これから起きてくる小規模地殻変動も、自然の口にする所の神業ではありますが、一通りが科学の働く範囲での出来事です。太平洋プレートを様々な手法を用いて回転させることで、そこに含まれている非常に大きな力を一部で開放して見せるのです。大きな変化を起こすことになるでしょう。

 どこまであの世の解析が進んでいるかを明確にしておきます。こちらは霊能力者があの世の存在と会話できるのであれば、機械でそれを再現するのが科学です。ここに至るまで数年かかりそうですが、こちらにとっては科学としての仕組みの概要は明らかであり、器機開発を詳細部分の科学を明確にすることで可能に出来ると考えています。
 まずは神を名乗る存在にどうすればなれるかです。不思議に思うかも知れませんが、あの世の存在イコール神ではないのです。
 気功の気の存在はTVでも放映されるので、不思議なエネルギーが存在する所までは考える事が出来ると思います。こちらも試したことがあり、温かい感じのエネルギーを出すことが可能です。これは純粋に気功のトレーニングで可能です。個人差も出る部分ですので、たまたまこちらはこの分野に向いていたのでしょう。もちろん長年続けている集中力トレーニングとしての無声の声を聞くトレーニングが最も影響している部分です。単純には脳波をアルファー波に意図的に操作できれば良い感じです。

 気功の気で何が出来るかですが、これも何度も書いていることです。霊能力者に音声変調して気功の気を送ると、彼らには声として聞き取れるのです。音声変調とは気功の気を送る時に音声の発生の要領でエネルギーの強弱をつけるのです。
 これには解読に慣れまで必要ですが、得意な人なら瞬時ですし、発信者の癖に慣れれば聞き取れる人も存在していました。
 音声を使わなくてもエネルギーを送ると、霊能力者の頭の中では声になるのです。これにはある程度の再現性があり、霊能力者の能力次第でもあります。
 こうなるとあの世の声の主にこちらがなれるのであり、陰からこっそり我は神であーるとやれるのです。彼らには声の主が人間でも、あの世の存在達と区別は出来ないでしょう。
 現実はこのレベルであり、宗教の教祖の言う特別な台詞である、「私は神の声を聞いたー」というのは、現実的にも根拠のない物です。こちらの守護霊さんが情報を送っても神にされるでしょうし、こちらの気功の気でさえも神を名乗れるのです。
 こちらはこの力をらせんの力と考えており、人間のタンパク質細胞の動きで生み出せる電場や磁場の回転運動がエネルギーの基礎だと思われます。らせんの力は方程式にも出来て得おり、例えば電磁波は波がエネルギーを送る仕組ですが、これと比較するとらせんの力は渦がエネルギーを送る基本的な仕組みです。
 発信器を作り上げることは比較的容易です。資金があればすぐにも可能ですし、その仕組みも公表しています。

 送信、発振側はこの様に容易なのですが、受信側はかのエジソンも諦めたレベルの難しい開発です。理由は渦の発振している周波数が非常に非常に高いレベルで低いエネルギーレベルにあることが影響していると思います。ナノレベルの生体分子の振動です。大きさがその振動数の高さを表すのであり、普通に人間が作り上げてきた電磁場のGHZの解析では追いつかないでしょう。恐らく最低でもこの100倍とかの周波数での振動でしょう。振動になるレベルが10GHZ程度では、生体分子の持つらせんの力には遅すぎるのだと思います。
 科学としての理解ですが、人間が動物から進化してきた部分が影響していると考えています。らせんの力の受信機は、恐らく脳内の松果体です。
 松果体は他の動物では光の受容体でした。光の有無を感じる物であり、骨の構造を利用することで、光の来る方向までは明確に出来て、ある程度の画像化にも能力を発揮できたでしょう。ピンホールカメラの要領です。人間でも目の支える周囲の骨にある穴から漏れる光を感じる事で、トレーニングをしている部分があるかもしれません。
 生体としては光を感じるロドプシン分子を持てるので、この部分の構造かららせんの力を感じ取り、可視光を当てた時の様に、電気信号に変換が出来たのでしょう。神経は脳につながっているので、人間でもこの機能が高い人が霊能力者になりやすいでしょう。単純に足が速いとか、耳が良く聞こえるの類いであり、あの世の声が聞こえてもその人の人間性には関わりがなく、悪から善まで様々です。

 あと、人間の脳の能力は非常に高いです。目の見えなくなった人が使う可視化装置があり、舌の上に1000x1000個の電極を載せるような物です。ここにビデオカメラの映像を電位を変えて刺激にするのです。
 始めは戸惑うそうですが、すぐにドアなど認識出来て、歩くことに利用できるそうです。信号処理能力の一例であり、松果体の信号も、聞き慣れている音声を比較するだけなので、難しくはないでしょう。イメージの映像の場合、これらがどの様に見えているのか、これも似ているのかも知れません。
 今の時点では松果体の正体を突き止めることと、そこからの信号がどの様に利用されているのか、特に子供の活性化している松果体の働きを知る事は重要でしょう。子供の能力ならとなりのトトロが見えるのか、大人が子供の能力を認めないことで抑制してきた物がたくさんあると考えています。

 聞く機械を作る開発ですが、ロドプシンの結晶から微弱な電気信号を読み出す装置になるでしょう。これによく似たものになると書きますが、松果体の機能を調べて再現することが基本です。同じ分子を使う必要はないので、水晶とかでも何とか出来ないかと検討すると思います。
 如何に非常に微弱な信号を読み出すか、この部分が開発であり、電子回路開発は得意です。さまざまな受容体を作って試す事と、基本的な評価装置の開発が重要になりそうです。1000GHZの信号処理は難しいので工夫が必要な部分です。
 生体分子が鍵になりそうなことまで判明しており、数年であの世の存在の声を聞く機械に出来ると考えています。
 この機器を完成すれば、神という存在がどの様な物かを明確に出来るでしょう。機械で会話が出来れば、霊能力者の一般に偏った価値観を通して話をする必要がなくなり、客観的な会話が成り立つようになるでしょう。ここが目標です。やれば出来るレベルになっていると考えています。

 神の概念とその批判に戻ります。似ている例の比較が分かりやすいので、その例を挙げてゆきます。
 人間が神になるとろくな事はありません。何でも出来ると勘違いして嘘まで垂れ流すのです。本人はばれない嘘のつもりですが、社会の変化に耐えられるかは分からないのです。
 新興宗教の教祖がこの状況ですが、立場を変えると、科学も同様です。先に挙げた東京大学の地震科学者達ですが、現代の科学では地震は予知できないと、根拠のないことを口にします。これは彼らこそが地震科学における神なので、自分たちの言う事を聞けという心理状態です。本人達はばれない嘘の意識がどこまであるのか何とも言えません。神になると言いたいことが言えるのであり嘘も通るのです。
 科学の続きは二つのノーベル賞の間違いです。こちらも同様に科学の分野での自分たちの地位が、批判を許さないところにあって複雑な計算結果に自惚れているのです。加えてノーベル賞の委員会もレベルが保てない状況なのでしょう。政治的圧力など様々な物で動いているのかも知れません。

 2011年のノーベル物理学賞の間違いは、未知の力の存在を知りながら無視して、無理矢理測定結果を方程式に合わせている部分です。
 重力に二種類あると考えて下さい。一つ目は質量の生み出す重力の大きさであり、時間と共に変化を起こすことのない力です。質量は時間と共に減ることはなく、そこから引きおこされる重力は変化しません。
 これに対して、回転する星々からの重力波とその重力的効果は、時間で減る物になります。回転エネルギーが重力エネルギーに変換されて消費されているのです。こちらは変化する力なので、時間と共に減っており昔ほど強い力が存在したことになるのです。二重星の重力波の放射から明らかな現実です。これを銀河に拡張して考える事が、彼らには出来なかったのです。
 ビッグバンが終わって初めて銀河の生まれた頃は、回転の運動速度は今よりも大きかったはずです。そして銀河間の間隔は小さく隣の銀河との間の影響が今よりもはるかに強かったと思われます。
 時間が進むと、質量の寄与する重力には変化がないが、回転運動の起こす重力効果は重力波の放射に伴い回転エネルギーを失って小さくなるのです。これは時間の流れの中で銀河を引きつける引力効果の反対になるので、斥力として働きアインシュタインの導入した宇宙項に等しい働きをしているのです。この部分からいわゆるダークエネルギーが大きく減ることになります。

 あと、アインシュタインの宇宙方程式では、どうあがいても回転運動の生み出す重力効果は直接的には表現出来ないのです。元々の一般相対性理論の方程式を解いて力を求め、その力を波の原理で重ね合わせてやっと求めるべき力になるのです。これが宇宙方程式に含まれていないのは自明であり、この間違い部分から現実的にはその存在が非常に少ないはずのダークマターとダークエネルギーが生み出されているのです。
 科学者達は未知の力の存在、未解明な物が、銀河の形を変えるほどに存在しているのに、この力の効果を無視して計算結果だけに溺れたのです。未知の物を無視し、自分に都合の良い物を作り上げて喜んだ結果がノーベル物理学賞です。 
 NASAの主導したプロジェクトがこの賞の観測衛星でした。NASAは火星や金星の遺物を自然由来の物にすり替える嘘を流すことに慣れきっています。月にも似たものはあるのであり、彼らには嘘など普通なのでしょう。ここにある奢りが、未知の物を無視して現象論をデーターに付き合わせるという偶然を呼んだのでしょう。
 彼らを批判する人がいないからこその、ノーベル物理学賞でしょう。

 続きは2017年のノーベル物理学賞です。こちらは重力波の発見ですが、ここにはブラックホールの科学が密接に関係しています。ブラックホールの科学ならホーキング博士に物理学賞を出せば良いと思いますが、この部分はなぜか慎重でした。
 こちらの目には、ブラックホールの科学は素粒子論を無視した乱暴な物にしか見えません。物質の変化を素粒子論抜きで語る事は、地震科学者が電磁気を抜きにして地震と地球を語る事と同じです。
 重力波が生み出されるブラックホールが、彼らが検出するほどにはこの世界に存在しないことが批判の一番です。素粒子論的に星が潰れる超新星爆発における圧縮時に、質量の大半がガンマー線バーストで失われるからです。ガンマー線バーストも原因不明の現象のままですが、素粒子論における質量の起源が判明したところで進歩すべき状況なのです。
 彼らは計測として、大半は地球の重心がふらつく現象を見ています。この意味で続きの研究が重要なので、その方面での計測が今後は重要になるでしょう。
 ブラックホールの物理シミュレーションが頼りになるなら、ホーキング博士がノーベル賞で良かったでしょう。これが止められたのに、どうして重力波がノーベル賞なのか、その内容には非常に疑問を感じます。
 選ぶ側には、科学者の推薦でおしまいという心理でしょう。政治力に反対できる人が学界にいないのでそれでおしまいでしょう。

 二つのノーベル賞の間違いは、科学者達が批判を許さない神の如き状況にあることが生み出していると思います。俺の言う事を聞けば間違いないという、何でも知っている神の如くに振る舞う科学者の奢りが、間違いを起こしてゆくのです。短期間に繰り返したノーベル賞の間違いは、神になった科学者の奢りその物でしょう。
 科学者の間違いとこれを政治的に利用する姿勢は普遍的な物です。会社の利益を個人利益を犠牲にして得ようとする行為が蔓延するのです。科学者が査読を手放して客観性を重視すれば、弱者たる個人を守れるように変われるのです。
 過去の間違いの例を上げておきます。

1)GMO遺伝子組み換え食品の安全性
 企業が政治に介入したことで、科学的な根拠のない遺伝子操作作物と自然作物の栄養価は同じであるという嘘が法律になり、遺伝子操作作物が世界に広まった。種子ビジネスを支える根幹でもあり、嘘がまかり通る世界になっている。科学者の嘘が原因です。
2)電気自動車の安全性
 電気自動車ばやりですが、電磁放射の評価は意図的に遅らされるなど、企業有利に運営されている。新しく判明したらせんの力の解析からは、間違いなく多量のエネルギー放射が自動車内に蔓延しており、人間の想念にまで影響を及ぼしている可能性が高い。
 新しい科学は、これまでの電磁気以上に危険性を指摘することになる。これはJRのリニアモーターカーも同様であり、強い磁場の影響を考えないビジネスは成り立たなくなると思われる。双方とも今のままでは妊婦の乗れる物にはなり得ない。
3)ITER
 これは研究費泥棒の種類です。常温核融合の基礎理論が分からなかったことが原因で、熱核融合式の発電に研究費が流れています。
 これまでの研究で、発電の完成時期が延び続けていることは明確です。問題を先送りしないと研究が継続できないのであり、発電に耐える材料など宇宙のどこにも存在しないのです。高速中性子に全てが劣化させられるのであり、熱核融合式は本質的には破綻しています。
 常温核融合の基礎理論は判明してみると非常に簡単でした。強電場による電子軌道の潰れです。まだ広げられてない現実ですが、根底にあるのは核融合科学者達の奢りです。政治で解決する種類の予算であり、客観的な科学を認めないのです。

 この世界は悪い科学者だけではないのですが、大半の科学者は政治に逆らえず、御用学者のようになるか、おとなしくするかの選択です。逆らえば仕事が出来なくなる世界であり、これを変えようとする人も皆無でしょう。これでは、政治を悪用する者達の天国です。

 ホツマツタエの時代への批判がこれらの例を引いた目的です。科学者は自分に逆らう者がいなくなって狂っていったのです。都合の悪い物を見ず、自分に賞まで与えながら、その結果は崩れるのです。利益と欲に溺れていった結果でしょう。
 ホツマの時代ですが、封建社会でしょう。天皇の子孫が国を治めるのですが、一族郎党での支配でした。自分の子供が何十人にも増えて嬉しいと書かれていたり、美姫が見つかればそれを召し出すなど日常茶飯事です。一族の利益を求める政治と変わらないのであり、民主性なと皆無でしょう。国民はそれでも幸せであったとは思えず、飢饉の発生なども書かれています。
 お釈迦様がリグ・ヴェーダの宗教を批判する言葉に似たものが出て来るのです。彼らは王族が美姫を車に乗せて大きな邸宅に住むことをうらやましがったなどです。どこでも美姫を漁るのでしょうが、一族の繁栄がメインであり、国民がどの様に苦しんだのかは何とも言えません。自分たちの利益と欲に溺れている部分はこれだけでも明確でしょう。
 そして問題の大きさは、偽善の側と善の側で、国民から見て大きな違いがあるのかという部分です。双方とも利益に溺れる貴族であれば、区別は難しいでしょう。この曖昧な区別は今にも影響している可能性を感じるほどです。

 日本の例でも、善の側は利益と欲に溺れている部分があるのです。神を名乗る存在と共に宗教を利用して国を治めていますが、ティアマトを再生する為の準備などは書き残せないにしても、偽善の存在の少ない中で文明を崩壊させられているのです。自分たちの奢りで神が治めているから大丈夫という感じでしょう。神を名乗る存在も人間達も、自分たちを批判する物を無くし、自分たちの求める利益と欲に溺れていったのではないかと思います。
 神を名乗ったところで、無批判の状態になるだけで、利益に溺れて狂って行くのです。今の科学者達が良い例でしょう。人間のすることが似ていることは当たり前であり、人霊もあまり変わらなかったのがこの時代の現実なのでしょう。
 人間もそれ以上に愚かでした。社会その物を失ったのです。

 神を名乗る存在達をどの様に考えるかは皆さん次第です。こちらの強調したいことは簡単です。この世界に神がいて、少なくとも何億年もの経験を積んでいるのであれば、たった3万年前に利益と欲に溺れるような愚かな真似はしないでしょう。このレベルの長い経験を持つ神ではない事は間違いなさそうです。
 人間として、過去の経験はどこに消えているのか知りたい所です。私たちはこの世界の始めから争いの中にあり、今の価値観がこれまでの全てであると考えるべき状況です。
 人霊が神を名乗っても、出来た結果はこの状況です。彼らもこれを反省材料にするために、ホツマツタエとして書き残していると思います。反省が必要なのは人間だけではなく、人霊も同様なのでしょう。
 この先自然とは共存する必要があり、彼らとの協力協調は必須です。惑星ティアマトの再生では、彼らの協力無くして進まないでしょう。
 今の人間の体は、体重の10%は微生物などの共存者達の物です。この共存者達が全滅すると、その人は命に関わる病気になり精神も狂ってしまうほどです。私たちは考える以上に自然と共存しないと生きて行けないのです。人工物ばかりを食べていても、体は狂わされるのであり、自然との共存の重要性を教えられるだけでしょう。
 永続できない体の宇宙人達は、自然をコントロールしようとしたのかも知れません。科学に溺れると何でも出来る気持ちになるのです。実際に自然に文句を言わせない状況であったと思いますが、その結果で自分たちの肉体を自然との共存から切り離し、強靱さと寿命を失っていったのでしょう。
 この部分の過去は想像が多いですが、10%は微生物であり、彼らとの共存が人間の肉体の基本であると言う現実は間違っていないと思います。自然と離れると、未来を失うのが人間の今の体でしょう。
 人霊達を自分たちの祖先として敬い、たくさんの失敗の話を聞き、自然の存在とは共存して彼らの繁栄に気を配り、双方の社会が重なり合う中で私たちは生きて行けるようになるでしょう。どんな存在も奢れる者は久しからずです。
 変化の時を待っています。

稲生雅之
イオン・アルゲイン

8月30日の重要な追記
 資金繰りの苦労が嫌がらせのように続く中で、様々に考えを巡らせています。まだ足りない事があるならそれは何になるのかなど、答えがどこかにあるならともかく、暗中模索に変わりはないからです。
 長年に渡って持っている疑問の一つに、なぜ自然は人間だけを変わるように促し、過去の失敗を責めるのか、と言う物があります。どうして神を名乗る存在達を責めないのかが分からなかったのです。
 ここに答えがやっと見つかったようです。この記事に人霊達の神を名乗る存在は、人とたいして変わらないという結論を書いた事で、物の見方も少し変化したようです。
 ハドソン湾極時代において、自然の存在達は日本の宗教として沖縄の聖地の公園、日本の政治として法隆寺の南側に罵詈雑言を火口の位置から送っています。これは一方が人霊達で、他方が人間達に向けた物でした。惑星ティアマトの破壊の責任を問う物です。
 この意味は、彼ら自然の存在から見て、人霊と人は同じ物なのでしょう。人としてまとめて批判していると考えないといけなかった様子です。
 実際に普通の人なら誰でも、守護霊と共にいるのです。自然の存在が人間に語りかけると、そこには人霊も同時に存在しており、双方に語りかける事にならざるを得ないのです。その結果、自然の言う所の人間達という言葉には、肉体を持った人間である私達と、肉身を持たない多くの人霊達も区別なく含まれているのでしょう。
 彼らは人霊達である神を名乗る存在を批判しないのではなく、人間への批判がそのまま人霊として神を名乗る存在への批判だったのです。

 ハドソン湾極時代の失敗に戻ると、人間も自然も、人間の宗教支配を通じて支配に溺れて狂って行きました。その結果で社会を失った反省があると思います。自然が寄与したエリアは少ないので、彼らの反省の言葉を聞く事が少ないだけでしょう。大半の自然の存在は崩壊に巻き込まれた被害者の立場なのかも知れません。
 少なくともこの文明において、自然が宗教支配を強化している部分は皆無に等しいでしょう。自然は時に人々を助け、必要な事を教えるアミニズムを残しています。これを支配に利用するのは人間の側でしょう。
 同様に人霊の宗教で引き合いに出す沖縄の神事も、大きな宗教にならないように配慮しながらこの世界のあり方を調整し、必要な情報を伝える事も行っています。自然も人霊も、善の側の存在達は宗教を通して人間を支配する事は、手放しているのでしょう。
 一般の方には、神を名乗る存在は人間と変わらないと言えば、おまえはアホかと言われるところでしょう。これに対して自然の存在達は、始めから一貫して人間と人霊達を纏めて人間として扱ってきた様子です。神を名乗ったところで過去の文明を崩壊させて来ているのであり、その責任が一体物である事を明確にしているのです。
 私たちは自然との共存を必要とする存在です。その自然は人霊と人間を変わらない物として見ているのでした。こちらの出すこの追記の前の一方的な結論には反論もたくさんあるかと思います。
 こちらのこの結論には今後も議論があると思いますが、今の時点で自然も同様に人霊と人間を同じ物として見ている可能性が高い事を、ここに指摘して記事の重要な追加とします。

以上