先史文明が伝える古からの地球の歴史と未来8 9月30日

 1366万年前に始まったと思われる人類の歴史について以下の項目を説明します。その内容を元にして私たちの文明に重要な動きの始まった8万年前以降の状況について、まとめの記事をお送りします。項目の順番に作業を進めます。
 ここにまとめる記事は、遺跡や遺物に残る直接的で誰にも検証可能な証拠に基づいており、あの世の声を聞いたという証拠の提示できないオカルトの類いとは異なります。科学技術の進歩の結果で得られるデーター類も利用し、客観的な評価に耐える事実とそこから推定できる人類の過去の歴史の流れをお送りします。

1)1366万年前の人類の始まりから8万年前までの遺伝子実験期間
1-1)月と人類の誕生と恐竜との共存 証明されていなかった恐竜絶滅と人類の始まり
1-2)プレート運動の歴史      ホットスポットの教えるプレートの動き
1-3)520万年前と現在の地殻変動、地震予知技術 約520万年前から現代へ解決策を託している
2)暦の遺跡の情報          2度の極移動と暦の変化の記録
3)歴史書と宗教書の情報       極移動に対応した宗教の変遷の記録
4)客観性のない科学の遅れ      権力の支配に利用されている愚かな姿
5)月、金星、火星、ティアマトの状況 忘れられた宇宙技術の遺跡
6)善と偽善の地球の遺跡の情報    世界に散らばる先史文明の遺跡の存在
まとめの本記事
8万年前以降の歴史の流れと未来    宇宙に文明を拡げる上でのティアマトの再生と、他者と共存する未来の姿

この記事の項目
4)客観性のない科学の遅れ 1/2

4-1)地球の過去の姿と地殻変動の関連科学、中央海嶺の様々な姿
a)インド亜大陸の動きと洪水玄武岩台地の形成
 約1億3千万年くらい前から、当時の超大陸が分裂を始めており、インドも南極大陸の隣の位置から北上を始めて、今の位置まで動いています。
 教科書を見るとインド亜大陸が沈み込みに引きずられる絵をよく目にするのですが、この距離を引きずる沈み込みの存在には根拠が薄く、長大な距離を始めから沈み込みの引っ張りで説明する事には無理があります。
 普通は始まりに中央海嶺により押される姿があり、その後のプレート間の衝突により沈み込みが作り出され、そこにプレートが押し込まれて沈み込みを形成する物です。
 インド亜大陸の場合、沈み込みは反対側に延びていた証拠も残されています。ヒマラヤの東寄りの位置には溶岩台地が残されており、ここに活発な火山が存在していたことを明確にしています。
 インド亜大陸が洋上を北に進むときには、北側の海洋プレートはインド亜大陸の下に潜り込みます。そのとき日本の火山と同じように、火山フロントが形成されます。この名残が東側の溶岩台地であり良く見るとヒマラヤ山脈の少し離れた南側にも、黒っぽいエリアの存在が確認できると思います。
 インド亜大陸はアジアにぶつかった時点で、沈み込みに海水を供給できなくなるので、関連する火山活動は大きく抑制されたでしょう。衝突による上昇が生じる部分に残る物があったと思われますが、今はその影もないでしょう。デカン高原の洪水玄武岩にも重なるので、少し判りにくい部分かも知れません。インド亜大陸はその北側に存在した海洋プレートを下に引き込んで、マントルに返す動きをしていたのです。

 その後教科書によれば現在レユニオン島にあるホットスポットの生み出す上昇流により、約6500万年前の前後にデカン高原に洪水玄武岩台地の形成を起こしています。
 この状況が実際にどの様な物であったかを、中央海嶺の動きを当時へ時間を巻き戻して調べてみました。イラストを参照下さい。
 セイシェル諸島からサヤデマルハ海台、マスカリン海台が、インドの南西側に存在した一部であることが想像できる状況です。しかしながらどうして分離したのか、その理由がこれだけでは明確になりません。
 色々条件を考えたのですが、この時期にインド亜大陸の北端である北西側はアジア大陸に衝突を始めているはずです。この時にイラストに描いた裂け目が生じたとすると、今に残されている数々の証拠に矛盾しないことに気づきました。
 裂け目の証拠は、もちろん、今はインド亜大陸から外れた場所にある事ですが、中央海嶺を間に挟むことです。この中央海嶺は、誕生時には普通の中央海嶺とは異なる働きをしていたと思われます。
 中央海嶺は太平洋プレートの成長段階で見ると、ガラパゴス諸島などプレートに裂け目が生まれると成長してくる物になります。この時は太平洋プレートの回転運動が裂け目を生み出しています。拡がる裂け目には大量の海水の浸入が可能なので、地殻の裂け目からマントルにまで浸透し、温度を下げてマグマに融解し、上昇流を作りあげて中央海嶺になるのでした。

 インド亜大陸でも同様でした。インドの場合はアジア大陸の衝突で左上に動きにくい点が生じたので、中央海嶺が押してもそれまでのような北上運動が出来ず、反時計回りに回転する力を生み出していました。この力はインドの南西側に生まれた裂け目を拡げる働きをするので、裂け目に沿って海水が浸入して中央海嶺に成長したでしょう。分厚い大陸部分では広がりを土砂が埋めるので中央海嶺は内陸部には侵入できなかった様子です。
 ここでは通常の中央海嶺とは異なり、三角形の底辺が拡げられる動きをしています。この三角形が持つ海水の注入量を拡がりによって変える働きにより、平行な成長の中央海嶺よりも大きくするのです。アイスランドやガラパゴス諸島の例と同じであり、洪水玄武岩台地を形成することになる程マグマが供給されるのでした。
 中央海嶺の誕生の証拠は他にもあり、イラストに描いた構造線の存在です。活発で力強い中央海嶺なので、インド亜大陸を刻むほどの構造線を発生させているのです。構造線を残せるのはこの角度に中央構造線が正対したときであり、イラストに見る様に亜大陸のすぐ隣であったでしょう。
 この後は生み出された中央海嶺の拡大と、南方沖に元からある中央海嶺により北上する力が加わって、デカン高原からレユニオン島につながるホットスポット状の島列に、インド亜大陸の破片は拡がったのでした。地球のコアに成因のあるホットスポットはここには存在していないでしょう。教科書にはホットスポットの始まりには大きなエネルギーを持つマグマ流体の塊が描かれるのですが、ロシアに始まりの残るハワイでも、カリフォルニアに上陸したイエローストーンでも、始まったばかりのホットスポットであるピナケイトでも、この種の洪水玄武岩台地の形成は起きていません。
 ここでは中央海嶺の非対称の広がりが海水の大量の流入を招いていました。広がりの大きいところほど大量のマントルを必要とするのです。その場所の上昇流が早くなるのは必然です。その部分にマントルの上昇流を集中させる働きになるので、これが強い上昇流になり洪水玄武岩を生み出すのでしょう。

 その後約5千万年前に今度は太平洋プレートの方向転換という大きなイベントが起きてきます。既に説明しているところですが、このイベントはケルゲレンの洪水玄武岩台地を形成する原因になっていたと思われます。こちらもイラストを参照下さい。
 中央海嶺の状況を時を巻き戻してみてみると、当時はイラストの赤い線の付近になると思います。この時に加わった力の方向から考えると、インド亜大陸を押していた部分は方向転換が必要な状況であり時計回りに中央海嶺の成長面が動いています。これに対してその東側にあった中央海嶺はそれまでの速度で成長できなくなるという障害になっただけで、方向転換は起きていないのです。実際にはこの後ゆっくりと方向転換をする事になりますが、それはこの時点では必要のなかった動きなのでしょう。
 中央海嶺は、活発な物は通常海底下約3km前後の高さにあります。さらに活動的な物は3kmよりも浅くなる物もありました。この時マントルは上昇流により海底を変形させて持ち上げているのです。海溝は海面下6km下にあるので3km分の上昇力です。

 この上昇の力は、中央海嶺の成長する速度におおよそ比例しているでしょう。上昇するマントルからマグマが供給されて、プレートが生み出される速度に比例しないと物質の体積が釣り合わないのです。
 ここで5千万年前の突然の方向転換による力が加わります。マントルは過去の速度で上昇してくるのですが、プレートは延びることが一時的に出来なくなるのです。その結果マントルは急には止まれないので、中央海嶺から吹き出してくることになります。
 その時点でのプレートの成長速度に見合った高さに中央海嶺が沈み込むまで、マグマを大量に吹き出すことになるでしょう。例えば高さ3kmの海底が高さ4kmの海底に沈み込む分量のマントルが吹き出してくると考えると、ケルゲレンの洪水玄武岩台地を構成することが可能でしょう。この場所も中央海嶺のメカニズムの範囲で作成される洪水玄武岩台地であると思います。そしてプレートにかかる力による方向転換は、熱対流説では説明できないでしょう。
 この後はジャワに海溝が生まれて沈み込みとなり、ここに向けて中央海嶺の力の向きが補正されて行き、ゆっくりとした角度の調整が起きたのでしょう。オーストラリア側ほど海嶺の成長速度が速くなっています。

b)対応するニュージーランドの動き
 続きは教科書ではほとんど触れられることのない、南極大陸の分裂とニュージーランドの合体の動きです。これらはインド亜大陸が中央海嶺により北に押されていたときに、その反対側に反作用として送り出したプレートとその力の作用です。ルイビユの火山列がこの状況を教える鍵でした。
 インド亜大陸が動き始めた約1億3千万年前から、約5千万年前に方向転換が起きるまでは、インド亜大陸を動かしていた中央海嶺は、その反対側では南極大陸の端を押していました。その先にあるのはニュージーランドになるのです。
 当時の南極はインドのある側において、南極点よりも北側に存在していました。この位置はインド亜大陸が動くと同時に、その中央海嶺により南側に押し出されています。その結果でニュージーランド側の南極大陸と、当時既に裂け目の生まれていたニュージーランドの南島の載せられている南極大陸の破片が北上して、極域から月の影響を受けて中央海嶺の成長できる領域へと南アメリカ大陸寄りの中央海嶺から活性化していきました。
 その結果ニュージーランドの南島の載った南極大陸の破片は、活性化の大きさに比例する形で反時計回りに動かされて、ニュージーランド北島のある位置で衝突する事になっています。この時期はおおよそ2300万年ほど前になるそうです。この時に南島の火山が活性化をしています。北島に衝突してから位置を南にずらして、今の位置にあるそうです。
 存在を証明出来る中央海嶺からの予想ですが、イラストに載せたように、ニュージーランド南島の載る南極大陸の破片には、その北側に沈み込み帯が存在したはずです。この沈み込み帯はルイビユ火山島列を生み出し続けた中央海嶺の生み出したプレートを、南極大陸側で受け止める手段になっていたはずです。ここに沈み込みがないと南極大陸はさらに南極点側に押されることになるのです。
 当時インド亜大陸を動かした中央海嶺ほどの動きはなかったかも知れませんが、ルイビユ火山島列を長々と残している中央海嶺です。その動きは決して低レベルの物ではなかったのであり南極大陸を動かせたでしょう。この意味でインド亜大陸を動かしていた中央海嶺と、ルイビユ火山島列を生み出した中央海嶺の衝突であり、多少エネルギーの少なかったルイビユ側が、沈み込みになったという状況だと考えます。

 イラストに見る様に、ルイビユの火山列を生み出した二つの中央海嶺は、恐らく誕生時には少しずれる程度で一直線だったでしょう。つなぎ目がルイビユの火山の生まれる場所です。そして一方は少し離れた南アメリカ大陸に沈み込み帯を持ち、他方は南極大陸にそれを持っていました。この距離の差が成長に対する抵抗の差になり、ルイビユ火山島列を生み出していたのです。現在までに成長の差が、イラストに示した中央海嶺の位置の差になって現れるほどに、大きな差を持っていたのでしょう。
 この様な中央海嶺の成長線と同軸上に、ホットスポットの動きが重なる事は奇跡に近いでしょう。単純なことなのですが、火山列を見たら何でもホットスポットにしてしまうのが、過去の科学でした。他にもケルゲレンやレユニオンなど疑問に感じて良いはずですが、この種の偶然を疑わないのが重なる偶然とその意味を無視する客観性の無さの表れでしょう。
 あと、太平洋の中央海嶺はカナダからカリフォルニアを断層化して中継し、ニュージーランドの北側までつながっていることになっています。今現在の現実は見た通りですがニュージーランド寄りの部分は南極大陸とその破片でありニュージーランド南島を載せた部分の間に生まれて来た中央海嶺です。
 その先のイースター島の前後までは、ルイビユ火山列を生み出した中央海嶺がゆっくりと向きを変えてつながった部分です。これはプレートの成長を追いかけると明らかな現実です。
 中央海嶺は位置が変わることでつながったり離れたり、生まれたり消滅したりを繰り返して成長し消滅する、非常に動きの激しい物であると認識する必要があると思います。南極点を越えた反対側ではインド亜大陸を動かしていましたが、ニュージーランド側ではこのエリアに大きな動きを生み出す働きを続けていたのです。

 ルイビユが中央海嶺を挟んで反対側にも島列を残してくれていると判りやすかったのですが、南極大陸の手前に少し島がある程度です。こちらの方向には力の差がつきにくかったことになります。イースター火山島列は両側に火山島列を持っていますが、その南側にある火山島列はルイビユと同じように西側にしか火山島列がないのです。この反対がガラパゴス諸島になります。
 力学的には両側に島が生まれる方が判りやすいのですが、太平洋プレートの回転による歪みに時計回りという方向性があるので、海嶺の継ぎ目が潰される側は火山島列になり、拡がる側ではそのまま中央海嶺に成長できたのでしょう。この意味で過去の歪みの状況を表していると思われます。

c)衝突による隆起の問題、チベットとレユニオン、その他
 数十kmから100km前後の間隔の構造線はその挟まれている部分を動かしていることが多いようです。動いている部分が交差すると、その部分に島が生み出されていました。
 この島は構造線の動きが生み出す物であり、構造線に囲まれて周囲の地殻から切り離される四角形の部分がある程度自由に上下に動けるようになる様子です。構造線は押される時に下にあるマントルも引っ張っています。この力は地下の圧力にもなるので、普段は地殻で押し下げられているという状況です。単に上に地殻が載っているというだけではなく下からの圧力を地殻のつながりで抑えている部分があるのでしょう。
 構造線に囲まれる領域はこのつながりが切れてしまうので、下から押されると上に上がってしまうのです。マントルがはみ出せるようになると考えても良いでしょう。押される力に比例するレベルで高さも決まると思われます。

 この中ではジブラルタル海峡もこの交点で、島になっても良い部分でしょう。実際には陸地につながってしまっており島とは分かりにくく、標高も十分ではありません。
 この位置にはスペイン側とアフリカ側の中間に構造線が通っており、動きも大きな場所になります。その結果海峡が生まれていると思われます。陸に動きがあるのでその裂け目に海水が入りやすく、流路が出来てしまうのでしょう。
 同じ例は米国の西海岸にも存在しており、こちらは山脈を横切る川が生まれています。造山活動的には非常に生まれにくい物ですが、動きのある構造線故に、そこまでの裂け目となって川を生み出しているのでしょう。コロンビア川です。  
 あとエトナ山は火山にまでなっている構造線に囲まれた、シチリア島のマントル運動だと思います。横ずれの動きが深い部分での摩擦によりマグマを生み出しているのかと思える状況でした。

 次はキプロス島の状況を説明する資料です。半分はチベットの状況の説明です。
 キプロス島の状況ですが、複数走る東西方向の構造線と、北西から南東の方向に走る、こちらも複数の構造線に囲まれています。それぞれの構造線の動きはある程度ばらつきがあり、同じ方向でも一方は沈み込みで、他方は隆起になっている部分が明確です。
 キプロス島の南側は隆起が激しく北側はある程度の沈下です。北側は少なくとも一度海に沈む活動をしており、その時に海中で石灰岩になったのではないかと思います。加えて表層が平坦になり平野の要素を備えています。
 グーグルアースは島から離れた場所の隆起と沈下にも構造線の動きに準じた変化を見せていました。メギドの丘の部分は拡大していますので参照下さい。メギドの南西側は山岳地系ででこぼこですが構造線を挟んだ北東側は平地です。一度海に沈んで平坦になった物でしょう。キプロス島同様に構造線による変化が見られています。

 キプロス島には地震の分布図と構造線との対比を載せました。良く見ると直線上に並ぶ震源が存在し、追記した構造線の上や隣に並んでいます。
 キプロス島の赤い太い矢印で示した震源の付近の大きめの地震は、矢印の方向に構造線の動きを伝えることが出来るでしょう。エルサレムや死海に届くと思われ、岩のドームの宗教紛争を抑止するために、2017823の少し前に大きめの地震をエルサレムに起こせる可能性を伝えているでしょう。
 キプロス島の内部にはマントルが溜まり込んでいます。厚さにすると1~2km分ですが広さもあるのでかなりの量であり重さです。この部分のバランスを崩せるほどの地震であれば、例えば10cm沈めるだけでも大きなエネルギーを解放するでしょう。日本の地震で断層が1m動いたと言う話とよく似ています。
 ここでの違いはその結果が構造線の動きに変えられる部分です。マントルの位置エネルギー分を構造線の動きのエネルギーに変えられるのです。その結果で遠方まで構造線を動かせるのでした。
 キプロス島の南西部分では地震が起きているので、この部分で大きな地震を意図的に起こせば、これを利用してエルサレムの岩のドームの付近にも連鎖の地震を起こせるでしょう。キプロス島には十分なエネルギーの蓄積があるので、中央海嶺からの動きでキプロスを動かすと、相乗効果でエルサレムの地震になりやすいでしょう。科学的に可能な話を書いています。これまでに見せられてきた地の声を伝える日本の地震では、原理的に問題なく起こせる地震でしょう。

 この章の最後は比較するチベットの状況です。マントルがチベットを持ち上げて高地にしたという解釈は過去の先史文明の論文にも載せていますが、この様な例がないので証明には手間取ると感じていた所でした。地の声にキプロス島の状況を考えさせられたことは、この点について大きな進歩になりました。同じ現象がチベットだけでなく普遍的に島の形で様々な場所に存在出来ることを知りました。
 チベットの状況は複雑です。ここでの構造線は中央海嶺に密着している物ではありません。チベットの動きを可能にしたのは500万年前の太平洋プレートの引きおこした激変でした。当時ハワイの南側にあったマントル溜まりがフィジー諸島の部分の亀裂の発生により解放されて、アジアの南部を3~5km上昇させていると思われます。この時各地の海底に川が刻まれて現在まで残されています。詳細は関連記事を参照下さい。
 構造線の位置は図示した通りです。現在も動きがある様子で、地震のハザードマップに重なる線が多かったと記憶しています。
 一方インド亜大陸は1億年以上の過去から、北に向かって動き続けていました。アジア大陸に衝突後はその向きを北東に変えて現在に至ります。押し込みが続きヒマラヤ山脈が成長した所で500万年前を迎えていると思います。

 この時点で生み出された構造線は、インド亜大陸の非常に強い力により周辺からのマントルをチベットに集めて浮き上がらせるほどの力でした。キプロスなどの何十倍の大きさですが、インド亜大陸を押している中央海嶺の総延長も大きな物になります。この力こそがチベットを高地にしている原動力でしょう。見えないプレートの沈み込みなどありませんし関連する地震も起きていません。マントルの上昇がこの状況を説明するでしょう。
 ここでも関連プレートの浮き沈みが起きており、沖縄の北側の構造線を境界にして、北側は沈み込んで海底下にまでなったことがあり、平地になっています。一方の南側はチベットにつながる部分なので恐らく隆起しているでしょう。山岳地系を保っており構造線における上下の変化を明確に見せていました。
 この状況も力学的には明らかなのですが、事例が他になくて説明に困っていました。この部分もキプロス島が同事例になり助けられています。

d)海底の川が教えるムーとアトランティスの候補について
 8万年前までの時代に、ムーとアトランティスを探すことは出来ていません。人間の歴史が過去1000万年前まで遡れるのであれば、様々な候補を挙げることが可能です。プラトンの言う通りの場所にそれは存在しています。
 ジブラルタル海峡の西側にある大西洋中央海嶺には三重会合点があり、アゾレス諸島のこのエリアは中央海嶺にもかかわらず海面下1km前後の場所が多く島も所々に存在しています。海面が1km以上低下すれば、大きな島になるでしょう。プラトンの言う通りの場所になります。
 この場所が過去陸になった証拠ですが、川の証拠は見つけられていません。他のエリアよりもゆっくりと動く中央海嶺のマントル上昇流に隠されているのかも知れません。
 イギリスの南東側の大陸棚と、フランスとスペインの周辺における1~2kmの水深の場所には明確に川の痕跡が残されています。これらのエリアが2km以上上昇したことを表しています。

 この上昇が起こされた理由は長い事分かりませんでした。大西洋中央海嶺にも引き起こせる変化ですが、川の痕跡が残る早さで沈下するメカニズムが推定できず、理由を明確には出来ていませんでした。
 500万年前に太平洋プレートが回転した話を様々にしています。この時に構造線はアフリカと南アメリカにまで生み出されています。地球をほぼ1周できているのです。
 こうなると、日本列島を3km持ち上げた余剰マントルは、アジア大陸の反対側でヨーロッパを持ち上げることにも寄与していたのかも知れないと思えます。具体的にも南アメリカを押せている時点で、大西洋中央海嶺にも大きな影響を及ぼしていたでしょう。
 この時に2km三重会合点が押し上げられたのかは明確ではありませんが、元々何らかの成長歪みを抱えており中央海嶺としての平均水深3kmよりも2kmも上にあるのです。ちょっとしたきっかけで浮いたり沈んだりしていると思われます。

 この後で説明するのですが、中央海嶺の押し出すプレートの衝突は島を生み出します。ここはその状況が三重会合点として生まれている部分です。3kmの海底の高さのバランスが崩れている理由はここにあるのですが、通常の中央海嶺とは異なり海嶺に正対する2方向からの力のバランスでは高さが決まらず、複雑な3つの中央海嶺の合成による力で動くでしょう。
 この結果大西洋中央海嶺のはるか南側から、南アメリカ大陸が押された動きにも影響を受けやすいでしょう。東アジアの影響も無視できる物にはならないはずです。
 プラトンの伝承では一夜で沈んだことになっていますが、現状の痕跡では海底の川が見つからず、沈んだとしても再浮上してゆっくりと再沈下した等で証拠が消えています。判りにくいだけかも知れませんがゆっくりと沈下した過去がある事は、化石の証拠からも検証出来ると思われます。
 あと、アトランティスとしてはドミニカの周辺にある島々にも川の痕跡が見られます。こちらは2カ所の中央海嶺に押されている部分ですので、その動きの範囲で浮き沈みに可能性があると思います。1000万年あればその間のどこかで浮上して、川の痕跡を残していた可能性があるでしょう。

 ムー大陸には太平洋に存在する様々な海台をその候補に挙げておきます。それぞれが川の痕跡を残しています。シャッキー海台もオントンジャワ海台も、中央太平洋海山群、マニキヒ海台も同様です。この中のどれもが1000万年前よりもはるかに古い時代の誕生ですが、比較的浅い場所では500万年前の激変時に浮上している可能性があると思われます。明確なことが判らないのです。
 こちらはジェームズ・チャーチワード氏の失われたムー大陸という本が出所です。ムーが沈んだ理由に簡単に否定出来るガスチャンバーという物を推定しいていますが、これは今で言う所の余剰マントルに相当する部分なので、位置の一致もあって単純に否定するにはこちらの気が引けるので載せています。
 500万年前に地殻変動が起きた前後、蓄積されていたマントルがプレートの一部を海上に押し上げていないと言い切れないのです。海底の川の証拠は様々な場所に残り、太平洋の海水面がkm単位で動いていたことを明確にしているのです。このそれぞれを残されている化石で調べるとその時期が明確になるのですが、ここまでの研究はまだ進んでいないところです。今後明確になる中で1000万年前以降に島になっていた場所が見つかることになるのではないかと思っています。

 ここまで地殻変動の関連で残りの部分を説明してきました。
 ホットスポットではマントルプルームシミュレーションの技術は電磁気による熱交換を無視するので、理論的に正しくないし現実にも合いません。
 大陸の動きを調べるにしても、中央海嶺の成長状況を慎重に時間で巻き戻してみることは必要とされていない様子です。これでは過去を調べる事は難しいし、構造線に注目することもなく、現実と向きあわない姿勢にしか見えないところです。この部分は教科書に書く熱対流などの説を守る為の不作為の類いかもしれません。
 客観性のない査読の許す所である、見たくない物は見ないの世界です。現在の地殻変動は520万年前に始まり、現在の私たちに引き継がれている大きな地球規模の問題ですが、今の科学は現実の問題に向きあおうとする姿勢に大きな問題を抱えています。
 元々は偽善の側が権力支配の為に作り上げた査読というシステムの問題です。内在する問題に気づいていても、政治的な問題でもあるので、多くの心ある科学者には簡単に修正の出来ない問題として映るのでしょう。ここに労力を割くよりも自分の研究を進めたいと考えるのは人情ですし、各国の政権に批判になる事をすれば、自分の地位である大学教授ではいられなくなる所がほとんどです。
 この種の問題を何度も取り上げるのは、911同時多発テロにおける米国政府の説明に科学者が反論できない状況を明確にする為です。物理学者の方が一人奮闘されていましたが、今は大学教授の職を失い口封じの状況です。
 問題はこれだけに留まらず、気象変動による利益のためのノーベル賞の利用だけでなく、様々な所で私たちの健康までも蝕んでいるのです。私企業や権力者の利益のために、国民の未来が失われようとしているのですが、誰もこの責任を追及しようとしないようでは人類その物の未来が失われるでしょう。

稲生雅之
イオン・アルゲイン