先史文明が伝える古からの地球の歴史と未来4 9月25日

 1366万年前に始まったと思われる人類の歴史について以下の項目を説明します。その内容を元にして私たちの文明に重要な動きの始まった8万年前以降の状況について、まとめの記事をお送りします。項目の順番に作業を進めます。
 ここにまとめる記事は、遺跡や遺物に残る直接的で誰にも検証可能な証拠に基づいており、あの世の声を聞いたという証拠の提示できないオカルトの類いとは異なります。科学技術の進歩の結果で得られるデーター類も利用し、客観的な評価に耐える事実とそこから推定できる人類の過去の歴史の流れをお送りします。

1)1366万年前の人類の始まりから8万年前までの遺伝子実験期間
1-1)月と人類の誕生と恐竜との共存 証明されていなかった恐竜絶滅と人類の始まり
1-2)プレート運動の歴史      ホットスポットの教えるプレートの動き
1-3)520万年前と現在の地殻変動、地震予知技術 約520万年前から現代へ解決策を託している
2)暦の遺跡の情報          2度の極移動と暦の変化の記録
3)歴史書と宗教書の情報       極移動に対応した宗教の変遷の記録
4)客観性のない科学の遅れ      権力の支配に利用されている愚かな姿
5)月、金星、火星、ティアマトの状況 忘れられた宇宙技術の遺跡
6)善と偽善の地球の遺跡の情報    世界に散らばる先史文明の遺跡の存在
まとめの本記事
8万年前以降の歴史の流れと未来    宇宙に文明を拡げる上でのティアマトの再生と、他者と共存する未来の姿

この記事の項目
2)暦の遺跡の情報

 極移動の証拠を残す遺跡 11月9日 という記事を以前書いており、遺跡に残されている過去の暦の変化を明確にしています。
 ここに来て解析に進展があり、歴史書、宗教書も含めて何が残されているかを確認しています。ハドソン湾極時代に月の34周と875日が計測されていたことが明確になり、この部分と歴史書、宗教書の日食月食の表現から、当時の月の軌道に対する予想が出来る様になりました。
 現在の日食と月食は暦の特定に日に起きるのではなく複雑な月の軌道により、太陽本体とその影に重なる時期が予想されます。月食は世界中で見られますが日食は世界のどこにも起き得るのですが、見えるエリアは非常に限られています。そして金環日食と皆既月食の差まであるので、これを見ると人々に大きな感動と強い記憶を残すのです。
 歴史書、宗教書の記事はこの後の記事になります。現代につながる歴史には数々の日食と月食の記録があるのですが、グリーンランド海極時代にはそれが全く見られません。ハドソン湾極時代になると日食と月食に対する言及はあるのですが、少なくとも金環日食と皆既月食の違いを説明する文章を見つけられないのです。
 この結果で明確なことは、月の軌道が黄道に傾斜角ほぼ0度で太陽のように同じ場所を動くことと、月食は毎回地球のどこかで見られるという事です。月の周期毎に必ず月食と日食が起きるのですが、日食は赤道の狭い領域でしか見られず、月食は繰り返し起きる周期的な物であり記録するほど珍しい物ではなくなるのです。

 これらは歴史書、宗教書に残されていた状況としての結果ですが、当然の様に暦の遺跡にも同等以上の物が残されているはずです。
 結果は歴史書、宗教書に残されていた状況を追認できる物でした。以下順番に説明したいと思います。まずは暦の数値です。

ハドソン湾極
57-degree 37’ 27” N 79-degree 58’ 30” W
グリーンランド海極
75-degree 17’ 49” N 7- degree 10’ 25” W
月と太陽の周期
365.24 日/年 月29.53 日 現代、3万年前以降
360.07 日/年 月25.72 日 ハドソン湾極時代、6~3万年前
370.4 日/年 月25.38 日 グリーンランド海極時代、6万年以上前

 遺跡にこの種の数値が組み込まれているところを説明していますが、当時は遺跡の細部にまで踏み込めていない部分がありました。この重要な周期は他の遺跡との組み合わせで求める事が出来ていますが、月が黄道と約5度の傾斜角を持ち日食と月食を起こしている部分など、一般の遺跡には組み込みは考えにくいですが、暦の遺跡には存在して良いと考えていました。
 この種の数値の組み込みに可能性のある事は当時から分かっていたのですが、その先に踏み込むには何らかのデーターが必要でした。ルーマニアのサルミジェゲトゥサ・リージアの遺跡には高さの異なる石柱や、回転しながら利用したと思われる石盤が残されています。これらを詳しく調べる機会があればもう少し前進できる可能性があるかも知れないと感じていたところでした。

 転機は他の所からやって来ました。日本の古書であるホツマツタエに875日という隠ろ日という表現が見つかり、この関連でキトラ古墳にも高松塚古墳にもこの種の数値の組み込みがあることが確認できました。
 この数値は月の周期の34周分であり、当時は月の10周が257日にされていたようです。この換算で34周目に一日周期が延びることを875隠ろ日と表現していたのでした。34周目の満月が874日目のはずが875日目になると言う意味です。
 これはハドソン湾極時代の月のパラメーターになるので、遺跡にどの様にこの数値が組み込まれているかを確認する必要が生まれたのです。
 ハドソン湾極時代とグリーンランド海極時代を調べる事が主な目的ですが、その前に現在の暦の遺跡の代表である、イギリスのストーンヘンジについて、どこまでの内容が表現されているかを調べてみることにしました。過去にも一度本を読んで調べたことがあり太陰太陽暦を表している遺跡であると考えていました。今回は数値を探す必要があるので詳しく調べる事となりました。

 当時読んだストーンヘンジという名前で著者フレッド・ホイル氏の本に記憶があり、この本から数値を引き出せるかを調べてみたのです。著者は日食と月食の予想に使えるレベルであると本に書いているのですが、暦の数値については記載がないのです。
 イラストを参照下さい。月と太陽の周期が19年235月のメトン周期、月食の周期である223月のサロス周期、1年が4年に一度うるう年を持つ1461日のソティス周期を計測していたことが明らかでした。
 一番外側に56個の穴があり、ここに柱を立てながら動かして利用していたそうです。その内側には30個の岩が3周分組み入れられており、さらに内部には馬蹄形の岩があり、ここにも30個が数値として組み込まれています。
 計測に使われているサークルの特定部分に修飾があり、19,44,47が重要な事は誰にも感じ取れる物です。これらの数値をどの様に利用したかを検討すると、以下の数値が明らかになります。

56x8x44+44=19756日 
;19756/(223X3)=29.53064日(真値は29.530589)
30x3+56=146、10倍して1加えると1461のソティス周期
146x125+12=18262 
;18262/50=365.24日 125=30x4+5

 56個の穴は56/3=18.67になり、月の対恒星交点逆行周期18.6年を近似しています。この56個を時々調整してずれをなくすることで、月食の予想を出来る様にしていました。本が1冊書ける内容ですのでここでは書名の紹介のみです。簡単には月の軌道において太陽の黄道と重なる部分を天空上で常に位置を把握し、主に月食の予想に用いていました。
 当時の人々はイラストに載せた地球の影の中心を通る軌道が来たときに、サロス周期の計測を始めていたようです。サロス周期は18年11日と約8時間です。これを3回計測すると8時間が24時間になって1日になり同じ位置に月食が戻ります。日数で19756日でした。遺跡に組み込まれている数値はこの数値であり彼らがこの数値を計測し重視していたことは間違いないでしょう。
 月の周期には複雑な軌道から来る見かけ上の揺らぎがあり、満月の日にちが新月から14日目から17日目まで変化します。この変化があるので満月の回数を単純に数えるだけではその軌道周期を、正確には計算出来ないのです。
 これに対してストーンヘンジの遺跡はこの点を解決するために特定の月の状況、月の軌道と太陽の黄道が重なる点を利用し皆既月食の日を選ぶことで、軌道の揺らぎの出ない部分での計測を行っていたのでした。しかも約54年もかける物なのです。

 念のために確認した太陽周期も50年の歳月を利用する部分を確認できました。ストーンヘンジにおいては月は約54年、太陽は50年を費やすほどの正確な暦でした。
 月と黄道の約5度の傾斜角は明確には出来ませんでした。その代わりに、月の形を岩に重ねてみることで、中心位置を正確にする手法のある事は判明しました。サロス周期は元の位置に戻るときに南北のずれを伴うそうなので、この位置を正確に揃える為に工夫をしていた物と思われます。
 日食は位置の特定が複雑な計算になるので、自分のいる場所以外は現実的ではないでしょう。月食は暦の周期の計測のために用いる重要なイベントなので、これを正確にするためにこの遺跡が利用されたことは、ほぼ間違いないでしょう。
 望遠鏡を使わなくてもここまでの計測が可能です。このレベルを参考にしてハドソン湾極時代の遺跡、サルミジェゲトゥサ・リージアの暦の計測リングを見てみます。もちろん34周875日を明確にする目的です。

 まず推定ですがルーマニアのこの位置では月食は見えても日食は見えません。この当時は月が1年に地球を14周しますので7回の月食が見えた後に、7回は見えない状況となります。メインサークルの内部には3と4に分けられたブロックがあるのでこの部分がその計測に使われたのだと思われます。
 別のサークルで計測している月の100周からの25.72日で計算すると874.48日で34周です。端数が0.48ですのでこの周期を繰り返して計測すると0.48が二回重なっても一日の経過にならない時があります。この前後に33周で満月になりその後に35周で満月になるでしょう。これは数学的な制約です。
 メインサークルには17+17=34に加えて、17+16=33、17+18=35の数値が見られます。これらの数値はこの揺らぎを計測していることを表しています。さらに端数は正確には0.446になるので、63倍すると28.098となって端数が0に近くなります。ゼロに近い明確な数値は不明ですが、計測において21x3=63が可能な組み込みがあります。

 メインのサークルの中にある21は3倍して63、組み合わされている13は13x2=26で月の1周もカウントできる状況です。メインサークルは324064を数えるだけでなく月の34周を63倍して計測する所までを含んでいました。
 月の軌道から考えると34周目の月の位置は始まりとは異なる計測をする事になるのです。現在の月のように軌道が楕円であるとすれば、月の34周は32周や36周にも変化したでしょう。この組込はないので月の軌道が真円に近かったことも明確になりました。34周の63倍は153年の長さとなります。

25.719x34x63=55090.098日 理論値
55090/34/63=25.71895日 計測値

となり、かなりの精度です。月に対するこだわりであり、地球との同期もあるので1年の長さはこの14倍です。
 なお、元々の年の周期は以下の計算です。

104x 82x 38 =324064
900x 360+60=324060

 こちらでは実に900年の歳月をかけての計測です。当時の人々の寿命もこれに近い長さでないと現実的ではないと感じる計測手法でした。当時はこの2種類の計測でどちらかに近い値が出ていた物と思われます。
 当時の人々も、月の周期計測における揺らぎを意識しています。この状況により月の軌道を正確に求める姿は変わりがなかったと思える状況です。

 遺跡の最後はグリーンランド海極時代のサクサイワマンとバールベックです。ここにも875隠ろ日があるかどうかを調べてみました。
 ハドソン湾極時代の月には黄道傾斜角のない可能性が非常に高いという結果です。これであれば恐らくこの当時の状況も同じだと考えられるのです。大規模水蒸気爆発により、この位置から現在の5度への調整は可能ですが、5度から0度に戻すことは非常に難しいでしょう。
 グリーンランド海極時代の暦の遺跡は、一般の遺跡によれば370.4日の年周期と25.38日の月の周期を計測していました。
 25.38日の場合、始まりの満月から863日目に34週目の満月を見ることが出来るのですが、月の十周を254日で数えた場合864日目になります。
 サクサイワマンの遺跡の人々は、この数値が34週目に1日ずれることを知っており、この計測が34周と863日で行われています。
 20x43+3=863となり、比較したバールベックでもこの数値を利用できるように組み込んでいます。双方とも43の3の部分が3と20-17で表現されており、そこに20が複数組み合わされており、この使い方も共通でした。

20x43+3=863日
863/34=25.38235日

 あと、この時代は月が1年に14.6周します。ハドソン湾極時代のようにその時に月の軌道と太陽の軌道に角度のずれがほとんどなく、毎回のように月食と日食を起こしていたと思われます。
 日食は赤道寄りの280kmの幅でしか見られなかったと思われ、これら二つの遺跡では位置的に日食の観測は出来なかったと思われます。サクサイワマンでは赤道に近いので、月により太陽が欠ける所を見ているはずですが、遺跡には特段の組み込みはありません。月食と対になって起きるので、月食の情報が残されています。7回連続して月食が見えた後で7回連続月食が見えなくなります。この計測を7x7の部分で確認していたと思われ、サクサイワマンでは7を重視する組み込みにされていました。
 この時代には正確さを追求する必要がなかったのか、ここまでの組み込みでした。こちらの解析で漏れている可能性もあるかも知れませんが、悠久の時をこの数値で過ごしてきても大きな問題など起きないでしょう。正確さが必要になったのは人々の変化に対する興味でもあるのかも知れません。

 現代の遺跡であるストーンヘンジは、月の黄道傾斜角の存在に対応する為に、月食を利用して月の周期を求めていました。黄道傾斜角があると計測に相応の工夫が見られることを期待できるでしょう。
 これに合わせてハドソン湾極時代のサルミジェゲトゥサ・リージアの遺跡を見ると、そこには純粋な周期を計測する表現があるだけでした。計測サークルの岩の高さで何かを調べているかもしれませんが、黄道傾斜角を予想出来る物は今のところありません。多少のずれにより皆既月食の時間が大小するなどの変化が期待できるのですが、ここにも数値を探すことは出来ていません。動きがあると0.1度でも日食の見られる範囲が拡がるのです。今のところ満足の行く日食の記述はインドにしか見られず、このレベルの傾斜角も存在していないと思われる状況です。
 グリーンランド海極時代にまで遡ると、バールベックにもサクサイワマンにも暦の数値は残されていますが正確さを追求することもなければ、黄道傾斜角の存在を意識させる物もありません。
 2度の極移動が起こされていますが、この時に月の軌道に黄道傾斜角約5度を持たせたのは、ハドソン湾極時代の最後の極移動の時と考えられます。月の軌道を北と南に動かす事で、地球に発生する海流を南北へと押しやる効果を高めていると思われます。極地の温暖化に寄与する動きであり、当時の人々は予定した人口増と文明の進歩の為にこの変化を生み出したのでしょう。

 遺跡にはもう一つ、歳差運動周期の計測という物があります。これはサルミジェゲトゥサ・リージアの遺跡に残されている物ですが、悠久の時である29952年を測ろうとしている物でした。この長さなので実際に使われたのかは判らないのですが、6万年前の極移動に際しては大規模な津波の発生はなく、文明は各地でハドソン湾極時代につながっているのではないかと思います。海辺のイカやインドなどは影響が大きかったかも知れませんが、標高のある岩のドームやサクサイワマンなど被害は少なかったのではないかと思われます。
 この場合次の伴星接近時にも権力者達の争いのリスクが残っているので、29834年をカウントしてその時に備えようとしたのかも知れません。

サルミジェゲトゥサ・リージアの遺跡の歳差運動計測 年を数える
52x72x8=29952

 もしサルミジェゲトゥサ・リージアの遺跡でこの数値が使われたのでしたら、同様に現代を代表するストーンヘンジにも相応の工夫があるはずです。これを検討して探してみました。その結果がイラストに紹介する双子座のイラストと太陽の位置を表すエリアの存在です。
 ストーンヘンジは12660年前の争いの始まりの時期に設置が検討された物だと思われるのです。この場合その時点からの西暦2049~75年をカウントダウンしても、何を意味しているのかを伝えることが難しいでしょう。恐らくこのせいで双子座をイラストに選んだのだと思われます。
 ストーンヘンジは夏至の太陽の昇る位置に向けられています。この方向への注意を自然に促していることになるのです。時期は夏至との限定もあるので天文ソフトのシミュレーションも容易でした。その結果日の出の時に双子座を従えており牡牛座との中間に近い点に太陽が存在する事も分かりました。

 構図で不思議な部分は、2の12乗根側であるにもかかわらず、牡牛座とプレアデスを使っていないところです。該当する位置は森になっていたと思います。ここにプレアデスを組み込むことなど容易かったはずなのです。時期を教えることが目的ですので、理由の明確にならない部分でもあります。
 遺跡によっては後から善の側に組み込まれている数値である物も散見します。その意味で後から組み込まれた物かも知れませんが、競争意識の強さは伺われるところです。サルミジェゲトゥサ・リージアの遺跡の事を知らなかったはずはないので、意図して今の状況があるのだと思われます。
 先史文明時代のイギリスには様々な考えがあり、目立たない形で牡牛座とプレアデスを外すことで、暗に協力者が野には存在することを教えているのかも知れません。一枚岩ではないのが双方の陣営の現実です。

 記事の最後に、太陽の伴星の接近が人々の不安にならないように、遺物の伝える関連情報をまとめておきます。ストーンヘンジとサルミジェゲトゥサ・リージアの遺跡が太陽の伴星接近を明確にする理由は人々の争いに伴星のもたらす電流が利用されることです。
 これに対して悠久の時を過ごしてきたサクサイワマンには、29834年毎に繰り返している伴星の接近を計測している様子がありません。バールベックは柱の数が多いのでこれに相当する数値を探せる可能性があるのですが、意図しているかは難しいところです。この意味では双方の遺跡で無理をすればカウントできる物ですが、その分後世に伝え残すリスク意識は低いことになるでしょう。強調がないという意味です。
 この現実味はシュメールの神話にある太陽の伴星と思われる記述に確認できています。

・大いなる星よ。現れると暗く赤くなり、天を二つに引き裂き、ニビルはそびえ立つ。
・天の王座にいるその惑星が、もっと輝きを増すとき、洪水や大雨がやってくる。
・そしてそれが通り過ぎる日に、光はなくなり、凍るように寒くなるだろう。

 マヤの伝承では伴星接近後に暗黒の3日間があり、その後も太陽は昇るが、どこから昇るか判らないという話を聞いています。これは極移動時の物でしょう。方位が変わるのは人為的な物だったのです。
 人々の争いのない時代にはシュメール神話のように天候の激変がある程度で、それほど大きな気象変動による被害をもたらす物ではない様子です。それでもしばらくの間光はなくなり、凍るように寒くなるだろう。と言われるのであれば、食糧の備蓄など備えは必要でしょう。ノアの箱船までは必要ないという意味です。

 長くて約2万才の寿命と、シュメールの神話を考えると、それほど正確に知る必要のないイベントとしての組み込みに可能性があります。この意味で考えると、星座は星が動いて形が変わるので利用できないことが明らかです。10万年もすれば星座が判らなくなるでしょう。
 これについては、天の川の形を利用できそうです。こちらは大きな変化を起こすにはさらに長い時間が必要なので、おおよその予想で良ければ使えるでしょう。イラストに当時の太陽の昇る位置を載せています。天の川銀河の分厚くなる中心付近から太陽が昇る冬至が来るときに、太陽の伴星は太陽に接近して地球に気象変動とプラズマイベントを見せることになります。
 バールベックの遺跡を見ると柱のたくさんある中心部分が正方形的で大きく、月の計測部分は小さいです。イラストには抜けていますが、ハドソン湾極時代の数値を計測している6角形の部分がその反対側にあるので、全体としては中央のぶ厚い形状です。
 サクサイワマンはピューマの牙と歯が並んでいる部分が銀河の中の少しくらい部分に見えています。2重になってぶ厚い部分がイラストの右側に表現されており、この部分付近を太陽が通る時を意味しているのかも知れません。それぞれこちらの想定です。

 プラズマイベントについてはたくさんの遺物が残されており、イナンナやイシスなど女神が利用されています。夜空に輝くレッドスプライトがこの様に見えるので、この種の像を残してきているのかも知れません。イナンナ女神は7万年以上前から宗教化されているので、さらに古い時代にも同様に利用されていた可能性のある女神です。
 像で特徴的な部分は、頭部を2つ持つ物が残されている事です。同時にたくさん出てくるレッドスプライトのイメージで考えると、同じ物を表現していると思われるこれらの像にはプラズマイベントの描写としての現実味があります。
 帽子を被った裸体の女性という表現が世界に共通する構図であり、太陽の伴星の接近に伴う現象である事を残している物だと考えます。レッドスプライトが見られるようになったら、大きな気象変動が近いという伝承を持っていたのでしょう。

 あと、ストーンヘンジの星座の構図は、類似の物が存在する可能性を教えてくれました。結果としてはサクサイワマンとバールベックも同様ですし、イラストに載せたエクアドルの蛍光体を埋め込んだ遺物も同様な物であると認識できるようになりました。
 蛍光体が使われること自体が太古の昔では難しいことだと思います。オーパーツの本に出ていたエクアドルの鉱山跡から出土した遺物だそうです。
 描かれている冬の大三角形であるおおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、オリオン座のペテルギウスは私たちにとっては普通の形の構図です。これを5000年時間を戻すだけでも構図が崩れてくることが判るのです。シリウスとプロキオンは高速に動く恒星なので、おおいぬ座とこいぬ座の形が時間を巻き戻すことに合わせて崩れてくるのです。この遺物が今の時期の太陽の伴星の接近時期を伝えようとしていることは明らかでしょう。
 遺物の内の一方には人間像が加えられており、二人の双方ともが空を見上げています。そして一方の足元には本来太陽の伴星が位置する構図なのです。
 ピラミッドに目を書く部分もこの構図になっていると気づきました。ドル札の全てを見通す目でもあるのですが、彼らの支配を願う姿の影に、太陽の伴星接近への警告が含まれていることを明確に理解できたところです。
 先史文明時代の人々は、様々な工夫をしてこの地の周期的な変化を伝えて残すように工夫をしていました。神話や歴史書にはその断片が残されており、次の記事でも触れることになります。

稲生雅之
イオン・アルゲイン