先史文明が伝える古からの地球の歴史と未来1 9月18日

 1366万年前に始まったと思われる人類の歴史について以下の項目を説明します。その内容を元にして私たちの文明に重要な動きの始まった8万年前以降の状況について、まとめの記事をお送りします。項目の順番に作業を進めます。
 ここにまとめる記事は、遺跡や遺物に残る直接的で誰にも検証可能な証拠に基づいており、あの世の声を聞いたという証拠の提示できないオカルトの類いとは異なります。科学技術の進歩の結果で得られるデーター類も利用し、客観的な評価に耐える事実とそこから推定できる人類の過去の歴史の流れをお送りします。

1)1366万年前の人類の始まりから8万年前までの遺伝子実験期間
1-1)月と人類の誕生と恐竜との共存 証明されていなかった恐竜絶滅と人類の始まり
1-2)約520万年前の地殻変動   約520万年前から現代へ解決策を託している
2)暦の遺跡の情報          2度の極移動と暦の変化の記録
3)歴史書と宗教書の情報       極移動に対応した宗教の変遷の記録
4)客観性のない科学の遅れ      権力の支配に利用されている愚かな姿
5)月、金星、火星、ティアマトの状況 忘れられた宇宙技術の遺跡
6)善と偽善の地球の遺跡の情報    世界に散らばる先史文明の遺跡の存在
まとめの本記事
8万年前以降の歴史の流れと未来    宇宙に文明を拡げる上でのティアマトの再生と、他者と共存する未来の姿

この記事の項目
1-1)月と人類の誕生と恐竜との共存

 人類の始まりは、一般には1000万年前に猿から人に分化が起きた頃にされています。化石の証拠は700万年前に猿人が直立歩行をしていた痕跡を頭蓋骨に残している物が最も古いと記憶しています。
 チンパンジーの遺伝子研究から1300万年前に分化が起きたとする研究もあるのですが、この時間の長さを遺伝子の突然変異で説明できるのか、私たちはまだ明確な科学的根拠を提示できない所です。この先遺跡と遺物の語る人類の歴史は遺伝子工学に大きく影響すると思われます。記事の後半で出てくる8万年前の状況は、この時点で人種が揃っていることを教えており、突然変異による黒人から白人への進化は起きないと考えられるのです。出アフリカも残されている証拠の一部でしかないでしょう。人類の広がりにも各地に古い遺跡が残されており、遺伝子の証拠との間には整合性がないのです。
 遺跡の伝える人類の生まれた時期ですが、遺伝子操作による1366万年前がその答えです。イラストの1枚目を参照下さい。
 紹介している遺跡は古さの明確に分からないものだと思っています。基本的に12660年前以降に作られている物が、ここに紹介する遺跡の大半です。中には6万年以上前の遺跡もあるのですが、人々はまだその古さを認めることが出来ませんし、その古さがどの様に証明されるかも現時点の理解を超えている部分でしょう。遺跡の共通して伝える内容については既に書いている記事と、この関連で後で書く記事を参照下さい。

 先史文明としてここで紹介する遺跡の多くは、おおよそ5千年前までに準備された物を指しています。この時点の人類に受精の瞬間が描けるわけがないのですが、ラオスのファザラングの池は、この瞬間を描いているという以外には説明がつかないでしょう。
 同様に遺跡を検討してみると、似たような構図が他にも存在していることが明確です。アメリカのサーペントマウンドの構図は蛇の口を閉じれば受精の直前の構図です。
 遺跡にはもう一つ表現したいことがあり、太陽の伴星と彗星により破壊された惑星ティアマトの存在があります。彗星を描いて関連した金星、地球、火星、ティアマトの軌道情報が組み込まれて残されており、情報は遺跡においてほぼ共通です。
 約6万年前に起きた惑星ティアマトの破壊は今の文明に大きく影響しています。この点は後で書く別の記事に詳しく説明します。
 まずここでは彗星よりも受精の瞬間を優先して描かれたこの二つの遺跡に、距離13665.6kmが組み込まれている所を説明します。

 受精の瞬間を描く意味ですが、この後に細胞分裂が始まるまでの間が遺伝子操作の実施時期です。図柄の選択は遺伝子操作を伝えるものと思われ、人々に遺伝子操作の存在を教える所までを意図した物だと思われるのです。
 マヤの暦の数値29952と1366560は、1366万年前を伝える目的もあって利用されている様子です。遺跡に残されているイシス定数にも1366560が使われているのですが、これを使いたい積極的な理由がこの時期を教える目的の様子です。おおよそこの時期に地球に入植してきたのでしょう。マヤ暦の数値は暦の記事で改めて説明します。この定数は暦の数値とその観測手法値の積で表現される物です。

イシス定数=13207139618400
 = (365×1461)×819×30240
 = 1461×6615×1366560
 ;1461=365x4+1 ソティス周期
 ;1366560=29952x365/8
 1366560はマヤの絵文書の数値にも残されている

 約1366万年前に地球に入植し、遺伝子実験から安定して子孫を残せる状況になったのは約1000万年前になると思います。残されている化石の証拠からはこの状況が近いのではないかと思われます。多くの科学者がこの時期を選ぶので状況証拠が多いと判断して、この時期に遺伝子操作が完成して類人猿の化石が増えたものと考えています。
 8万年前以降になると、寿命の操作を地球の自転周期の調整で行う部分が出てきます。暦の変化は遺跡に刻み残されており、その変化は宗教書と歴史書にも数値の痕跡が書かれているので間違いはないはずです。こちらも後で記事にて説明する部分です。

 1000万年前のこの時期までに地球の自転を操作する技術も確定しており、今の1年365日だけでなく371日も360日も試されていると思われます。6万年前に試行錯誤なくいきなり370.4日を360日へ変えられたのは、過去の実験の積み重ねがあるからだと思われます。
 当時の遺伝子実験は、健康に対する耐性を確認するための長い寿命への調整と、子孫への遺伝的劣化が起きないかなど長期間の評価が必要でした。約1000万年前までにその遺伝子構造はほぼ確定していると思います。
 残されている歴史書と宗教書を見て考えると、シュメールの王名表とホツマツタエですが、この古い時期の人の寿命は1~2万年です。旧約聖書もハドソン湾極時代の改竄が明確なので本来はこれら2書と同様だったはずです。これが360日化により1000年に短縮し、今はさらに短い100年でしょう。月と重力と地球の周期が影響して変化する物が、私たち人類の寿命であると現在は想定しています。動植物もその一部は影響を受けたでしょう。結果として生じる非常に微妙な電磁気作用でさえも、遺伝子の機能を操作できる様子です。
 こう書くと信じられないと思いますが、遺伝子の耐性と劣化のない事が重要な指標であったらしく500世代以上の繰り返しに1000万年が費やされているように見えています。1万年の長寿でもその間にウイルスを始めとする病魔に冒されない、健康が保てる部分が重要な様子です。自転周期の調整が簡単に行える現実は、ここに関心が高かったことは間違いないと感じさせる部分です。
 彼ら地球に入植した宇宙人には悠久の時があったはずであり、文明は億年の単位でしょう。この時の流れの中で健康が損なわれたり遺伝子の機能が劣化しないようにする必要があったのです。評価期間約1000万年を十分と考える理由にはまだ疑問を残していますが、6万年前から3万年前の間に1000才の寿命に調整をして、完成した遺伝子で人類が宇宙に拡がる準備が出来る予定であったように見えています。6万年前には火星も金星も入植地であり、宇宙に拡がる前線になるはずでした。

 遺跡と遺物からすれば、宇宙人が人類を遺伝子操作で作り出したことになります。どうして人類を作り上げる必要があったのかですが、この時までに自分達の遺伝子操作による生き残りはやり尽くされていると思われます。その結果でも生殖機能を回復できず、試験管の生殖も同様だったのでしょう。この世界に留まるための肉体を保つことが、彼らには出来なくなりつつあったのではないかと思われます。
 入植から約366万年の間、地球の遺伝子を利用して自分達の体を改造することも試していた気がしますし、同時に猿を改良して人類に出来る様にも開発を進めていたのではないかと思います。さすがに根拠は説明できない所でこちらの想像です。
 当時の技術を用いてチンパンジー等の遺伝子と自分達の遺伝子を組み合わせ、今で言えば猿が話せるように顔の周りの筋肉を調整し、直立歩行が出来て道具を使って文明を維持できる様にしたと思います。猿にも言葉をある程度理解する部分はあるのですが、会話の能力に乏しく唇と関連する筋肉などが重要な部分です。この時点で既に黒、茶色、黄色、赤、白の皮膚の色が組み込まれており、自分達の民族を大元の宇宙人とのつながりで残すように配慮されていたと思います。この始まりの時から人種に大きな変化はないと思います。混血以外に簡単に変化するようでは、その能力も変化して失われる所でしょう。
 話が出来て直立歩行と論理思考力、記憶力が備われば、私たちと変わらないでしょう。遺伝子操作の結果でいきなり話が出来て道具も使う人類が生まれたことになると思います。私たちは1000万年前からそれほどには進化はしていないという事です。今の能力はこの時点でほぼ備わっており、偶然に頼る突然変異で話せるようになるなどは起こらないのです。
 あと、ここで宗教の神の出番がないことは重要です。今書き残されている神は誰もいません。私たちは神に支配される存在ではないのです。ここで神とは宇宙人になってしまう所ですが、神は支配の道具として古くから使われています。あの世の存在が科学出来ればその存在を証明出来る所です。あの世の存在と自然の存在、そして神についてはこの後出てくる宗教書、歴史書でその描かれて利用されてきた姿を見ることになります。

 人類がこの時期に遺伝子操作で作られたと言っても、証拠には乏しくまだ信じることは難しくて普通です。でもこの続きに出てくる月の誕生と520万年前の地殻変動の様子を見ると、この時期既に高度な科学を持つ人類を想定しないと、残されているこの地の現実と証拠が説明できなくなるのです。520万年前の地殻変動の話は長くなるので次の記事でのご説明です。ここでは月の誕生から恐竜との共存の可能性までを説明したいと思います。
 地球の月ですが、その誕生は謎に包まれたままであり、特に重心が2km中心からずれている部分は理解しにくい状況を生み出しています。地球に火星サイズの惑星が衝突して生まれたなど意見はある所ですが、月には核もマントルもなく、中心は空洞とも言われるほどに不思議な構造です。チリが集まって成長するモデルは通用しないのです。どこかから飛んできても、その大元ではチリから生まれる必要があるので、今の状況を適切に説明する事が非常に難しいのです。
 遺跡は間接的ですが、ここにも証拠を提示しています。12660年前に地球に墜落させられた彗星の時期を重要な始まりの時期として、世界中の先史文明の遺跡が組み込んで残しています。
 この時期に実際に彗星か隕石が地球に墜落していることは事実であり論文にも書かれています。詳細は遺跡の記事になりますが、ギザの大スフィンクスは12660年前を表す構図で作られて残されています。
 この時の彗星のサイズはkmサイズです。1~5kmの大きさの彗星を自由に地球に運んできて墜落させられるとすれば、この技術を用いて彗星と隕石をかき集めると月になるのです。始めは彗星を利用してその内部の水でチリ類の拡散を防ぎ、液体の表面張力も利用して雪だるま式に成長させてゆく事が出来るのです。

 彗星を利用する部分は6万年前に地球とティアマトの自転周期を操作する部分でも出てきます。事例はこれ一つには留まらないのです。これが可能であれば、月を作り上げることは可能です。そして雪だるま式に成長させるときに芯の部分は彗星になるので内部の重心が狂いやすいのです。加えて地球周回軌道上で特定の面に隕石と彗星が集められることになるので、重心は成長に合わせて内部でぐるぐると回転していたと思われます。
 信じにくい部分でもあるのですが、破壊されたティアマトにも月は存在しており、現在の冥王星です。冥王星は不思議な軌道を持つ準惑星ですが、6万年前にティアマトが破壊されたときに海王星に捕まって現在の軌道に一時的に留まっている状況です。周辺に残されている小惑星、隕石群もこの状況を証明します。
 遺跡に残されている証拠ではティアマトの重力と地球の重力は同じになる様に調整されていました。ティアマトの半径は約6600kmですので、地球と少し大きさが違うのに重力は同じです。ここでも自転周期の調整が行われており、二つの惑星で遺伝子操作の実験を行い、6万年前までは人と動植物の存在する惑星として太陽系の一員でした。

 月が人工物である事を証明する証拠は地球に二つ残されています。一つは地磁気の変動パターンの変化であり、もう一つは月の引力が潮汐力を3倍にしたことで生まれた気象変動です。それぞれを説明したいと思います。イラストを参照下さい。
 まずは地磁気の変動からです。
 現状では8万年よりも新しい時代においてデーターが統計的評価に足りないのですが、この部分は時間と共に正確になると思います。地磁気の変動パターンが月の誕生後に変化したことは、スーパーコンピューターのシミュレーションレベルですが、こちらも明確になると思われます。
 月が誕生する1366万年よりも以前は、地球の磁場の逆転が起きにくかった様子です。この部分はデーターより明らかですが、1000万年前なのか1500万年前なのかが明確になりません。この時期の特定よりも、シミュレーションによる地磁気の変動パターンの変化が起きた部分が科学として明確になると思います。

 自転周期が操作された6万年前と3万年前には地磁気の強度が不自然に変動しています。1999年に古地磁気の標準変動曲線が公表されており、複数のポイントを評価して作られています。イラストはコピーのコピーなので見にくくてすみませんが、このグラフの6万年から3万5千年くらいまではそれまでの区間とは異なり、直線的に変化しています。
 この理由には、暦の変化に伴う地球のコアの回転数の変動が影響していると思われます。370日から360日に変化したときには、液体のコアだけ回転数の高い状態を維持したはずですし、大きな回転モーメントを持つのでその状況を維持した期間が3万年に近いのでしょう。右上の図のように内部にある渦が高速になって黄色と緑の間で振動した結果でこのグラフが描けると思います。
 左下のグラフではデーターは標準曲線よりもずれが大きく、信頼度がまだ足りないことを示していると思われます。今後の研究課題になるでしょう。
 この状況で地磁気の変動と地球のコアに関連性がある事が明らかです。もちろん地球に月が生まれるとそれまでなかった重力の影響を受けて、地球に月との間の共通重心が生まれます。始めは地球の重心に重なるのですが、月の成長に従い今の位置までずれるのです。このずれが12時間に一度の潮汐を生み出すのであり、恐らく以前の24時間での潮汐とは変化してくる所です。
 当然の様に地球内部のコアにもこの影響は及びます。液体金属のコアに流れる電流と磁力はその影響を受けるので、その変動状況を地磁気に表すことになるのです。
 その結果時期は1500~1000万年前となるのですが、この前後で明確に地磁気の変動周期が短くなっています。地磁気の逆転周期が変動を受けたのでした。
 当然ながら地球のコアという直接手の出せない場所にある巨大な物を動かす手段など誰にもないでしょう。巨大な隕石が衝突すれば地球に気象変動をもたらすので、その関係は明らかになるでしょう。この時期に巨大な隕石の墜落はまだ見つかっていないです。

 続いて地球の気象のデーターを見てみます。こちらもイラストを参照下さい。
 気象変動のグラフには数多くの変動点が出ています。イラストを見ながらこれらの変動点を確認下さい。

① 赤道環流が超大陸で流れにくくなっている時期 約1億7千万年前
② 多くの恐竜種を絶滅させた隕石の墜落時期 約6550万年前
③ ドレーク海峡の開通による南極環流の発生により、南北の循環が促されて地球を温暖化した時期。今のように冷気を留める効果もあるはずだが、この時は海流の発生により循環が持ち込まれて極氷が失われた。
④ 地球に入植した宇宙人が月を誕生させたことに伴い、海流が発生して地球全体を寒冷化した時期。約1500~1000万年前であり、海水への潮汐力が3倍以上になった結果である。隕石と彗星を集めることで月を作り上げている。遺伝子操作を意味する受精を模した遺跡は1366万年前を伝える。
⑤ パナマ地峡が完成し、赤道環流が停止した時期。約400万年前からの出来事であり、この時期から地球の温度を急激に下げて両極に極表が大規模に発達するようになった。海流の完全停止まで100万年かかったと思われる。
⑥ 彗星が人工的に墜落させられて、地球の温暖化が始まった12660年前の時期。北米のローレンタイド氷床(極氷)を破壊し温暖化を促した。

 この変動グラフの中では④の時期の低温化が月の生み出した3倍になった潮汐力の結果での出来事であると考えます。その他の時代は大まかに説明できていると思います。
 この中で重要な物が赤道環流の存在です。この赤道環流の存在は地理的には明らかですがその効果がどの様な物であったかは検討されてきていないのです。恐竜時代にはよく分からない事が多く、彼らの巨体をどの様に支えていたのかと、翼竜が飛べる理由に揚力が足らないことなどです。
 気象変動を説明する上で重要な物が、海流の赤道環流の存在です。こちらの赤道環流に対する仮説を以下にまとめます。

1)赤道環流は水蒸気の持つ温暖化効果により、極域との熱交換がない分熱的に暴走する。月のない時代は潮汐力も弱くゆっくりと流れる海流は熱を吸収し、大量の水蒸気を発生できた。
2)大量の水蒸気は大気層を厚くして、雲の出来る範囲を赤道部分で高さ1000km前後まで拡大できる。この時太陽光は曇によりリレーされて夜側に届くので、夜も植物が生長できるようになる。
3)大量の水蒸気は圧力を増大させる可能性が高い。赤道付近に圧力を1.2~1.4気圧に高める部分が生まれると、他の部分の圧力を高めるように働き地球全体の気圧を高める所まで温暖化が暴走できる可能性が高い。その結果で翼竜は飛翔できるようになる。

 現在の大陸の配置は赤道環流を許さないのですが、古生代や恐竜の時代である白亜紀からその後にかけては赤道環流が流れていたはずです。
 この時に赤道環流の海水の温度は北にゆく事はなく冷却されなくなるので、熱的に暴走して60~80度にさえ上昇すると思われます。地表の現在の気温を超えることにも可能性があるでしょう。これは水蒸気の温暖化効果の結果でもあるのです。
 そうなると、イラストの左図の赤線の部分に圧力の高い部分が生まれることになるのですが、この圧力が平衡に達するまで地球全体の気温を上げることが水蒸気の温暖化効果となるはずです。その結果北極と南極に氷がなく植物の生育できる環境が達成されることになるのでした。
 過去の時代においてこの状況は現実的にも達成されていると思います。その時に気圧は今よりも高い状況であり、その部分が対流圏を1000km近辺まで上昇させて内部に雲を発生させていたと思われる。今の雲の高さの10倍です。気圧は薄くても雲が出来れば良いのです。
 この高度まで雲が発生すると、雲により太陽光が散乱されて地球の反対側に届く様になると思われる。その時植物は24時間の成長が可能になり、巨大化した恐竜たちに十二分な食糧を提供できたと思われます。
 現在のような月を持たない環境下では、赤道環流が生まれると水蒸気の温室効果により冷却が出来にくくなるので、熱的に暴走して高い温度になるまで止める物がないのです。
 今の月は5度の黄道傾斜角で海水を南北に振り向けることで、極域の温暖化を助けています。3万年以前の月には5度の傾斜角はないのですが、海流を強化する分南北への広がりを持っていました。そして月がない過去は、潮汐力が1/3以下となり海流も今よりもはるかに弱く南北の流れも少なかった。
 熱的に暴走して60度や70度まで進展すると、70度で1.23気圧、83度で1.4気圧までの水蒸気圧による加圧が起きる事になる。この時に鳥類の揚力は気圧に比例して高まるので、大型の翼竜が飛べるようになる。この可能性が高いと感じています。
 残念なことに過去の気圧と湿度の情報は得られていないのです。研究者は判る部分しか考えないので、この部分が科学として真剣に検討されたことは恐らくないと思います。科学であるにもかかわらず判る部分しか見ないという状況であり、全体を考えると言う意味での客観性を全く考慮していない姿が明確に現れている部分です。

 白亜紀最後の恐竜時代の温暖化と寒冷化の始まりは以下の様に考えています。
 ②の時期以降は、パナマ地峡域において大陸の上下運動が起こりやすくなっており、その分海流が影響を受けて赤道環流の流れを強める結果になったと思われる。一時的に上昇し、その後長期間沈下した。こうなるとこのエリアの赤道環流を一時的に流しやすくします。
 これは10kmサイズの隕石がユカタン半島に衝突した影響で、その衝撃波がこのエリアの沈み込み帯に影響し、プレート間の抵抗を一時的に低下させたことに理由があると思われます。隕石が爆弾の様に作用しプレートの端面を衝撃波できれいに削り取る結果、プレート間の抵抗が減ってプレートの動きを加速することになるはずです。
 可能性の指摘ですが、日本では沖縄や小笠原など、沈み込みのある部分に隕石状爆弾の衝撃波を加えるとそれまでの力が解放されるので激しく沈むか隆起するかの結果となり、その後反対側への動きが始まることになるはずです。
 パナマ地峡はその後大きな動きをなくし、赤道環流はアジア大陸とインド亜大陸の動きで小さくなって③の少し前までに大きく量を減らしていました。この変化が気温の低下として長期間現れた物が、赤道環流のやせ細り化と停止です。
 恐竜について考えると、温度についてはピンクの矢印に示した0度より少し暖かい気温であれば、恐竜は生き残る事が出来ていたはずです。グラフの上では300万年前以降の零下の気温で絶滅したと思われます。

 この時期は両極に極氷が大規模に発達する氷河期の始まりです。氷河期の始まった理由は様々に語られていますが、まず、ミランコビッチサイクルで説明される氷河期の周期は、太陽の伴星の起こす歳差運動の周期である29834年よりも短く、現実を反映していない物です。この点で評価する必要性のない物になります。太陽の伴星の存在は遺跡の説明の記事にて行います。先史文明の遺跡にすべて共通する情報を残す物が太陽の伴星であり、その磁場を通じて既に地球に地震を起こせる所まで来ています。
 氷河期が周期的に温度を変える理由は、両極の極氷の成長サイクルの重なりで説明できると考えています。南極大陸の極氷の自励サイクルと、北極側の極氷の自励サイクルの公倍数で決まる周期により、極氷は増減を繰り返すことになっていたのです。これは氷床の持つ自然のサイクルの重なりであり、太陽の周期などの外部の要因ではなかったのです。イラストには本に出ていた自励周期の説明と、二つを重ねた場合の状況を書いていますので参照下さい。
 その結果過去は数万年間隔での間氷期の到来に期待が持てた事になります。この周期には極氷の具体的な成長状況が反映されるので、その時々の海流に影響されるなど固定した周期は持たなかったと考えられるのです。影響の強い周期は氷床の成長サイクルであり、その時々の気象条件により左右される揺らぎを持っていたはずです。この意味で統計評価に正確に答える値を持たないことになり、過去の現実を反映している事になるでしょう。
 ついでですが、現在の地球の極位置は北極に大規模な極氷の発生を許さない位置にあります。北極海の海流が極氷の大規模な発達を抑制しており、今では夏になると極氷の消滅を心配する状況です。過去の氷河期とは異なり、約3万年前の極移動により南極にしか大規模な極氷が維持できないので、その結果氷河期を生み出す両極の極氷と言う条件が崩れており氷河期のサイクルは失われています。今後極端に気温が低下しても氷河期のように長く続く低温期は維持できないでしょう。今の極位置では氷河期は過去の物になります。
 現在の温暖化議論は太陽の伴星の影響も考えませんし、過去の氷河期などの気象変動についても極移動も含めて現実を理解している状況にはありません。科学がねじ曲げられている実例として後で書く別記事に詳細を説明します。未発達な科学において結論を一つにするという政治的な介入が、石油を始めとする利権を求める存在達に利用されているだけの状況です。政治は間違った結論にノーベル賞まで与えており、ねじ曲げた結果を正しく見せることまでしている状況です。自己の利益を求める政治がノーベル賞を利用して、世界の人々を騙している姿がここにあるのです。

 この記事の最後は恐竜時代の終焉時期です。恐竜は6550万年前の隕石の墜落で絶滅したと言われていますが、実際にはその200万年後まではカナダやフランスで生き残りが確認されています。その後は化石が見つかっていないだけという所です。
 温暖化と寒冷化を考える場合、6550万年前の隕石の影響を200万年も生き残ることが出来たのであれば、カナダとフランスよりも温暖な場所ではさらに生き残りが出来たはずです。地球の温度のグラフは恐竜が低温でも生き残った時代を残しており、それよりも寒冷化する時期は300万年前まで続くことになります。
 6550万年前に大規模気象変動が起きて、一時的に気圧も失われたでしょう。この時点で翼竜が滅んだことには気圧変動を指摘できると思います。空が飛べる鳥類は生き残り、同様に空が飛べる翼竜が生き残れなかったのは、気圧が高くないと飛べない大型の体に進化していたせいであると考えます。その他の恐竜は温暖な場所にいる物ほど生き残りが出来ていたと思われます。
 この証拠になる物がイカの刻線石に描かれた恐竜たちです。多くの種類とマンモスなど最近まで生きていた種族も描かれています。人類が1000万年前に活動をしているのであれば、イカの刻線石の残された土地であるペルーでは、カナダやフランスよりも温暖でしたし、さらに温暖なアマゾン地区とも陸続きです。こちらでの生き残りが出来ており、南アメリカ大陸での広がりを持っていたのではないかと思います。アフリカの中央部も同様です。

 イカの刻線石には興味深い描写が見られます。イラストを参照下さい。ステゴザウルスが描かれているのですが、そこにこの幼生が描かれており爬虫類ではなく、両生類のように手足のない姿です。始めに足が生え、その後に手が生えています。これらは見ていないと描けない姿であると思います。
 恐竜の一部、ステゴザウルスは両生類的な特徴を持っていたと考えると、ワニのように絶滅を免れる事が出来なかった理由になるのです。ワニは水辺の動物なので乾燥には心配がなく水温の許す限りの活動が可能です。
 これに比較する両生類ですが、大型の両生類が残っていないように、寒さに弱いのでしょう。幼生は水温が低いと活動が難しくなるでしょうし、乾燥すると成長できる場所が限られてしまい、生存できる場所失うのです。小型化で生き残れない理由が低温化と乾燥化にあり、アマゾン奥地でさえも数度の低温下が起きたときに、湿地が減少してステゴザウルスを絶滅に追い込んだのではないかと思います。
 ネットで調べた範囲ですが、低温下による恐竜の絶滅を考える時、アフリカの奥地もアマゾンの奥地も化石を調べる事はされていないのです。地球の気象は低温化しており恐竜の成長出来る場所を減らしていたと思われますが、この状況を研究している物は見つけられませんでした。
 こちらとしては生き残りが可能なアマゾン奥地やアフリカ中央部の化石などの研究をせずに、6550万年前に恐竜が絶滅したというのは論理的でないと批判します。カナダやフランスよりも温暖な土地での生存には可能性があるのであり、この点は検証されていないのです。
 イカの刻線石が正しければ、恐竜は約300万年前までは生き残れていたでしょう。イカ周辺にはナスカの地上絵があり、共通する構図もあるのですが、こちらには恐竜は描かれていないのです。先史文明時代の遺跡として6~1万年前に残された物が多いと感じておりここには生存していない恐竜を描いていないのです。
 イカの人々はティアマトの破壊の様子を刻線石に残しており、その様子は数多くの遺跡に彗星とティアマトの破壊の様子として同様に残されています。彼らは見た物をそのままに書いて残す素朴な人々であったと思われ、恐竜の姿を捏造する理由に乏しいのです。
 私たちが地球の過去を知らないことが原因で、イカの刻線石は偽物にされています。ここまで調べて来た先史文明の遺跡群は、イカの刻線石に書かれている物が正しいと証明しているように感じています。

続きは520万年前の地殻変動についてです。

稲生雅之
イオン・アルゲイン