高松塚古墳の教えたハドソン湾極時代の月の白道と二十四宿 6月29日

 ホツマツタエと遺跡、神社のつながりが明確になってきています。これまで高松塚古墳の星図については、その一部が二十八宿として抜き出されて書かれていることもあって、何かを解析する必要性を高いと考えて来ませんでした。
 ここに来てキトラ古墳の中にある情報の総数が438であったと推定出来たことで、高松塚古墳についても何を伝えようとしているのかを、評価する必要が起きました。内部に残された情報の総数と、そこから計算出来る物に意味を調べる必要を感じた所です。
 前回の記事でキトラ古墳にAD4160年をホツマツタエとの関連で明確に出来たので、これで一段落だと考えていました。なかなか思うようには行かなくてまだ解析の足りない部分が心に浮かんで今回の記事となりました。
 高松塚古墳の情報の総数からです。イラストを参照下さい。

星数 183個 添付図よりの想像とその合計なので、星図によって前後する物とします。
人物像  4人x4カ所=16
太陽と月各一で      2
四神           4
星座 28宿+北極に2つ 合計30個
183+16+2+4+30=235

 実際に高松塚とキトラなどの資料によれば星数は118個が確認されています。想像図との差分は盗掘時に失われた数です。金箔をはがして持ち帰ったので数が不明瞭にされています。
 183という数はネット上に想像されていた星図からのコピーです。星の数は不明瞭でも推定出来る数があると思い作業を進めました。その結果はあっさりと235に行き着きメトン周期を表している可能性が非常に高いとなりました。28宿は月の27.3日周期の星座の巡りから作られた周期であり現在の暦の数値です。235月はメトン周期と呼ばれる太陽と月の周期が揃う19年という時間です。
 その他には

183x2-1 =365 現在の一年
183x2   =366 うるう年の一年
183x2-12=354 現在の月の周期
30 ハドソン湾極時代の一ヶ月
28/2=14 ハドソン湾極時代の月の地球を巡る1年の周期
30/2=15 ハドソン湾極時代の月の星座を巡る1年の周期

となりました。暦の周期を残していますが月を強調している事も間違いないと感じられました。
 こうなるとハドソン湾極時代の暦の数値を、キトラ古墳の天文図で探す必要があります。こちらの天文図が3~6万年前のハドソン湾極時代の物と推定が出来ているので、関連する数値を確認する必要が生まれたのです。
 ハドソン湾極時代の月の周期ですが25.723日前後と遺跡の組み込みから確認しています。この時1年に14周で月は地球の周りを同期して回ります。ほぼずれがなく14周で一年です。
 この時に月の自転は、星座を何度巡るかになるのですが、地球からの見た目に地球の公転分1回を加えて14+1=15回となります。当時の月は一年に15回、星座を巡ることになります。
 その結果、360/15=24日で星座を巡る周期が求まるのです。今の28宿が当時は24宿であるという結果です。

 これをキトラの天文図に当てはめることは簡単でした。星座の候補は複数あるので、天の巡りを24等分することは問題ないと思われます。
 加えて月は今の時代の白道とは異なり、位置のぶれが少なかったのではないかと思われます。そう考えるとキトラの中位の高度線がそのまま月の白道ではなかったかと思えるのです。今と比較すればほぼ不動の白道であったのかも知れません。
 この部分は明確にはならないのですが、この白道の近傍で24宿を選べる事はキトラの天文図の現実です。当時も同様ではなかったかと思える状況でした。
 キトラ古墳では28宿を見る時に星座が間違って書かれているなどの批判があります。位置がおかしかったり、星の数が一つしかないのに星座ではおかしいなどです。実際にどうだったのかは、3~6万年前の星図に遡る必要があると思います。今とは異なる形の星座が増えるので、書き写しの際の誤差も含めて評価すべきでしょう。現時点では24宿の為の天文図と考えると、当時この天文図が利用出来た可能性は否定出来ないでしょう。

 キトラに関連してはもう一点進展があり、アルケナルとαケンタウリが60度ずらされている理由にも、もう一つ明確な答えを見つけています。この60度はAD600年くらい天文図の黄道を、天文図に書かれているAD4160年くらいの黄道に回転したことが原因です。回転角は60度くらいで、黄道に加えてアルケナルとαケンタウリの2つの星も同時に回転していたのでした。
 理由はこの黄道を意図して選んだことに気づかせる為でした。ホツマツタエとの関連でAD4160年が明らかになりケフェウス座エライが北極星になる以上、関連する情報もこれに合わせてあったという事になります。黄道だけを回転しても間違いと見做される可能性があり、一般の方の現状はこの状況です。ここに2つの星も同時に60度回転されたことが明確になると、黄道の今の位置が意図した物である事を明確に出来るのです。当時の人々の残してくれた大きな工夫でした。

 AD4160年がキトラに明確に組み込まれていたとなると、エジプトのデンデラでも再評価が必要だと思えました。この点についての検討もイラストに載せましたので参照下さい。
 もともとデンデラでは女神ヌートの壁画に4160年が出ていますが、黄道12宮の壁画では明確になっていなかった部分です。
 デンデラの天文図もキトラの天文図も、絵の中心にある歳差運動の時期はほぼ同じに見えるほどよく似ています。比較することが始めから意図されていたからでしょう。ここにAD4160の位置を探してみました。
 デンデラでも天文図を見る上での問題があります。星座が星ではなく絵に対応しているので、星との対応が非常に難しいのです。それでも解説する本があるので何とか作業を進められています。(星座神話の起源)
 星図の中央の少し左上に大きめの星座でカバの女神が描かれています。タレウト女神という名前でメレケトという天体観測道具を持っています。天文に関連する何かを情報として持っている事を暗示させています。

 イラストにはこちらの想定する歳差運動における北極星の移り変わりを水色の円で描いています。こぐま座が明確にならないのですが、位置としては犂(すき)に乗ったオオカミの先端が北極星かも知れません。この場所をハヤブサのホルスが眺めておりその先にはAD4160年の北極星の可能性のあるタレウト女神の頭があります。
 タレウト女神の頭部にはワニの一部が重ねられており、この部分をケフェウス座に見る記述があります。この部分に北極星が移ってゆく可能性があると思われます。
 古い星座では、バビロンで牝ヤギと犬という星座がこと座であると確認出来ています。天文図ではタレウト女神の上側にあり、ベガが北極星になる事を暗示しています。
 デンデラの天文図からはAD4160年をハヤブサのホルスが見据えている点が、この構図の意図した物であるのでしょう。今現在の時期の伴星接近だけでなく、AD4160年の地殻変動にも備える事を促す構図にされているのでした。そしてタレウト女神は自分の周りを周回する歳差運動をメレケトで計測しているのでしょう。この構図では彼女が歳差運動を象徴しています。
 高松塚での天文図には中心の北極域に北極五星と四輔が描かれており、こぐま座とケフェウス座です。デンデラ同様にAD4160年に向けて北極星の位置が移ってゆくことを表しています。キトラは今の中心から、描かれているAD4160年の黄道の中心へと移動することで同じ動きを表現していました。

 今回の気づきにはまだ続きがあります。24宿が明確になったことで、ハドソン湾極時代の暦の周期の計算にも再検討が必要になりました。
 サルミジェゲトゥサ・リージア遺跡では太陽の周期を計測するサークルがあり以下の計算で太陽の周期を計算しています。

104x82x38 =324064 日 サークルの計算
900x360+64=324064 日 方形ストーンの計算
900x360+60=324060 日 双方の組み合わせの計算
324064/900=360.071・・年/日
324060/900=360.066・・年/日

 これまでの計算で、ストンサークルに210=14x15の組み合わせを見つけており、この部分を月の14周を15年単位に計測すると考えていました。その結果は

900/15=60

となり324000+60=324060としていました。
 これに対して今回15周を14年で計算しても良いと分かりました。すると

900/14=64.285・・・
 
となって64.28は65にすべきかも知れない状況です。少なくとも64よりも大きいでしょう。当時の計算は整数にこだわるので、65とすると

324065/900=360.072・・年/日

が追加で加わる一年の長さになります。
 もう一点加える必要があります。月の周期で割り戻す計算です。月の14周900年の長さを求める計算です。

324065/900/14=25.71944・・周/日
25.72 x14x900=324072  日
25.719x14x900=324059.4日
25.723x14x900=324109.8日

 月と太陽の周期が同期していれば単純に25.71944・・日になるのですが月の周期は海水の摩擦力で遅れて行く物です。15年14周で計算する時は25.719になるので、324060にも確からしさを感じます。324060~324065までの6日間を重視して計測をしていたのではないかがここでの結論です。過去よりも一日増えました。また、月の周期は25.72日の近似が一般的であったと思われます。
 結局の所はまだ数値が明確にならないのですが、月の900x14=12600周や900x15=13500周を数えて、月と暦の一致する太陽の周期900周とのずれ量を比較していたかも知れません。
 ここまで過去の暦の計測が明確になったので、この数字を改めてキトラと高松塚で探します。すると数値の100分の1として

キトラ
68x2-1=135
1+4+4 =9
12x2  =24周
高松塚
183-28-16-4=135
(16+2)/2   =9
12x2       =24周

となって星座の1年15周を組み込んで残していました。14周で126にも出来る部分はあると思いますが、すんなりとはいかず星座の回転数にこだわっているのでしょう。24宿を伝える為にある程度の制限をしているのです。現在のメトン周期235月の対応として、ハドソン湾極時代の太陽と月の周期の計測値である13500を選んで残した物と思われます。

 これまでの検討で、デンデラの天文図が黄道12宮を表していることは明確でしたが、キトラの天文図が月の白道とその24宿を表していることには気づいていませんでした。それぞれの遺跡がAD4160年とAD20xx年の伴星の接近も伝えていることは間違いないと思います。
 この地には先史文明時代に極移動が起きており、極移動前の暦がハドソン湾極時代の暦として、それぞれの遺跡の天文図に残されている事が明らかになりました。3~6万年も遡ったり進んだりしないとシリウスやプロキオン、アークツールスなどの星の位置が明確にならないのです。現在の天文図に当てはめようとして失敗しているのですが、先史文明の存在を認められるようになる時になってやっと、ここに残されている天文図の意味が理解されて、太陽の伴星の影響とAD4160年の地殻変動の情報が広まるようになるのでしょう。その時を待っています。

稲生雅之
イオン・アルゲイン