神社と遺跡とホツマツタエに組み込まれていた4160年 6月28日

 藤原京の遺跡としての橿原神宮と、神武天皇陵が富士山の火口に69.333度で6倍にして4160を向けている事を紹介してきています。ADで表現する4160年に地殻変動の始まる可能性があり、この時期への対処を今の私たちに促す為の情報の組み込みです。4160は重要な数値なのでこの関連がホツマツタエにもあるはずだと考えてその検討を続けていました。
 資金繰りは続かないし、地震や噴火などの変化を待っていますが、まだ時間があるのか変化は起きていません。まだ公表すべき何かが残っているのかと考えたのですが、一点検討を洩らしている部分に気づきました。
 ホツマツタエの中に北極星の高さが36度になるという表現がありました。この事自身は今の現状に一致するので一般の関心が低くなるのですが、現実を考えると北極星は移り変わります。この点をうっかりしており875を検討しながら高度36度の意味を詳しく考えていませんでした。

 改めて調べ直した結果ですが、奈良の橿原神宮のある位置でAD4160年において、ケフェウス座エライという3.21等星の星が高度36.396の北極星になる事を確認しました。この時期の前後では最高高度はこれよりも大きくなります。そして光度がこれよりも明るい星では36度は難しく、暗い星は有名なりゅう座ツバーンが3.67等星、ヘルクレス座γが3.74等星でした。時期は大きくずれるので、36度の意味はAD4160年を伝える事にあったと明らかになりました。
 キトラ古墳の星図はAD4300年くらいになるのでAD4160を意図した物だと思われますし、組み込まれている星の数を348にすると星座数68との和が416になりこの数でも875の表現と両立可能です。藤原京は前述の通りなので、ホツマツタエを含めて一通りが先史文明の神社、遺跡、遺物として残された物と言えるでしょう。共通してAD4160年への警告を伝え、様々な関連する情報を組み込んで私たちに伝えているのです。
 ホツマツタエとキトラ古墳の875が明確になったことで大きく前進出来たと考えていましたが、4160を説明出来ていなかったので画竜点睛を欠いていたのでしょう。待たされても文句は言えないと感じた所でした。

 ホツマツタエの解説です。
 高さ36度の説明は以下にあります。はじめてのホツマツタエ地の巻、ホツマツタエ御機の二十三、御衣定め剣名のアヤ。

瓊(ト)の神~徹るマコトの トの教ゑ P125~126
 私は瓊の道によって国を治めるので、臣も「トミ(瓊身)」なのです。
 というのは、元々明けの天御祖神がおられる天上界は人間の目には見えませんが、その場所を北極星が示してくれています。だから、今ここに立って北の方角を仰げば、仰角三十六度の位置に瓊の神がおられ、目には見えなくとも、そこを中心に広がっている神の世界が私たちに国の在り方を教えてくれているのです。

 原文でも確認しています。あと、上記はイサワ宮である伊勢でのお言葉であり伊勢での角度を強調しています。

北の星 今この上は
三十六目の 瓊の神居坐す

 天の一周が三百六十であると言う表現は他にもあるので、この三十六目を角度の三十六度に読む部分は問題ないと思います。北の星が北極星かどうかですが、訳文での前後より推定して間違いないと思います。
 北極星が仰角三十六度になるのは様々に可能です。

1)緯度が34.5度の奈良においては、AD2300前後に北極星が最大高度で36度になる。時期に意味はない。現在は最高高度35度。低いと34度で一日周期で高さが変わります。
2)アマテラスの育った筑波のイサ宮では緯度が36度になるので、今の時期に北極星の平均高度が36度になる。
3)アマテラスとトヨケ神の埋葬地が天橋立の北側にあり緯度が35.5度なので、現在の最高高度が36度になる。アマテラスは埋葬後に伊勢に移されている。
4)AD4160年を選ぶと緯度34.5度の橿原神宮、伊勢神宮、神武天皇陵、キトラ古墳において、最高高度36.396度前後になる。キトラと伊勢は-0.04度、神武天皇陵は+0.01度程度のずれ量になる。この時北極星は子熊座ではなくケフェウス座エライであり3.21等星になる。

 天文ソフトを動かして調べてみましたが、AD4160年前後以外ではりゅう座ツバーンの3.67等星、ヘルクレス座γの3.74等星が36度の北極星になれる候補でした。他にもこと座のベガやはくちょう座のデネブも高度39度前後での北極星になれれる所でした。36度ではケフェウス座エライが最も明るく時期が一致する条件でした。他は何千年もずれることになります。イラストを参照下さい。
 地球の持つ歳差運動により地球の回転軸がゆっくりと揺らいでおり、北極星はその動きに応じて移り変わります。その周期は一般には25800年前後にされています。遺跡の伝える数値は29834年であり今現在はその最速値の25920年に近いとされています。遅くなると34560年まで遅くなるのであり平均値が29834年です。
 ホツマツタエではこの動きを意識して数値を残していたのです。今の時期には太陽の伴星の接近が重要なイベントでありAD2049~75年です。この時期をこぐま座の北極星を使って天橋立の近くの神社で伝えるだけでなく、さらに重要な時期であるAD4160年をケフェウス座の北極星で伝えているのでした。多少の誤差はある所ですが、こぐま座の北極星はAD2100年でしたし、ケフェウス座はAD4160年で良いと思える数値でした。高度に誤差が0.4ほど伴うのですが、これを良しと考えるだけです。

 キトラ古墳の状況もまとめ直しておきます。星図の星の数を350個から348個にすると、416をも含めることになります。

星の数      約350 (ここでは348で計算する)
星座の数       68
書かれている十二支像 12
書かれている四神像   4
月と太陽各1      2
赤道の円        1
高度の円        3
合計        438
438x2-1    =875
(438-4-2)x2=864
348+68     =416
 
 この数であると考えると、前記事の説明には矛盾せずに416までを含めることが可能になります。星の総数を348に調整する部分はもともと暗い星を削ることで可能なので、当時の先史文明の作り手は、その様に考えていた可能性が高いでしょう。この情報の総数は高度の円を3つとも利用するので数え方による恣意性は低いでしょう。

 イラストには藤原京の説明イラストも載せておきます。参照下さい。69.333度で6倍すると富士山に重なる説明です。

藤原京の教える日本の古代史1/2 12月16日一部追加
http://www.biblecode.jp/News_View.php?@DB_ID@=332
藤原京の教える日本の古代史2/2 12月17日追記
http://www.biblecode.jp/News_View.php?@DB_ID@=331

 今度こそ一段落と考えたい所ですが、未知の仕事なので一歩一歩の進みでしょう。この記事を書いている今の時刻は17時半で、地震をチェックすると15時前後に二カ所同じ場所での地震が和歌山県北部で起こされています。この分は確認が必要なので、内容次第ではメルマガにも添付して送る事になるかも知れません。
 情報公開が進む流れが始まることを願っています。

稲生雅之
イオン・アルゲイン