西洋文明の悪を理解すると日本古来の文化が見直される時が来る事になる 12月1日

 日本の歴史は西暦663年の白村江の戦いで、中朝連合軍に負けた後は、日本古来の文字を失い、その当時までの歴史をも放棄して、中国に媚びる姿勢に転換してやっと、国としての最低限の自立を保ってきているのが現実的な歴史の姿です。
 この敗戦により、敗戦を認める文書として、日本書紀と古事記が漢文で中国に渡されて、国としての過去と、文字を失っているのでした。今に隠されて残るホツマツタエこそ日本古来の姿であり、このホツマツタエを悪意を持って改ざんして、嘘で中国を褒めている物こそ日本書紀と古事記です。
 これらは敗戦故に作り出されている、悲しい敗戦の外交文書その物なのでした。歴史的にはカディシュの戦い後の外交文書と同レベルであり、自国の敗戦を自国向けには自国の言葉で嘘で隠し、相手国向けには相手国の言葉で負けを認めてへりくだるのでした。古来のヲシテ文字を失い漢文で作られた事実こそ、敗戦における外交文書の証しなのでした。
 この現実は、ホツマツタエと比較しないと分かりにくいでしょうし、現実の古墳との対比も必要なのです。日本最大の古墳である岡山の仮称旭川古墳は古墳として認められず、大型古墳である造山古墳と作山古墳は、日本の大和朝廷に謀反を起こして破壊された地方豪族の古墳にされているのでした。
 岡山のこの3つの古墳群は先史文明時代に作り上げられた物であり、この破壊には未来の計画を隠す意味こそ重要であったのでした。この3つの古墳からは、2022年の今の時期における、政治的な変化の中身を告げる組み込みが、破壊されても分かるように配慮されて残されていたのでした。
 未来が計画されて実行されている部分は、普通に生きていると認められない物でしょう。しかしながら先史文明の遺跡は歴史の重要なポイントを、イベントの起きる場所に向けて距離と角度の数値で組み込んで残しています。
 世界大恐慌、第二次世界大戦、最近では911同時多発テロからサウジアラビアでのアブカイク石油基地への米軍の巡航ミサイルテロ攻撃までを、過去において計画されてきた、今の時期の未来の計画として、組み込んで残しているのでした。

 善と悪とでそれぞれに未来の計画が存在しており、それぞれの望みをかけて争いを続けている姿こそ、この世界の現実です。争いに勝った側の未来の計画が現実化するのであり、過去の歴史を物語るのでした。
 私達は先史文明の後を継ぐ存在ですが、先史文明の姿を忘れる戦いを強制されているので、約5千年前の勝者である、悪魔を名乗る側の存在達の作り上げている歴史の姿に、自分達本来の姿を隠されているのでした。悪魔達も自分達の先史文明時代の姿を忘れる戦いを強制されている様子であり、それぞれが高度な科学技術を持った先史文明の武器を手放して、地球を破壊しないで済む、剣と槍と弓矢の争いから、この世界の覇権を求めて来たのでした。
 政治の世界の変化はたくさん記事を書いているので、そちらを参考にして下さい。この記事には失われている文化について、私達日本の文化への見直しが必要だと感じるので、その内容に触れておきたいと思います。
 私達は人間としての健康を失わされる時を過ごしており、第二次世界大戦以降人口は爆発的に増えているのですが、その一方で健康被害を非常に大きく蓄積しており、科学の力を借りないと子供が産めなくなるまであと20年くらいしかないと感じるのでした。
 そこから何年で科学の力を持ってしても子孫を残せなくなるのかは不明瞭ですが、今の社会はその方向に進んでいるのが、歴史的にも統計的にも間違いのない現実であると言えるでしょう。これを変えないと私達は未来を失う進化をした人間だと言う事になるのでした。これは変えられる未来なのであり、悪魔達の望んだ崩壊する未来を、永続する平和な未来に修正すべき時を迎えているのでした。

 以下はここしばらくでこちらが自分の体験を元に考えている、日本の過去の文化です。私達は明治維新で進んだ西洋の文明に追いつくことを考えて、脱亜入欧で努力して今があるのでした。日本古来の文化は一方的に西側の文化で置き換えられた物が多く、いわゆる日本人としてのアイデンティティーさえも失っている部分が多いのでした。
 今これを書く理由は単純です。まもなく西側の文明こそ悪魔の主導した文明であると明らかになるのであり、欧米諸国も悪魔達の嘘のない世界に向かって大きな転換点を迎える所です。私達は、西欧文明が進んだ物として魅力的に見えたのでそれを受け入れてきたのですが、その実体は一部の人間が利益を得るために他者を平気で犠牲に出来る、強者総取りの文明であって、弱者の生きる権利を踏みにじってこその、強者の姿であったと理解するのでした。
 彼らがそのままに強者であるなら、周辺には奴隷しか産み出されないのですが、彼らは愚か者であって、自分達の欲で未来を失う変化を呼び寄せる結果になるのでした。私達日本人としては、西洋文明の現実の姿に、一部で非常に大きく幻滅し、一部でその良さを理解して残す変化の時を迎えることになるのでした。
 日本人の健康が、世界の人々でも同様ですが、WHOの主導する嘘の医学で、国際医療資本の利益に変えられている現実が非常に大きくあるのです。教科書に嘘を書いてそれを実現することで、病気を増やして治療費と医薬品の利益を追求しているのでした。
 これを変えるには正しい医療の知識が必要ですが、医療その物が嘘まみれなので何が正しいのかを迷うところです。ここに過去の歴史に裏打ちされた生き方の中にある、医療の真実に通じる現実の姿を探せるのでした。
 様々にこの種の話は出てくると思います。この記事にはこちらが実際に体験もして実証している過去の姿を紹介して、変化を促せる材料に出来ればと思っています。

 まずは足元の健康です。
 日本は玄関で履き物を脱いで、家に上がる生活様式、高温多湿に対処しやすい素足が昔は重視されていました。足の指と、古来の履き物について検討してきたところで、日本の履き物が主に突っかけになるので、足の親指と人差し指で挟んで持ち上げる形になると理解出来ました。履き物に左右がなく、持ち上げる部分で左右に釣り合う形になって、履き物が水平になるように配慮されているのでした。傾けば当然ですが、地面に近い側が当たって歩く上でのバランスを崩すのです。これを避けているのが当時の履き物一般だったのでした。
 その結果で指先に力が入る歩き方になるのです。その結果で指に曲がりが出てくるほどになるので、江戸時代の絵に描かれている足指の曲がった姿になるのでした。イラストを参照下さい。
 海外では例えばエジプトなどはサンダルであり、足にくるぶしと足首までを縛り付けるタイプです。天候による区別もなかったのかと思われます。エジプトでは恐らく家でもいすに座る生活なので、靴を脱がず履きっぱなしになるのでしょう。ここに履き物を持ち上げて挟む必要もないので、デンデラ宮の女神ヌートのように、その他のエジプトの壁画と同じ様に、足指はまっすぐになるのでした。今の私達と比較しても同様であり、江戸時代の絵画とは大きな違いがここに見られるのでした。
 当時は日本では座る生活なので、足の臭さが気になっていたのだと思われます。履き物には普通に臭いがつくので家の端にある玄関だし、素足が昔は普通であったのも、臭いが水で洗い落とせるからだと思えるのでした。
 これは座る生活を実践して見て実際に感じる部分です。革靴を履いて外出すると、履けば履くほど靴は臭くなり、靴下にも臭いが移り、足その物まで臭くなるのでした。いすに座ると距離があるので臭いが抑えられるだけであり、畳に座る生活だと、足の臭さが気になるのでした。これは水で洗えば良いだけです。
 こういった物には、人数が多いほどに影響が出るので、素足が臭いのつく足袋よりも重視される理由にもなったと思えるのでした。寒い時だけの足袋なら、低温により臭いは気になりにくいのでした。江戸時代の城内における正装は素足であり、老人は申請すると足袋をはくことが許されたと言うのが歴史の姿なのでした。
 これは生活様式の差から来る部分であり、文明における、その気象条件の違いから来る、着物と履き物の差から来ることになるでしょう。

 あと古来の履き物で長距離を歩くのにわらじが使われているのですが、この良さにはもう少し続きの検討が必要になる所です。飛脚が使ったと言われるナンバ走りとナンバ歩きをある程度再現してから、わらじと足指と、それぞれの走り方、歩き方への影響を考えることまで必要になると理解出来たところです。

 靴下と靴が当然化している今の世界ですが、これで健康的に清潔かと言われるなら答えは全くもって否であり、日本の昔の雪駄や草履、下駄の方がはるかに清潔であると、気象条件次第ではあるのですが、今なら理解出来るのでした。日本の高温多湿の環境では特にその差があからさまになるのでした。

 わらじについて今分かる部分もあり、普通の歩きに使えばつま先とかかとがすり減るので、直ぐに傷むとなる。この点わらじはナンバの場合、足の裏の全面を均等に使うので、すり減りにも強く、合理的な履き物にさえなる。そして同時に、膝にかかる負担、衝撃の強さを和らげるので、エネルギーロスが全てではない長距離においては、大きな強みになる。職業として何十年も走るのであれば、この部分こそ最重要かも知れない。
 ナンバ歩きと走りを研究している人の、足にかかる負担のイラストを載せておきます。足への負担が分かりやすいのでした。かかととつま先が地面にめり込むのが西洋の靴で、ナンバスタイルだとめり込みがないのでした。その分衝撃が抑えられて膝に優しいのは単純な物理学です。
 参考までに古来の日本には足半と言う履き物もあって、文字通り雪駄の後ろ半分がないに等しい物になります。これも当時の戦場では合理的であり、泥沼で雪駄が泥に張り付いて脱げてしまうことを防ぎ、足を簡単に動かせるとなるのでした。
 これだと雪駄と下駄を履き分ける必要のない全天候対処です。汚れても洗えば良いので、小さいこともあって使い安かったのではないかと思われるのでした。上野の西郷どんも履いているとのことであり、彼が戦場に立つ覚悟の表れでもあるのでした。寒冷地の雪に対処出来ないので、軍靴に変わっていったのが歴史の流れだと思われる所です。
 取り戻した方が良い文化を取り戻す上での参考情報であり、着物の復活と合わせて意味がある動きになるでしょう。着物は帯が内蔵を気温変化から守ることになるし、ここにも高温多湿に向けた通気性が強調されていて、失われている合理性を取り戻す部分にもつながるのでした。洋服に雪駄は抵抗を感じるでしょうが、着物であれば問題なしが現時点でしょう。どこまで良いとこ取りが出来るかはこれからです。
 高温多湿の日本においては、革靴と靴下は蒸れて水虫や、皮膚の疾患を呼び出すだけだと言えるのでした。雨が降れば中が濡れて足がふやけてそこでも皮膚を汚して、皮膚病を起こしやすいのでした、
 これは裸足に雪駄などであれば、蒸れることもなければ、濡れても乾くまでの時間が段違いになるのでした。

 こちらの実体験で、クロックスもどきの草履を履いて靴下なしで12月になった所です。年中裸足が昔の人達なので、どこまで我慢できるのかを試しているところです。ここまでの状況としては、手の指が冷たいと感じる時でも、足元にはそのレベルの寒さを感じないのでした。個性もあるでしょうが、手の指よりも足の方が血流が多くて寒さを感じにくいのかと思えているところです。臭いと健康という意味で、革靴+靴下との差を、1年を通じて明確に出来るところまで、あと少しでしょう。健康的なのは全くもって現実です。
 遡ること8月頃にスーパーの100円ショップでクロックスもどきのスリッパを買えて、それ以降を裸足でクロックスもどきにしています。学べたことがあり、昔の歩き方だと言えるのでした。山のまたぎの歩き方です。
 今年も富士山に登れなかったのですが、来年は大丈夫でしょう。ここに向けて地下足袋登山をやろうと思っています。これは登山の常識に反するのですが、物理としてはクソ重たい登山靴を履いてエネルギーを非常に大きくロスしながら、苦しい登山をする理由が分からないのでした。
 クロックスもどきは、地面を引っかけて歩くというスタイルを教えてくれています。少し前にスリッパ状態で2km程を走ってみたのですが、特に問題なく走れたのでした。わらじこそ江戸時代の長距離歩きの道具ですが、このメリットに重なる物を見いだせた気がしているのでした。
 富士山には3回くらい登っているので、続きを地下足袋で登ると、重たい登山靴との差を理解するでしょう。ナンバ歩きもマスターして、色々足をならすなどに準備はあるのですが、防水の地下足袋で登頂して、その差を明確にしたいと思っています。過去の歴史と物理を無視して、重たい登山靴を売りたい人達の偏向を大きく変えられるでしょう。重たい靴には足首の捻挫を守る以上の大きな効果はないのでした。これを自分で制御してこそのまたぎです。準備さえすれば誰にでも出来る体力温存登山になるのでした。
 スポーツを見ても、現状は運動靴の、西洋靴の宗教の状態でしょう。裸足のアベベ氏がオリンピックでマラソンで優勝できたのに、靴の方が優位だという理論が今は優勢でしょう。軽ければ軽いほど肉体への負荷は少ないので、技術の進歩と共にどんどん軽くなるのが今の姿でしょう。裸足に近づくのでした。
 今回の検討は、足指の使い方が畳で座る生活の人々と、いすに座る人々で大きく筋肉レベルで異なることを教えてくれました。医学としてはこれをスポーツに利用できるはずだとなるのです。分かりやすいのはサッカーやアイススケートでしょう。
 サッカーで足袋のように、親指が独立した靴を作ると、これまでとは異なるキックが可能になって、フェイントの幅が広がるでしょうし、ボールの回転をこれまで以上に制御出来るはずです。観客はスーパープレイを望むのであり、ここに改善の余地があるのでした。指の位置に合わせて足の裏のスパイクの位置までを調整すると、その効果は顕著に出るはずなのです。踏ん張りが効果的に出来る様に変わるのでした。

 日本人の足と、エジプトの女神ヌートの足の差に戻るのですが、日本人は西洋人よりも、小指の関節の骨が1つ少ない人が多いそうです。
 足の小指が親指と同じく2本の人は欧米人が35〜48%に対して、日本人は75%もいるのだそうです。これが1366万年前の民族別の遺伝子設計なのか、それとも環境に応じて変化した物なのかは今後の医学の進歩で分かるでしょうが、少なくとも太古の昔から日本では草履、雪駄に下駄で、わらじも含めた足元の靴の文化だったのではないかと思うのでした。
 この差が環境で生み出されているとすれば、日本の高温多湿でエジプトよりも歩きにくい環境が、履き物を通して安定感のある2本の小指の骨を実現したのでしょう。骨の違いはこう書けるほどの違いなのでした。
 私達は自分達の歴史を忘れているので、如何にも履き物が草履やわらじから靴に進化したと思い込んでいるのですが、これは進化ではなくある種の退化でもあるのであり、自分達の進化を放棄する行為でもあったと思えるのでした。
 残るアイススケートに話を戻します。
 スケートで上手く滑るには、スケート靴の下についている歯を、如何に適切にコントロール出来るかが大きくその実力を左右するでしょう。
 これまでの概念で見るなら、足を強く縛り付けて、下部にある歯を正確にコントロールする精度にするでしょう。靴の概念で見るなら、闇雲と言える程に、きつく縛ることがコントロールの精度に直結して当然です。
 ここを物理の概念で見直すと、親指と小指の間隔を広く取るほど精度の向上であり、靴の中で親指と小指が個別に固定されることが鍵になるのです。これは単純な物理なので、靴の内部を少し改造すると、歯を制御する精度が向上するのでした。
 さらに続きがあって、足の筋肉の構造です。ゴリラと猿の構造を基本にしているのであれば、足で木の枝をつかむ部分が多少なりとも残されているはずです。日本人としては親指と人差し指で雪駄やわらじを挟んで釣り上げる部分ですが、足の裏として物をつかめるのであれば、その握る力を利用して、歯を制御すべきとなるのでした。
 この意味ですが、単純に親指と小指を離せば良いのではなく、適切に5本の指で物をつかむように、歯を制御出来る構造を作り上げることになるのでした。ここまでを考えて靴を作ると、歯の制御が段違いに良くなると思えるのでした。
 ここまで来ると理論物理と理論医学の世界なのでそれぞれ実験で結果を出してこその現実の科学です。続きは未来のスポーツが実現してくれることになるでしょう。

 見栄を張って革靴を履くよりも、江戸時代までの文化の見直して健康に生きる事の方が重要ではないかと思うのです。西洋の嘘にまみれた文明を模倣しても、出てくるのは戦争の結果で崩壊する未来でしょう。こんな物など分かっているなら誰も求めないのであり、その姿である革靴と靴下に、魅力を感じる必要などないのでした。これは変わる時に大きく変われる現実になると思えるのでした。

 食事についても変わる必要があるのです。白米一辺倒の状況が変わらないと、がんや糖尿病を始めとした過剰な糖質により起こされている健康被害を減らせないでしょう。
 日本で言われてきた五穀豊穣は、お米だけに依存しない食生活でしょう。これを現代で書くとしたら、個人的ですが以下がそのサンプルです。
 五穀を、お米、小麦、大豆、ジャガイモ、コーンに選ぶことが出来て、今は主食で将来副食のメニューをたくさん揃えることが出来るのでした。昔はジャガイモとコーンの代わりに栗と稗でした。お米に混ぜる炊き方が今も残るその姿です。

a)玄米餅米のご飯(普通に炊けて普通の玄米よりも臭くなくて美味しくGI改善)
b)繊維を多めに含んだ小麦粉のパン
c)お豆腐
d)茹でジャガイモ、ジャガイモパン、ジャガイモ主体の副食
e)繊維を多めに含んだコーントルティーヤ

 これ以外にもパンは様々に組み合わせが可能ですし、大豆とジャガイモは糖質オフをそのままに達成できるのです。ここに他の穀物も加えて、糖質依存を低下できれば良いのでした。
 お米ばかりを食べる、小麦のパンばかりを食べる生活は、糖質という麻薬に魅せられた生活でもあり、その依存を手放すことで、「簡単に」健康になれるのでした。
 バターの旨みとの組み合わせを使うことで、簡単に砂糖・糖質依存から脱却できるのでした。甘みだけが全てではなく「旨み」も重要な味覚の満足なのです。ここではお豆腐以外はバターと組み合わせると、さらに美味しくなるのでした。
 この現実を理解するところに私達は来ているのであり、この現実を広めて白米依存と白パン依存を解放できれば、国民の皆さんの健康にそのままに寄与出来るでしょう。
 この記事を書く前に、久しぶりに干しぶどう入りのカンパーニュを焼いて、過去同様に焼けることを確認しました。糖質を減らしたいので、その続きをやれるところに戻ったのでした。
 改めて調べた所でジャガイモを繊維の代わりに入れると糖質が大きくオフできることを知りました。ジャガイモパンで糖質を簡単に30%オフまで美味しく出来たのですが、これを60%オフとかまで可能性がありこれから試すところです。
 あとは脂肪を燃焼するメニューに対応すれば良くて、オメガ3油を少量意識して取り込むことで、油を多めに取り込んでも体がそれをエネルギーに変えてくれるようになります。過剰な糖質は普通に脂肪になって溜まるので肥満になるのですが、油を多めに取り込んで糖質の代わりのエネルギーに変えると、ここでも脂肪が燃焼されて太りにくくなるのでした。
 医学の詳細は改めるのですが、糖質制限で痩せるよりも、はるかに体に負担が少なく痩せることにつながるのでした。そしてがんや糖尿病を避けることが出来るのですから、食生活を変えることこそ、現代日本においては、健康回復への近道です。

 食事については酵母の活用も重要になると考えています。アルコールを自製してはいけないなどは日本の狂った行政の姿であり、悪魔が去るとお酒造りは地方産業を豊にするほどになるでしょう。国家が奪う正当性のない手軽な楽しみになるのでした。昔は軍備の費用確保が目的でしたが、今は酒造メーカーへの利益供与でしかないのでした。利益に溺れるだけの官僚はこんな物を自己の利益にすり替えるのでした。彼らが国民の利益など全く考えていない姿を明確にしているのでした。
 関連して縄文時代に土器を使って、今の蒸留酒である焼酎が作れていたことを明確にしたいと思っています。ここでは手軽に出来る干しぶどう酒とリンゴ酒を作り、蒸留装置を手に入れてブランデーにする所までを実戦したいと思っています。当時は様々な果実を用いて、お米も芋も、麦もありでしょうが、主にヤマブドウで焼酎が造れていたと思うのでした。昔からそれなりに豊かな食生活が出来ていたと思えるのです。
 お酒作りは簡単なので手軽に楽しめますし、食生活の一部であるべき健康につながる部分を持つのでした。お酒が体に良く使える部分だけではなく、例えば酒粕なども、料理に生きるのでした。農業で言うなら肥料になるのであり、命ある物はとことん使い尽くせたと言えるでしょう。
 酵母はどこにでもいて、空中から取り出せるほどだと書けますし、干しぶどうでワインを作るなどは、干しぶどうを水に入れて20~25度前後に保つだけでワインになるのでした。作り始めには酵母をたくさん含んでおり、これをパン作りにそのまま使うことも可能です。
 縄文時代の蒸留酒については歴史家の皆さんにも興味を持って頂けるはずであり、山にある果物で発酵酒と蒸留酒を造って歴史と当時の料理を楽しみましょう。神社の神様も喜ぶでしょう。昔の祭礼の姿でもあると思います。
 たいしたことではないのですが、昔からお酒にしても食べ物にしても、楽しみと慶びを求めての作業だったでしょう。今は自分で作ることは少ないのですが、これを糖質過剰にして健康と命までも奪う姿で自己の利益を追求する医療関係者は、生き残りが非常に難しい社会になるのでした。詐欺師はいつの時代にも存在しているので、ゼロになるのはまだまだ先でしょう。

 昔の農家では、日本酒やどぶろくを自分で仕込んで飲むことが普通でした。特に酵母で発酵させることにより、糖質一辺倒からタンパク質や他の栄養素を、酵母が産み出してくれるのです。妊婦にはどぶろくを飲ませよみたいな言葉まで残されており、栄養価が高いのでした。
 日本酒造りでは酒粕が出てくるのですが、ここに栄養がたくさんあるので、茹でるようにアルコールを飛ばして甘酒でしょう。これで妊婦さんの栄養を確保していた部分までは明らかだと思います。
 普通に考えても、白米+日本酒で食事を取るなら、白米を止めてどぶろくで代用する方が健康的だと思います。前者は糖質主体ですが、後者には醪の成分の栄養がたくさん含まれていて、しかも酵母が生きた状態で取り込めるので、腸の健康にも寄与するのでした。酒粕はチーズと相性が良いと聞いたので、これもピザのように食べられるかを試すところです。お米を使った五穀の副食になれば、どんどん糖質を減らせると思うのでした。
 自分で作ると工夫次第で安く出来ますし、慣れずに費用がかさむとしても、作る楽しみを味わうことは出来るでしょう。酵母に生かされた生活をしているという部分が、様々な面から実感できるように変われるでしょう。自然との共存でもあるのでした。

 自分で作る事にこだわっている理由ですが、とにかく普通に食材を購入すると、食品添加物が大量に使われている事に気づかされるのです。気にしたことがなければ分からないのですが、保存料や着色料、甘みの調整までを、普通には使わない材料で実現しているのが現代社会です。
 コンビニ弁当の防腐剤までを含めて、食材を保存する目的、バイ菌がつかないようにしている化学物質は、そのまま人間の体にも、その細胞の活性化を失わせる効果を持っていて当然です。人間としては排除したいのに、排除しようとした白血球まで不活性になるので、排除が非常に大変になるのです。その結果こそ人間の体内に蓄積する効果なのでした。
 私達は生まれてくる赤ちゃんの10人に一人が人工受精児の時代です。統計的には20年もするとほぼ全員が人工受精児になりそうな勢いなのです。20年後は本当に不安でしょう。
 この原因こそ、防腐剤や食品添加物が人間の体内に蓄積されて、細胞レベルの活性化を失わされた結果であると言えるのでした。男子も精子の数がどんどん減っているのであり、問題は女性だけの物ではないのでした。今は誰もが花粉症を抱えるところに近づいているのですが、この原因にもなっている部分が大きいと、こちらは考えているのでした。
 現代の西洋医学は、国際医療資本の儲けになるなら学会レベルで嘘もつくし、国際医療資本はバイオテロまで仕掛けてワクチンと治療費の利益を求めるほどです。これと同じレベルで教科書に嘘が書かれていて、私達は糖質過剰な生活に半強制的に導かれているのです。
 これに加えて体に不要な化学物質を蓄積し続けているので、子供が産めなくなる世界を実現しそうな所にいるのでした。国際医療資本は妊娠技術でお金儲けが出来れば良いのであって、人口が激減してもかまわないという姿でしかないのでした。
 西洋文明の悪を理解すると日本古来の文化が見直される時が来る事になる。と言う題名の記事ですが、この悪こそ、人間の健康を意図的に破壊して、治療の利益に変えてきた者達の姿なのです。私達はこれを理解して手放す必要があるのであり、その先には必要ないアレルギーである花粉症が大きく減る世界もあれば、がんと糖尿病も減って、自然妊娠が99%くらいまで回復しても良いでしょう。
 1366万年健康を維持してきた文化のあり方には、健康を回復できるヒントもあれば、科学の進歩でより良い生き方が実現できる部分もあって良いでしょう。医学はどんどん進歩しますし、人々の意識も、この世界の本当の姿を知る事で、変わって行くことになるでしょう。自然と共存して、永続する平和の中で、宇宙に広がって行く時代を実際に迎えるのでした。
 もうしばらくで悪魔達の姿が明確になってくるでしょうから、彼らの悪影響を取り除く部分も続きで非常に重要です。彼らに奪われてきた健康と寿命までを私達は取り戻せるのでした。世代を超えるとどんどん健康になれて、寿命ももう少し延びることになると思っています。目先の変化が重要になる所ですので、資本家や権力者達の嘘に、今こそNOを口にする事が必要になるでしょう。

稲生雅之
イオン・アルゲイン