ホツマツタエの中に先史文明の時代の暦の数値を見つけています。そこにはハドソン湾極時代の暦の数字である875が重要な数値として残されており、今も使える暦の数値864と合わせてイナンナ定数を算出出来るようにされていました。詳細は前記事を参照下さい。
こうなると、遺跡の中でも875の確認が必要になり、前記事でご紹介した月のうさぎと神功皇后陵に加えて仁徳天皇陵などでもその数値の組み込みを確認しています。
3万年前を暗示する遺跡にはキトラ古墳があり、その星図の状況が3万年前の物である事を説明しています。ここにも同様に875につながる数値を見つけることが出来れば、先史文明の人々がホツマツタエとキトラ古墳の星図を同じ種類の情報として残したことを明確に出来ると思いました。
調べた結果はこちらにとっては驚くべき物であり、864と875を含んで月の34周の計測を連想させる68も利用されていました。34x2で2倍することも暗示しており、この2倍による計算で432と437からホツマツタエの値を導くように数値化されていました。意図して組み込んだ数値である事を明確にしているのです。
875と864を用いて先史文明の時代の科学技術の高さと、極移動前のハドソン湾極時代の暦の数値を私たちに伝えています。キトラ古墳の作り手と、ホツマツタエの残し手は、同じ情報を伝える為に努力した私たちの先史文明時代の祖先で間違いないでしょう。
キトラ古墳の保存に関連する文化庁の資料を添付します。ここに星図に書かれている星の数と星座の数が出てきます。これに加えて石棺に書かれている残りの情報を評価します。
星の数 約350 (ここでは350で計算する)
星座の数 68
書かれている十二支像 12
書かれている四神像 4
月と太陽各1 2
赤道の円 1
合計 437
437x2+1=875
(437-4-1)x2=864
この計算で重要な部分は、星の数を350にすることです。約350とされている理由は恐らく星の数が資料によってばらつきを持つからでしょう。遺跡レベルの古い星図ですので、星があるかないかに差があって、資料によっては349になったり、351になったりするのではないかと思います。
キトラの人々はこの数値を350に選んでいると、こちらは推定します。理由は星座の数を68に選んで、ハドソン湾極時代の月の34周を数える計算を促しているからです。その結果で875が導けるように配慮していると思われます。
864にするには、四神像と赤道の円を抜き取るだけです。それ以外にも多く暦の関連の数字が含まれています。
354=350+4 ;月の周期29.53x12周で、今の暦の数値
355=350+4+1 ;閏月を使う場合の月の12周
365=350+12+4+1 ;今の一年の長さ
366=350+4+2 ;今のうるう年の一年の長さ
72=68+4 ;歳差運動の基礎数値 432=72x6
36=72/2 ;ハドソン湾極時代の一年の長さ 360日
26=(12+1)x2 ;ハドソン湾極時代の月の周期 26日
暦に関連する数値がここまで入れられているとは思っていませんでした。改めて見直してみて、その工夫に頭が下がる思いでした。
ここに見つけた以外にも数値はまだ残されているかも知れません。数値の組み合わせを考えると無数に拡がると思います。以下一例です
2268/4=567=432-1+68x2 イナンナ定数の別表現
437x2+1の計算ですが437x2ですと874になり1少なくなります。他の遺跡でも1少ないことはありますので、同様に何らかの意味がある場合としてこれで良いと思います。ここでは2倍で表現するので最後に1加える部分に様々な理由を考えれば良いと思います。
例えば埋葬者が見る物なので両眼で見る部分をx2、最後に加える1を自分自身とするなどです。
437の計算には異論も出て来るかと思います。ここで計算している物は、石棺の中に残された情報の総数です。金箔、銀箔、その他の染料など色の種類などは含んでおらず、書かれて遺された情報の総数です。この数え方には異論が少ないと思います。
星図の円は赤道以外にも外円と内円が2つ残されていますが、これらは見やすさの工夫とみて意図して組み込んだ情報ではなく、経緯線を伝えるのみの補助情報と判断しています。観測値の緯度を伝えることにはなるのですが、赤道には西暦4160年を伝えるという目的があります。これと比較すると、経緯線には正確な数値が出せないこともあり、ここでは見送りました。
残りのこれらは緯度の情報として1と数えることも可能でしょう。この場合は最後の自分を+1にしていますが、438x2-1に出来るので、それなりの対処になるでしょう。3本ある物を1つとして扱う部分に異論が出るかも知れませんので、そこまでを考慮してこちらの意見を書いています。
こちらの意見としては、キトラ古墳にもホツマツタエ同様に875と864が組み込まれており、先史文明時代の人々が私たちへ伝えるべきメッセージとして残した物で間違いないと思います。この二つの遺物の比較をする事を促していたのでしょう。ホツマツタエだけでは十分でなく、その他の遺跡と、キトラ古墳の石棺の星図他を見ることで、その情報の確からしさを感じて欲しかったのでしょう。
ここに準備出来ている先史文明の様々な情報と共に、私たちの過去の歴史の真実が伝わることを願っています。
稲生雅之
イオン・アルゲイン
石棺のイラストは以下
キトラ古墳の壁画展開図(来村多加史『高松塚とキトラ』(2008・講談社)より)