2つの戦いとその後の歴史     1月24日

 これまでに明らかになっている先史文明の歴史の年表は以下となります。2012年を基準に遡る年代です。現状では年代を分かりやすく伝えている大阪において、5千年よりも後を表す古墳は存在せず、明らかに出来たのはここまでの年代になります。

 14320年前,温暖化の始まり、最初の世界的洪水
 12660年前,彗星の墜落
 11360年前,ギザの時
 9944年前,テオティワカンの時(29834/3)
 8540年前,屋久島の時
 7458年前,チェチェン・イッアの時(29834/4)
 7013年前,大阪の時
 6313年前,奈良の時
 4989年前,戦争の時1 岡山、ティアワナコ
 4934年前,戦争の時2 ギザ、バビロン

 屋久島で4989と4935年の組み込みの状況を調べていたのですが、その過程で以下の数値に気がつきました。4935年は4934年との境目に起きている様子でした。ここでは今後の混乱を避けるために4934年に統一します。南大門前の参道の境界の右端になり、法隆寺への組み込みが状況を教えてくれました。

4989年の意味
(29834-4989)/29834x360=299.79
 伴星周期の29834年に対して4989を比例計算すると、光速度を導ける年がある。2の12乗根側はこの年を光速度への攻撃の年に選んでいる。
4934年の意味
(29834-4934)/29834x360=300.46
 同様に計算すると300.46になる。この数字は、奈良の橿原神宮と神武天皇陵から計測するギザとバビロンの角度の平均値でした。
(ギザ302.59度+バビロン298.33度)/2=300.46
 ギザはスフィンクスの位置で、バビロンは南側の人工丘の位置になります。

 光速度の表す時期を選ぶだけでなく、橿原神宮と神武天皇陵が認識されて、日本の主要部分が敵としてみられていた事を表しています。2の12乗根側はこの位置関係を理由に戦いの時を選んでいます。彼らはこの時点で4160年が遺跡に組み込まれている事を理解したはずなのですが、AD元年の組み込みは光速度側の予定通りです。やはりこの時期まで阻止する側の情報が残らない事を考えていた様です。加えて、自信を持ってこれだけの事をしたのでしょう。重要な部分では2の12乗根側に負けないという意思表示です。
 29979の時期が日本であること、4934年が日本を基準に決められている事を見ると、主敵を日本と認識していることになると思います。これまでギザを光速度側の代表の地と考えてきましたが、ギザと日本は並立しているか、もしくは守るべき地殻変動の地として日本が重視されていた様です。

 29834年の周期に時期を割り振る方式は、屋久島でも巨石の配置に使われています。この事を知った上でのこの計算でもあると思います。屋久島の破壊は巨石を動かす技術が必要なので不可能だと思いますが、圧力をかけることに利用したかったのでしょう。
 恐らくこの時期の指定は将来に向けた物であり、ギザとバビロンを無力化出来ても、日本を無力化出来ないことを認識した上での日本への圧力でしょう。ティアワナコは4989年前の一度目の戦いで沈黙していると思われます。
 日本の神話に託された私達の祖先の願いを知ることは、私達にとってだけでなく世界にとっても非常に重要でしょう。

 この後の歴史の流れなのですが、遺跡には明確な印がなくてまだ分かりません。組み込みがあってもこちらが認識する手段を持たないので、見落としている可能性があると思われます。
 日本の環状列石遺跡は、4~3000年前の物にされており、2つの戦いの時期以降に作られている可能性が高くあります。2つの戦い以降で先史文明の高度な技術は手放されていると思われますが、火山やプレート境界を指し示す正確な測量技術なくして環状列石群は作れない遺跡です。その後もしばらくこの種の測量技術は残っていたのでしょう。恐らく地図と簡単な測量機具が残されて作業に使われたと思います。遺跡が完成すると測量工具には用途がなくなるので、そのまま技術と合わせて消えていったように思われます。

 今に残る現実の歴史は、この時期の前後から記録が始まります。正しさには疑問が残るようですが、エジプトはBC3500年頃から、バビロンはBC2800年頃からそれぞれ記録があります。
 この2つの戦いの時期はBC2922年です。歴史が残っているかと思って調べましたが、ほとんど記録らしい記録はなく、戦いの記録を見つけることは出来ませんでした。
 目を中国に向けると、黄帝がBC2510年頃、朝鮮は檀君王倹がBC2333年前に開いたことになっています。
 ギリシャ、ローマ、は歴史が明確ではなくBC800年頃からになります。テオティワカン、チェチェン・イッアも明確ではなく約2000年前にテオティワカンの遺跡が埋められて残されたという話だったと思います。

 この時期から各地に神話を残し、バビロンは歴史の中では都市間の争いに明け暮れています。その前の時代に存在出来た中央集権的な都市はもう存在していなかったのでしょう。
 エジプトも記録はもう少し後の時代からになります。有名なギザのピラミッドが作られたことにされていますが、これらは測量の技術なく作る事は出来ない先史文明の遺跡であり、歴史年代の物ではありません。書かれた唯一の証拠は第一ピラミッドの工事時の誤記のあるマークです。
 これなどはこちらの目で見れば、元あった赤い印を利用した捏造その物ですが、エジプト学者はこれを信じたい様子です。他にもギザのピラミッドとスフィンクスの歴史年代前の存在を書いた石碑が存在するのですが、こちらは見向きもされない状態です。先史文明の存在が見直される時にこの石碑に光が当たるのでしょう。

 日本の神話につながる古事記、日本書紀はAD700年代ですが、改竄が少ないと思われるホツマツタエは成立年代不明です。状況的に見れば橿原神宮、神武天皇陵など日本の神話を重視する内容でありBC4989年頃の情報を残していると思います。
 この時期に先史文明を残すのではなく、神話を残して自分達の痕跡を消しているのが世界の遺跡と遺物に残る状況です。その後の時の流れの中で神話に自分達の先祖をつなぎ合わせて、その地の統治に利用しているのでしょう。このつなぎ合わせが何度も何度も繰り返し行われ、残った物が現在に伝わる歴史の資料でしょう。

 どうしてこの時期に先史文明の技術を手放して、神話を残して自分達の過去の情報を消したのかが分からないのです。2つの争いにおける同意事項のようですが、どの様な情報が残されて現在に至るのかがよく分からないのです。
 遺跡に残る状況からは、チベットのポタラ宮とバチカンの大聖堂は先史文明の情報を残している可能性があると思います。理由は現在につながる宗教の聖地であるからです。先史文明の存在が認められる時に、何らかの情報が公開されるのではないかと思います。

 こちらの仕事としては、12660,11360,8540年前を暗号解読から読み取ることが出来ており、これまでに調べた数ある遺跡の解析と、4989年などの年代に付随する内容の解析も可能になりました。並列処理の開発を前提にしても、かなりの時間と労力を必要とします。暗号その物がいつ残されたのかも含めて、重要な仕事になるでしょう。旧約聖書を改竄して残された暗号は先史文明の遺物です。
 2つの争いがどの様な物であったのか、そして未来の富士山の噴火と地殻変動の情報がどの様に組み込まれて残されているか、まずはこの2点を調べてゆきたいと思っています。

 ソフトの並列処理には費用も時間もかかるのでこの先の仕事になります。雌阿寒岳の噴火が予想通りに起きれば、微弱地震による地震予知にも光が当てられるでしょう。
 そこまで進むと、これまで隠されてきた来た様々な情報を、多くの人々に知って頂くことが出来ると思います。こちらのソフトの開発には、今後もご協力を呼びかける事になると思います。ご理解のある方にご協力をお願い致します。Ver2.0のソフトを2万円で購入頂ければ並列処理の利用料金に変えさせて頂きます。寄付は以下の口座にお願い致します。 

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