日本の神話と2つの争いの歴史  1月20日追記

 これまでに日本の遺跡の状況ついて調べて来ました。遺跡に組み込まれている情報は歴史だけでなく富士山の噴火やその後の地殻変動の情報まで含まれていることが明らかになってきました。
 先史文明の人々は遺跡だけでなく神話も残して必要な情報にしています。エジプト神話もギリシャ神話も情報を伝えるだけでなく、人々の社会のあり方までを説いています。
 世界の70カ所の遺跡が56カ所と14カ所に分かれて争ってきたことも説明して来ています。この中で光速度で表されるグループである、エジプト神話のオシリスは社会における正義を重視しています。2の12乗根で表されるグループであるギリシャ神話のゼウスは偽善を表し、強き者の力による支配を求めています。

 遺跡の状況を見ると、2012年を基準にして4989年前と4935年前に2つのグループの間で大きな戦いのあった事が明確になりました。この2つの争いがどの様な物であったのか、遺跡の語る情報には限りがあります。彼らは改竄を恐れたので文字を使わないのです。それでも限られた情報の中に世界で一致する年代を残してくれていました。
 この戦いは、2の12乗根側に都合の悪い情報の公開を避けるために、光速度側の遺跡を破壊する目的で行われました。その結果現在に至るまで、先史文明の存在がなかったことにされる結果を生み出しています。その後2つのグループの戦いは変化し、お互いを取り込むように混ざって行ったように見えています。
 その結果2つに分かれた争いは今に引き継がれており、偽善を隠し自己の利益としての政治を進める人々と、情報を隠さない開かれた民主的な政治を求める人々に分かれているのです。2つの戦いは現在の政府の中に持ち越されています。

 光速度側の先史文明の人々はこの状況になった時に、多くの人々が力の前に黙ってしまう事態では、力だけが支配する社会になってしまう事を恐れたと思われます。彼らの行為に光を当てられる準備をしており、人々が地球の過去を知る時に、彼らの隠してきた行為が人々の知る所となり、その偽善的な行いが拒否されるように計画したのです。
 この偽善という物の中において、宗教は支配の道具として利用されて来ました。現在の一神教の教義は先史文明の存在の前に崩れてしまう物です。先史文明を教えない神はその正しさを疑われるのです。当時の人々はここに光を当てることで、人々に地球のあるべき姿を考えることを促したと思われるのです。現状は日本からでないと難しい情報公開です。
 太平洋プレートに大きな亀裂が入ると周辺の海面の高さが大きく変わる変動を受けるのです。海辺は居住と農耕に適さない場所になるだけでなく、大地震や大津波が頻発する世界に変わるのです。2の12乗根側の支配者は、この種の厳しい環境の中で恐怖を利用した力による支配を求めているのです。光速度側の人々は西暦4160年までに起きるこのレベルの大規模地殻変動を、穏やかな物に変えることを願っていました。

 これまでに明らかに出来た歴史の流れを順に説明します。
 遺跡の語る歴史を見ると、12660年前の彗星の墜落に始まる地球の温暖化により、3万年前の過去に2つの争いで滅んだハドソン湾極時代の文明が再興されています。3万年以上昔の一般の人々は今のような科学技術を教えられず、江戸時代レベルの農耕生活をしていたと思われます。バビロンの遺跡からの推定です。
 私達の時代は彗星の墜落から約5千年前の戦いの時代までに、治水から農耕までを再興している様子です。遺跡には11360年前(ギザ)と8540年前、9944年前(テオティワカン)と7458年前が強調されており、この時期には文明の復興として治水から農耕を進め、余剰の労力を作り出して遺跡や戦の準備に当てていると思われます。
 先史文明の遺跡には治水の能力を訴える物が数多くあり、テオティワカンの呪いのサークルは治水の産物であり、バチカンの物も同様です。当時から治水は重要な技術として使われており、農業生産性を高めて社会生活が営めるようにされていました。
 日本でも同様であり、日本神話の治水の話や米作りなどは明らかな現実です。奈良の平野部にいつから治水の工事があったのかは分かりませんが、稲作のために古くからこの種の努力は行われていました。

 続いて日本の具体的な状況です。
 奈良の箸墓古墳が12660年前頃に作られている可能性があると、遺跡のC14鑑定結果から知りました。これよりも古い時代からここに拠点を持ち暮らしていたようです。大和川の流域が日本の文明の発祥地であるとしたいのかも知れません。
 8540年前には屋久島の巨石群遺跡が残されています。その後7300年前の鬼界カルデラの噴火を避けて、本州に拠点を戻しているようでした。大阪の古墳群が伝える時期は7013年前であり、星の角度と数値で直接この値が残されています。
 大阪の聖神社辺りを北京の紫禁城が呪いのサークルで指し示しており、当時の拠点がこの辺りに存在したことを明らかにしています。大阪の遺跡の計測中心点は橿原神宮を104度で指し示し、重要なこの場所が当時すでに決められた位置であることを明らかにしています。耳成山も三宅島に重なるので、この頃の位置決めは間違いないと思われます。先に決まっていたのは橿原神宮と神武天皇陵の位置です。

 日本の指導者は目立つ場所や遺跡が、2の12乗根側に破壊される状況を予想し対処しいていました。この場所から拠点を奈良盆地の北部へ移し、6313年前頃をその時期として残しています。同時に岡山の遺跡群も作られたと思われます。
 遺跡は大半が平野部に作られており、治水で水田を作り上げて農耕生活を可能とし、余剰の労力で遺跡を作り上げていた様です。ここまでの準備をして4989年前の戦の時を迎えたのです。
 この時期の特定には、岡山の月のうさぎの情報を利用しました。古墳群が約5000年前を示すので、これに相応しい時を統計的な一致から探したのがこの数字です。月のうさぎの目に涙の浮かぶ位置の時であり、様々な遺跡で強調を伴う時期でした。月のうさぎには6313年前は星の重なりがなく、この時期の戦いでしょう。
 月のうさぎの西側の古墳群には2の12乗根側の破壊の痕跡が明らかです。東側にはその痕跡が見られないので、当時の人々はこの場所を拠点に日本を守ったのでしょう。

 月のうさぎの目の上側には4935年前が重ねられていました。この時期はエジプトとバビロンが破壊された時期になります。月のうさぎはこの事を記録するために拠点を作り替えた物と思われ、破壊された旭川古墳(仮称)、造山古墳、作山古墳は戦いの痕跡を残すためにそのままに残され、吉備津神社は再興されたと思われます。
 ここまでの状況は、藤原京の法隆寺に一纏めにして組み込まれていました。奈良の宇和名辺古墳の計測中心が聖神社をイシス定数の3倍で強調しています。同じ場所から法隆寺の石塔へ11360m、高松塚古墳の東側へ25920mがそれぞれ確認出来ました。遷都を表す物と考えると、合理的な順番は大阪、奈良、藤原京となるのです。
 加えて、大阪の古墳群は7013年前を強調し、6313年前も伝えていますが、4989年前を組み込んでいません。奈良の古墳群は6313年前を強調し、藤原京の古墳群は4989年前を強調しており、拠点の移り変わりを組み込みの状況で表しています。
 鍵となった法隆寺への組み込み状況ですが、五重塔の北側にある石塔と上御堂、太子殿が以下の時を告げていました。BC年代は天文ソフトの年代であり、伴星軌道計算分のずれを含んで星の角度だけが正しい物です。イラストも参照下さい。

法隆寺への組み込み
7013年前 BC4323 (リゲル+シリウス)x6=301.602度 上御堂
6313年前 BC3646 (シリウス+ベラトリクス+レグルス)x2=
              299.522度
4989年前 BC2396 (シリウス+ミンタカ+アンドロメダ銀河)x2=
              301.28度 石塔 (宇和名辺古墳から11360m)
4935年前 BC2342 (シリウス+ミンタカ+アンドロメダ銀河)x2=
              302.57度 太子殿の端
藤原京の他の遺跡
キトラ古墳 ミンタカ+アルニタク+アルニラム+シリウス+トラペジウム=
      196.158度 東側 BC2396
高松塚古墳 アルニタク+アンドロメダ銀河+シリウス+ベラトリクス=
      197.312度 東側 BC2396 (計測中心から11360m)
崇神天皇陵 お掘りの中に島がある。トラペジウムの3倍角で時期を表す。
      北端37.244x3=111.732度 BC2396
      南端37.499x3=112.497度 BC2342

 法隆寺と高松塚古墳、キトラ古墳の位置関係が20度の傾斜角で太子殿と松並木につながる部分を過去に説明しています。11360mと高松塚古墳を今回も利用する事で、上記の組み込みが意図した物である事を明確にしています。
 当時の人々は世界の情勢も理解していたようです。熱田神宮が藤原京からの方向で示すティアワナコは日本と同じ4989年前の戦いのようです。太子殿の指す先にはギザが存在し、ここが4935年前である事も表しています。バビロンの人工丘はここから298.34度に存在し、位置が人工的に決められていることを示唆しています。
 攻撃をした北京、平壌には4989年前を表す位置を含む大規模な戦勝記念の建築物が残されています。ローマ・バチカンは海辺の呪いのサークルの中心点が、バチカンからの角度で4935年前を表しており戦勝記念碑も兼ねていました。テオティワカンも4935年前を含む戦勝記念の建物跡が残されています。イラスト参照下さい。

 状況としてみると、ギザの人々はエジプトの本拠点であるティーベ(298.38度)に戻っていると思われますし、バビロンの人々も近傍の別の拠点に移っていると思われます。バビロンはローマを299.52度で指し示す位置に選ばれており、始めから破壊されることを意識した人工都市に見えています。ティアワナコも同様と考えます。恐らく光速度の人々は2の12乗根側の人々の破壊行為を残す目的も持っていたのでしょう。遺跡の情報を伝える重要部分が破壊されていることは誰の目にも明らかな現実です。
 日本の戦略は、橿原神宮と神武天皇陵という日本神話の最重要拠点を悟られることのない様にしています。大阪の大型古墳群に北京の目を向けさせてその後奈良に移り、情報の伝達に必要な古墳と神社を準備して藤原京と神話を最後に作り上げている様に見えます。

 戦略的な物はその順番だけではありません。本拠地である畿内を守るために、少し離れた岡山に遺跡群を残し、地殻変動という彼らの隠したい情報を組み込んで刺激しています。位置的にもここからの破壊になるだけでなく、最もリスクの高い物と最も大きな物を破壊したという満足感を与えてその後の戦いを起こしにくい物に変化させています。これらは始めから予定されていたと思います。
 仁徳天皇陵よりも大きな古墳である旭川古墳(仮称)をこちらに残すことで、彼らの満足感を高める一方で、私達が遺跡に残されているこの状況に疑問を抱くように仕向けているのです。現状古事記、日本書紀において吉備氏の反乱にされていることが理由で、この日本一の古墳は古墳と認められないようにされています。ここにおとりとして作られた日本一の古墳が存在する意味が理解される時に、当時の戦いの状況と後で述べる古事記と日本書紀の問題が明らかになるようにも配慮しているのです。

 これまでの解析で、縄文時代の遺跡とされる環状列石も情報を伝えることに利用されている事が明らかです。黒又山、大湯環状列石に代表される東北の遺跡は4~3千年前の物である事が知られており、この戦いの時期よりも後になりますが、旭川古墳、造山古墳、作山古墳を指し示す点がこれらの古墳の古さを明確にしています。また、この種の遺跡群は富士山の噴火の関連と地殻変動の情報に特化している部分があり、神社への調査を促す事となりました。日本の神話との関係が明らかになってきています。
 以下に神社の教える地殻変動の情報をまとめます。富士山信仰を作り出した大元の情報ではないかと思える配慮です。

霧島神宮    59.72度x5=29860で富士山
        伊豆大島の向こうに共通点、
        三宅島の向こうに三重会合点
        39.796度x3/4=29847で神鍋山
宇佐神宮    74.58度x4=29834、1000kmで共通点
        59.668度x5=29834で皆神山
出雲大社    85.89度、神鍋山の向こうに共通点
伊豫豆比古命神社 74.94度x4=29979
        中央構造線に重ねて共通点
吉備津神社   熱田神宮の向こうに富士山
法隆寺     共通点へ600km
橿原神宮と神武天皇陵 69.33度x6=4160で富士山
        共通点へ600km
熊野速玉大社  伊豆大島の向こうに600kmで共通点
多賀大社    富士山の向こうに共通点
        能褒野陵の向こうに伊勢神宮外宮
能褒野陵    74.88度x4=29952で富士山、
        伊豆大島の向こう500kmで三重会合点
        39.73度x3/4=29798で皆神山
伊勢神宮    60.48度x5=30240で富士山、
        74.94度x4=29979で共通点、
        99.33度x3=29798で三宅島の端
        中央構造線上に位置する
熱田神宮    吉備津神社の向こうから富士山
        (藤原計測中心からティアワナコの角度)
諏訪大社    148.99,149.17度x2=29798,29834で三宅島
        141.56度で富士山経由で伊豆大島の端
        フォッサマグナ上に位置し、上社、下社で東西プレートを区別
船橋大神宮   富士山の向こうに箸墓古墳
        208kmで共通点
鹿島神宮    皆神山から104度で共通点
        156km(104+52)で共通点
        (棚倉構造線を意識していると思われる)
筑波山神社   富士山から52度156km(端数あり)52x3=104+52
        共通点へ208km (上記は筑波山頂の女体山本殿)
多賀神社    166.4度(416x4)で雷神山古墳経由416kmで三重会合点
        畑川構造線上に位置する
岩木山神社   富士山へ600km(端数あり)
        組み合わされている大森勝山遺跡の環状列石から600kmで共通点
        (仁馬山古墳から出雲大社を経由して岩木山神社と環状列石)
* 富士山は頂上部分を表し、多くは火口です。富士山本宮浅間大社でもあります。
* 共通点は富士山の噴火後に中央海嶺の生まれ始める場所です。
* 4160年は避けるべき大規模地殻変動の始まる時期。富士山の噴火後に生まれる中央海嶺をハワイの南側まで導く期限。地殻変動を緩やかな物に変える事が出来る。104の倍数で表されることが多い。
* 29979は光速度を表す。  
* 29952は太陽の伴星周期の暦上の象徴値。
* 29860は2075年に相当し、太陽の伴星の影響終了時点。
* 29847は2062年で太陽の伴星近日点。
* 29834は平均周期と2049年の影響の始まり時点。
* 29798は1/3で太陽の伴星の長半径。
* 太陽の伴星の関連する時期は世界の70カ所の先史文明が共通して伝える情報であり、地殻変動は56カ所の光速度側の遺跡が伝える情報である。

 この神社の状況を日本の神話と比べて考えてみてほしいのです。神武天皇陵と橿原神宮だけでなく、天照大神の伊勢神宮、ニニキネの高千穂(霧島神宮)における天孫降臨、日本武(ヤマトタケ)の尊(能褒野陵)が重視されている理由がここにも現れています。
 神話の中では出雲から岩木山と諏訪にも社を移しており、岩木山神社はそのつながりを出雲大社との間に残しています。神話にこの場所を意識させる目的であり、地殻変動関連と破壊された古墳を伝える重要な役割を果たしているのです。
 当時の人々はこの情報を残すために都市の建設順序までを考えて、必要な情報を私達が見つけられるようにしてくれていたのです。

 日本の神話と言えば古事記、日本書紀ですが、遺跡の情報の立場から見るとこの二書は原書から大幅に改竄された中国向け外交文書と見える状況です。日本人向けの書ではないのです。古事記と日本書記には多くの改竄に起因する問題があるのです。これまでに確認出来た先史文明の歴史の事実と合わない部分が多く残されています。

1)旭川古墳、造山古墳、作山古墳の破壊が吉備の反乱にされており、現実に合わない。大阪、奈良、藤原京の順番に建設したとすれば、古墳の名前に天皇の順番が合わない。時期も5千年の隔たりがある。
2)重要な神社であるのに岩木山神社、鹿島神宮が出てこない。
3)韓国南部の古墳が日本とのつながりを示し、韓国の他の遺跡も日本とのつながりを明確にしているのに、日本の権益が及んだ部分を各国の史書から消されている。
4)古事記と日本書紀で内容が異なる部分がある。
 以下はホツマツタエとの比較による物です。
5)天照大神は男である。
6)古事記と日本書紀で欠史八代と呼ばれる天皇にも記録がある。
7)神話の価値をひどく貶めているのが古事記であり、ひどくはないのが日本書紀である。
8)太陽暦で使う70度110度の暦の線の存在が奈良と大阪で確認出来、これに起因する季節の8区分がホツマツタエにのみ存在する。

 細かく書き始めるときりがないほどになると思いますが、また古事記、日本書紀、ホツマツタエの情報収集が十分でないので、現時点までに明らかなこれらの点を指摘しておきます。ホツマツタエには12代目までの天皇の記述しかなく4989年前の戦いの情報がないのが残念でした。続きの天皇などこの種の神話の情報は、すでに一部が失われている様です。ただし、まだ各地の神社に古書としてひっそりと眠っているかも知れません。法隆寺の秘宝も含めて、これらの調査が非常に重要になるでしょう。
 証拠が書にしかないとするならば、今の日本の議論にも納得せざるを得ないかも知れませんが、少なくとも古書としてのホツマツタエを偽書にする理由は非常に乏しいと思います。こちらの進めている先史文明部分の情報が認められると、旭川古墳、造山古墳、作山古墳の破壊が吉備の反乱にされており、現実に合わない事が明確になると思います。
 日本の歴史も韓国の歴史も、約1300年前の白村江の戦いにおいて中国側に負けた事で、大きく書き換えられていると思います。この時から漢字で文書を残すのはこの理由が第一であり、それまでの書は隠されているのでしょう。この焚書の結果がホツマツタエが偽書にされる理由です。実際に韓国に存在している日本式の古墳とその伝える情報を無視出来るのは、この種の書が改竄されて日本の関係した国々の存在が消されたからでしょう。

 2つの争いの立場で見ると、古事記、日本書紀には中国に媚びへつらうための外交文書としての立場が非常に強く出ています。彼らは偽善の側であり、漢文で書かれた日本の歴史書にゼウスの偽善がたくさん出てくる事を喜ぶでしょう。天照大神が女性にされている部分などへりくだることと貶めることを良く考えていると思います。
 外交文書は自国向けと外国向けで内容が異なる事など良くある事です。古くはエジプトのラムセスの時代から明らかな外交の現実であり、日本でも同様であったと思われるのです。ホツマツタエはこれに比べると光速度側の文章であり、その差は明らかです。
 比較に魏志倭人伝を考えてみても、邪馬台国と卑弥呼など、他国に対してだから使える卑しい当て字です。正しい事を書く必要などどこにもない事がここにも現れているのであり、日本を貶める政権の公文書としての漢文の共通性が明らかなのです。
 当時の日本でこの文字を使うことなど常識的には考えられないのに、日本史の研究上はこの状況を無視する人が多いのです。この現実を嘆いた文学者もいました。

 歴史は勝者によって書かれるのであり、勝者に都合の良い物しか残らないことは、歴史の現実でしょう。正史は正しいときれい事を言っても結局改竄されているのであり、命をかけて真実を書いても消されるだけなのです。例えば徳川家康に反対した人々が全て悪人だと思う人は、どれ程いるのでしょうか。先史文明の人々が情報を残す上で文字を使わなかった理由がここにもあるのです。
 ホツマツタエが見直されて、この種の古い文献探しが真剣に行われるようになることを願っています。日本人として漢字よりもやまと言葉を重視していた時代の大切な物を、これから取り戻す必要があるでしょう。

 ホツマツタエの最後のヤマトタケ(ルをつけないそうです)の言葉は非常に考えさせられる物になっていました。これまで考えさせられて来た事が言葉になっていたのです。

人は神 神は人なり 名も誉(ほまれ) 道立つ法(のり)の
神は人 人素直(すなお)にて ホツマ(秀真)行く 真(まこと)神なり

 現代語にすると、「人は本来神であり、また神は人である。人の道となる生き方を教え示した者が、名を上げ神と崇められる。人は素直に、秀でた真のホツマに従えば、まことの神の道を行くことになる。」となるかと思います。拙訳なので表現は改めて見直すことになるでしょう。

 神にすがるのではなく、人としての自立を促す生き方を当時から求めていることが分かるのです。たくさんの神社を建立しながらも存在達に頼るだけでなく、自分達で道を開いてゆく事の大切さがホツマツタエの最後に出ているのです。宗教にすがらせる2の12乗根側との大きな差であり、光速度側の人のあり方なのでしょう。
 宗教になりやすい不思議な力を持っている者を神とするのではなく、人の道となる生き方を教え示す現実的な実行力が大切であり重要であることを説いているのです。この世界を動かしているのは最後は人になるという事を諭している様でした。神頼みだけでは社会を動かすには足りないのです。

 統計的現実である先史文明の存在が多くの人々に認められる時、私達の文明がどの様にして今を迎えているのかを検討し直す事になると思います。情報の公開が制限されて権力者に都合の悪いことは伝わらない現実に、様々な方法で対処する事になってゆくでしょう。
 先史文明の存在に光を当てることが、彼らの期待した変化の始まりなのです。これまで教えられずに来た事、騙されて来た事が明らかになる中で、私達はあるべき姿を考える事になると思います。力があれば何でも出来る訳ではなく、人々を騙せば信頼を失うのです。
 光速度側の人々にとって、敵は人だけではないのです。2の12乗根側にも導く存在がいて、彼らを導いているからこそ彼らの宗教が存在するのです。彼らに対処するためにも、私達には人としての自立の中で、存在達との協力協調も重要で実際に必要なのです。
 伝え残された情報に向き合って社会と未来の事を考える事が、日本の神話に込められた私達子孫への願いでしょう。

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日本人の祖先が伝える歴史と富士山の噴火(要約版)
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要約版 遺跡の伝える地球の過去と未来
http://www.biblecode.jp/News_View.php?@DB_ID@=325

稲生雅之
イオン・アルゲイン

Rev1 囮としての旭川古墳の意味を追記