ホツマツタエは5千年前の古墳の霊界体験館から神社への信仰の移行を正当化する文書だった 4月6日

 前記事に以下の追記記事を書いた所で、まだ続きがあることに気づきました。ここまで進んでやっと気づくのですから、ちょっと情けなくはあります。円筒埴輪と朝顔型埴輪の意味が理解出来てやっと、ホツマツタエがファンタジーであると、地の声に教えられた現実が理解出来たのでした。以下前記事から移した追記から順番に説明します。

 この記事としてもう一つ書いておくべきテーマがありましたので続きです。
 ホツマツタエにおいては古墳の存在を明確にしていない感じですが、このページの解説である箸墓古墳には直接的な言及があるのでした。この続きでホツマには天皇陵としての古墳がその位置を書かれており、古事記の物とそれなりに一致している部分を確認しました。今の古墳の埋葬者を特定している情報の大元は、実際にはホツマツタエだったのでした。
 この背景でヤマトモモソ姫の姿を考えると、ここに表現されているのは古墳が使われていた時代の巫女さんの姿でしょう。ホツマツタエでは彼女は亡くなるのですが、ここに象徴されている部分は、古墳の霊界体験館が使われなくなる姿でしょう。
 ホツマツタエには、この続きと言えるかは議論になるでしょうが、ヤマト姫が登場して伊勢神宮の巫女さんだと言えるでしょう。この姿こそ、古墳の霊界体験館が使えなくなったことで、古墳の代わりに神社が増えたことを表すでしょう。
 歴史を調べると、古事記に年代がねじ曲げられてはいますが、以下が確認出来るのでした。

日本で神社が増えたのは古墳時代以降でしょうか

AI による概要
日本で神社が増え、現代のような社殿(建物の社)を持つ神社が全国的に造営され始めたのは、古墳時代以降の6〜7世紀頃からです。
宗教法人 警固神社
その理由や背景は以下の通りです。
古墳時代〜飛鳥時代の変化(6〜7世紀):
この時期、大陸から伝来した仏教の影響を受け、それまで自然物(山や岩など)を神体としていた神道が、建物(社殿)を設ける形式へと変化していきました。
朝廷による組織化:
7世紀以降、律令制度が整う中で、大和朝廷は人々を掌握・支配する目的で神社を全国的に組織化しました。これにより、地域の有力者の信仰が組織的な神社へと変わっていきました。
古墳との関連:
古墳時代に巨大な前方後円墳が造られる中、その周辺に神を祀る祭祀場が形成され、後の神社に発展したケースも多いです。
國學院大學
なお、神道そのものの起源は縄文時代にまで遡ると言われており、信仰の原型は古くから存在していましたが、建物としての「神社」は古墳時代〜飛鳥時代以降に本格的に増えました。
好運日本行

神の依り代が人形として残る神社はありますか

AI による概要
神の依り代(よりしろ・神霊が宿る対象)として人形が残る、あるいは供養のために大量の人形が奉納・安置されている神社は存在します。
特に有名なのは、人形供養で知られる神社です。
淡嶋神社(和歌山県和歌山市加太)
人形供養で最も有名な神社です。境内には全国から奉納された雛人形や日本人形、ぬいぐるみなど約2万体以上が所狭しと安置されており、神の依り代であった人形が残る典型的な場所と言えます。
深志神社(長野県松本市)
「天神」を祀り、舞台(人形舞台)が残る神社として知られ、人形浄瑠璃に関連する信仰や歴史があります。
www.fukashi-tenjin.or.jp
また、これらとは別に、「人形(ひとがた)」と呼ばれる紙や木の人形に穢れ(けがれ)を移して祓う神事(大祓)を行う神社は全国に多数あります。
遠江国一宮 小國神社
神事における依り代の人形
髙城神社(埼玉県熊谷市):胎内くぐり(大祓)で形代(かたしろ)を使用。
小國神社(静岡県森町):大祓で人形を用いて罪穢れを祓う。
髙城神社
このように、特定の神社では信仰の対象として人形が残り、また多くの神社では神事の依り代として人形が活用されています。

神の依り代が土人形として残る神社はありますか

AI による概要
神の依り代(よりしろ)が土人形(埴輪や土の像)として残る、あるいは土人形を神体として扱う神社は存在します。
代表的な神社として以下が挙げられます。
次郎丸埴安(じろうまるはにやす)神社(福岡県福岡市)
住宅街に鎮座する神社で、神の依り代として土人形が祀られているという情報が見られます。
淡嶋神社(和歌山県和歌山市)
少彦名命(すくなひこなのみこと)を祭神とし、「女性のための神様」として知られ、境内には全国から奉納された非常に多くの人形(土人形を含む)が並んでいます。
土人形の伝承がある地域
特に「ハニヤスヒメ(土の女神)」に関連する神社や、地方の稲荷神社などで、土で作られた人形(土偶や素焼きの像)を御神体や依り代とするケースがあります。
和歌山県公式観光サイト
※「神の依り代」としての具体的な土人形の扱いは、神社によって神事(人形流し、人形供養など)の形や、社殿に納められているものなど様々です。

 ネットによれば、「日本で神社が増え、現代のような社殿(建物の社)を持つ神社が全国的に造営され始めたのは、古墳時代以降の6〜7世紀頃からです。」とのことなので、こちらの見立てである約4949年前とは大きな差になるでしょう。
 これを覚悟の上で、出雲大社や伊勢神宮は、5千年前から今の姿だったのではないかと思うのでした。大きな古墳の代わりに大きな神社を作れたことだと思います。木を主体に作るので、その本質的な古さが分からなくなるのですが、千年単位で使える建物である部分は現存する大規模な神社仏閣の状況から明らかなのでした。
 神社は、埴輪や土偶さんとホラ貝に巫女さんで、あの世のお告げを聞く仕組みだったのでしょう。霊界体験館が使えないので、神社に神を祀ってそのお告げを巫女さんが受け取るシステムなのでした。そして今でも土偶や素焼きの像が使われるとのことであり、埴輪も含めて、素焼きの像に回転電場としてあの世の声情報を伝える仕組みがある部分が、歴史の名残的に残っているのでしょう。

 これから霊界体験館を再現するのですが、それが理由で神社が廃れることはないでしょう。埴輪さんと土偶さんの霊界ラジオを再現する部分が、近未来の神社にどの様に反映されるかは、大きな変化その物になりそうです。エジプト式のジェド柱霊界ラジオだって悪くないのでした。
 日本の昔の姿を思えば、天皇こそ日本を代表する神社の最高神官であり、日本の民族の神と協力協調して、日本の未来を導くというか、教える役割だったのでしょう。政治権力を行使する部分と一体だったのでしょうが、白村江の敗戦以降は権力の中枢機能が残ったのだと思われます。
 未来については国民的な議論が必要でしょう。明治神宮に私達の民族の神であるミロク大神様と自然の女神龍神様が凱旋されるので、この二神とのあるべき姿の関係を、これから検討して作り上げることになるでしょう。
 人間としては霊界体験館も霊界ラジオもそれなりに使えるようになって、神を名乗る存在が身近になる世界でしょう。変化はどんどん起きてきますので、まずは悪魔達を情報公開して追放し、平和で永続する社会の構築こそが必要になる所です。日本の神社の神々は、その地域の民族の神として、社会の平和と繁栄を願ってきたのでしょう。これが分かりやすくなるのであり、あの世の存在と協力協調する未来が普通になると思います。
追記ここまで

 続きは同じく前記事からの転載と、この記事向けのヤマト姫の解析です。

 最後にホツマツタエの箸墓古墳の話です。ヤマトモモソ姫の失敗談であり、箸で御陰を突いて自殺するという普通でない表現です。
 古事記には御陰がたくさん出てきて、日本を貶める使い方です。この意味でこれを煽動しているのかと思う所です。

ホツマツタエ御機の三十四 ミマキの御世ミマナのアヤ
4番目 モモソ姫~緒解く祀りお 箸塚に なせば輝く のりのいち

4988=344x145
 145、基礎、台、刈られていないコーン
 争いの始まりは4989年前ですので、-1で指摘出来ているでしょう。

493640=344x1435
 1435=1436-1、359x4の悪魔の強調
 4935+1に調整されており、ここで霊界体験館の封鎖だと思わせる表現でしょう。

2026418=344x589075
 589、分散、海外に広がる、種をまく、分裂増殖、
 75、これ、同じ、種、種類、勝つ、得る、

 対比するヤマト姫の物語はその後に出てきます。

ホツマツタエ御機の三十六 ヤマト姫神鎮むアヤ
5番目 御杖代の役はヤマト姫へ  トヨスキ齢百三で御杖ならすと 見習わせ 

49879440=365x136656
 365、暦の強調
 136656は1366万年の人類の歴史の強調

493480=365x1352
 135、ボウル、盆、ローストする、神、ピスタチオの木、棍棒、バトン
 20、彼と、満足するまで飲む

BC2396.225=365x6565
 6565、語呂でむごむご、むごいの強調

BC2341.98965=365x641641
 641、クラック、裂け目
 ここに時代の裂け目があるという強調

2026407=365x55518
 555、語呂のGox3
 18、兄弟、even、also、too
 5月18日へGox2かも
 518、急げ、囲む、革命、転換、遅鈍、不貞を犯す
 
2026918=365x55532
 555、語呂のGox3
 32、ホロウ、紳士淑女、上がる、集める、眉毛、事の真相
 532、登る、雌犬、南、大工

20261004=365x555096
 555、語呂のGox3
 96、命令

 ヤマト姫の役割は、伊勢神宮において、アマテル大御神のお告げを伝える事だったでしょう。ホツマには伊勢神宮の成り立ちとして描かれる話なのでした。
 歴史の言うように、西暦2012年の4935年前に霊界体験館を封印したのであれば、その後の日本の宗教的な統治をどうするかが問題になるでしょう。書いてきているように埴輪さんや土偶さんと、ホラ貝に巫女さんの組み合わせで、あの世の声を聞くことが出来たでしょうから、神社に神を祀ってそこで神のお告げを聞くあり方に変わるのでした。
 ホツマツタエはこの変化に際して、アマテル神をトップに据えて、伊勢神宮で国家の神道がまとまるように配慮された物だと言えるのでした。出雲大社や住吉大社が、明治神宮と争って国を割るような争いを起こさないように、この時点から配慮をしているのでしょう。この統治がうまく出来るように、ホツマツタエのファンタジーを、当時の人々が作り上げていたのでした。
 ヲシテ文字で書かれたホツマツタエは、神社に保管されていた物が見つかっていると聞きますので、神社の正当性をこの文書で裏付けた名残でしょう。

 ホツマツタエには古墳を隠すような表現があるのですが、もう一つ古墳の本来の意味を分からなくしている物があるので紹介します。垂仁天皇の業績で殉死の習慣が、埴輪で代えられたという話です。

ホツマツタエ御機の三十七 鶏合わせ橘のアヤ
2番目 皇后ヒハズ姫の崩御と埴輪の発祥~先の追ひ枯れ 良からねば

498852=372x1341
 372、法令、天命、命令、切る、定める、制定する、引き出す、得る、断片、つなぐ、布告、厳しい対策
 134、バンドル、伝説、神話、タルムードの一部、責める、罪
 10、or、母、もし、Ace;エース、

493458=372x13265
 132、ついでに、偶発的に、料金、取り立て、料金所、犠牲、対価、代価
 65、語呂のむご

239568=372x644
 64、さらし台、小隊指揮者、歩兵
 40、x2
 644、次元

234174=372x6295
 62、祖父、セクションコマンダー(部署の命令者)、災害、ブロー、
 95、意味なし

 垂仁天皇の制度改革で殉死がなくなり、古墳への埴輪の設置が制度化されたと書かれているのですが、これは始まりの埴輪である円筒埴輪の姿には全く反すると言えるでしょう。こういう物が昔からあって、垂仁天皇の時代に人型埴輪に発展したと言うには、この記述だけでは無理があるのでした。
 殉死の習慣がどの様な物かまでが分からないと、先に進みにくいのでした。こちらの疑問は単純であり、古墳が霊界体験館であるので、ここに出てくる神々が殉死を推奨していたとは思えないのでした。
 もちろん神の半分は力が正義ですので、彼らにかかれば殉死もありでしょう。この意味で考えるなら、垂仁天皇の制度改革だけでは殉死をなくせると思えないのでした。悪魔達ががんばるからなのでした。
 4935年前以降に古墳が作られなくなるので、この墳墓としての殉死がなくなるのは自然な流れでしょうが、小さな古墳が作られなくなるまでは続いたのではないかと思える習慣なのでした。
 372の数字で見ると、批判の言葉が並ぶので、古墳その物の消滅で殉死が減ったのではないかと思います。
 始まりの論点に戻ると、ここでは人型埴輪が生み出されたので殉死がなくなる話ですが、古墳の本当の姿が霊界体験館である部分を隠す働きその物でしょう。円筒埴輪の意味に気づけなかったら、この部分を書けたかが分からない程なのでした。

 実際の歴史にはまだ受難があって、西暦663年の白村江の敗戦で、ヲシテ文字を手放している部分です。ここから古事記と日本書紀に移行ですので、神社の倉からはホツマツタエが消滅させられて、個人や資産家の蔵書に化けたでしょう。これが見つかって今に至るのであり、こうなる未来を考えて準備されていたと思います。
 ホツマツタエを使って古事記と日本書紀が書けるのであり、このための原文になる部分までが、始まりというか、少なくとも約5千年前では期待通りでしょう。663年以降に土偶さんや埴輪さんとホラ貝、巫女さんを使ったあの世の声を聞く仕組みも同時に手放しており、悪魔達をここで喜ばせたのでした。
 ホツマツタエの始まりは、霊界体験館の姿を隠して、新しい神社と神のお告げを聞く仕組みを正当化した物だったでしょう。伊勢神宮を神社のトップに据えて、日本の神が国を分割統治に追い込む道具にされない事を目的としていたでしょう。
 編纂者達には未来の白村江の敗戦まで、霊界体験館もあるので見えていたはずです。ここでも古事記と日本書紀の原本になれるように配慮がなされていたのでした。
 古墳時代の実際の姿がどこに残されているのか、もちろん霊界ラジオと霊界体験館を再現するので、その後ほどなくして当時の状況が分かってくることでしょう。今無理しても分からないのであり、まずは当時の霊界ラジオと現在科学式に霊界体験館の再現を進めたいと思います。

 5千年前の戦いですが、エジプトとの比較で、日本では北京と平壌の連合軍を撃退出来たと考えていました。この時期にエジプトは、ピラミッドに刻まれているギリシャ文字の使用を停止して、ギリシャとローマの連合軍の傘下に入った物だと考えています。以後象形文字のヒエログリフの発展を待つことになったからです。
 日本が当時のヲシテ文字を失うのは西暦663年の白村江の敗戦以降です。ここまでは決定的な敗戦ではないと考えてきましたが、岡山の3つの大規模古墳群を破壊させたことで、古墳を以後使わなくすると言う平和交渉があったのかと思える所です。
 大阪の仁徳天皇陵を始めとした大規模古墳群には手がついておらず、大阪城の砦の南側の難波宮の破壊だけで平和になっています。
 当時の悪魔達の姿として、エジプト文明にギリシャ文字を手放させた状況は、北京も平壌も知らされていたはずです。この意味でヲシテ文字を手放す交渉もあったのではないかと思うのですが、状況に差があっての結果でしょう。
 ヒントになるホツマツタエの状況ですが、イザナギが限り岩を立ててあの世との交流を出来なくするという表現で、国内向けの説明がなされています。古墳の霊界体験館を使い続けると、北京と平壌の連合軍がそれを破壊しに来ることになるので、これを止めるという通告のレベルでしょう。
 エジプトでは、タニスの破壊状況から見ると、ギザのエリアはギリシャとローマ軍の思い通りだったでしょう。本拠地と言えるティーベが護れなくなる所です。これと比較する大阪エリアでは、大阪城の砦を落とせるとは思えないので、この差で通告レベルで済んだのかと思います。この時点で奈良の本拠地を脅かす部分は、まだ中途半端だったのかと思えるのでした。
 この時期既に伊勢神宮もその他の神社も建立されていたと思うのですが、破壊した所で再建するだけでしょうから、古墳の破壊とは戦争の規模が違うのでした。

 悪魔達の目的は、敵対する善の側の文明の宗教支配の破壊だったでしょう。エジプトでは大ピラミッドが、ギザのエリアが占領されて使えなくされたことになるので、霊界体験館はここで封鎖でしょう。日本でも同様であり、日本側から古墳の霊界体験館をもう使わないという通告があって、恐らくホツマツタエも外交文書として渡されて、その使用がなくなる部分を明確にしたのでしょう。ここでも敗戦文書ですが、国内向けの物をそのまま使えたと思います。これは大阪城が陥落しないからだと言えそうです。
 日本の政権としては、古墳の霊界体験館を破壊しに来る以上は、この目標を変えさせなければ戦争が続くと考えたのでしょう。結果として霊界体験館を手放して、悪魔の目標に沿って対処をしたのでしょう。
 日本では続きが長いことあって、北京と平壌が韓半島から日本を支配出来るように、その後も戦争が続いたのでしょう。これが663年まで延ばせた理由もあるでしょうが、ここまで延ばせるのも予定通りであり、韓半島の政権との協力が非常に重要だったのでしょう。この部部分もホツマツタエに交流があった部分が書かれているので、関係を重視していた部分は明らかなのでした。
 そして予定通りに663年を迎えて、今度はヲシテ文字を手放して、加えてあの世の声を聞く仕組みも手放して、北京の政権の傘下に入るのでした。以後は私達の知る歴史ですが、予定通りとは言え、悪魔に蹂躙された歴史だと言えるでしょう。

 ホツマに戻ると、ヤマトモモソ姫はホツマによれば自分で自分を辱めるために、御陰を突いたと読めるのですが、日本書紀では神がヤマトモモソ姫を辱めるために、座った拍子に箸が御陰に刺さって死んだことにされています。ホツマの始まりからこうなる予想で書かれていると思われ、約4935年前の戦役によるあの世との断絶を悲しむ物ではあったでしょう。
 自国の歴史を辱めるのは辛い部分もあるでしょうが、半身の悪魔使い達はさぞ喜んだことでしょう。こうしてみると殉死の習慣も彼らの横やりに思えるのであり、つくづく自己の利益のためなら何でもありだったのでした。
 こういった悪しき者こそを、悪しき出来事こそをこれから減らせるのであり、ホツマツタエに描かれた悲しみを超えて、平和で永続する社会に進んで行けるように、社会を変えてゆく事が重要でしょう。この変化に際して霊界体験館と霊界ラジオは、この世とあの世の姿を私達に教える道具になるのであり、現実に即した社会運営が出来る様に、悪魔達を排除した社会に進んでゆく事になるでしょう。
 ホツマによれば目先の4月7日の明日と4月18日が強調されています。半年先の日時も出していますが、その途中経過も重要になるでしょう。まずは半年で機械類と霊界ラジオの仕組みを再現出来るように努力したいと思います。停電を超えて先に進めるように、資金繰りへのご理解とご協力をお願い致します。

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