死海文書とナグ・ハマディ写本    6月22日

 先週は聖マラキの預言とファティマの聖母についての関連情報をお伝えしました。今週はその続きで、死海文書とナグ・ハマディ写本の関連情報です。
 この関連で最初の本に書いた事の内容に修正はありません。今回の記事をここに載せる理由は、これらの文書についても遺跡と同様の解析を行う事が出来ており、その結果の公表のためです。

 死海文書は死海の北西にあるクムランという場所に残されている遺構で生活していた人々の残した物と思われています。その近くの洞窟に保存されていた物が、1946~47年に発見された死海文書になります。
 当時から今に至る文書の解析についてバチカンの不当な干渉など様々に語られていますが、現在では誰もが読めるデジタル資料としてインターネット上に公表されるところまで進んでいます。

 このクムランの地を解析の中心に選ぶと、バチカン大聖堂の方向には2075年が組み込まれています。ファティマの数値を使うと同様に1976年が組み込まれていました。
 クムランの地に集団生活が始まり文書が残され始めたのは紀元前400年くらいのことで、その後ローマがこの地に侵攻する紀元70年くらいまでの文書が洞窟に隠されていました。

 この地を選んだ時点で既に2075年の情報が組み込まれたことになります。この点を不思議に感じると思いますが、バチカン大聖堂はミトラ教というキリスト教以前の宗教の聖地でもあり、実際にはより古くからの特別な場所でした。
 詳細は論文での説明になるのですが、前文明の人々が選んだ場所にはこの様な数値が残されている事があると考えて下さい。これらの地では重要な意味のある出来事が起きることを計画していたと思われます。

 ファティマの数値を使って情報を引き出せるようにしているのは、ファティマとの関わりを明確にして、この地に託されている情報に関心を持つように促すためでしょう。
 数値は1976年なので、2075年と合わせてそれぞれが伴星の影響が終了する時期に合わせられています。

 比較のためにここでナグ・ハマディ写本の情報です。この地においてもこの地の数値と聖マラキの地アーマーの数値を加えた物で2075年が表現されていました。数値は二つあり、もう一つはファティマの数値とアーマーの数値を組み合わせた物で、1972年を表現しています。
 ナグ・ハマディ写本の見つかった場所は厳密には分かりませんでした。多少の誤差を含んでいるかも知れませんが、大きなずれはなく数年の範囲内でしょう。

 双方とも2075年という伴星の影響期間の終了時点を指し示しており、組み込みが偶然ではない事と、何かの終わりを伝えようとしています。
 ナグ・ハマディの数値の解析にはアーマーとファティマの数値が必要なので、この組み込みが写本が隠された紀元4世紀よりも後の時代になって行われた事を示しています。

 この地の解析の始めの頃は、2つの地の数字を組み合わせることに多少の疑問を感じていたのですが、2種類の数値が同様な表現なので意図された物だと今は考えています。遺跡への情報組み込みにおいては同じ手法を複数回使うので、この条件にも合っており組み込みを確信したところでした。

 最古のキリスト教の文書である死海文書には、イエスの生きた場所であるにもかかわらず当時のパウロの行為を非難する文章が残されています。加えて教義の根幹であるイエスの磔刑も復活も書かれていません。
 4世紀のニケイアの公会議以前は、まだイエスの愛の教えも広まっていました。この愛の教えを神の奇跡にすがる支配の教えに統一したのは当時のローマの権力者達でしょう。

 キリスト教の中には前文明の存在を認めて、人としてのイエスの隣人愛という本来の教えに戻ろうとする動きが出てくると思います。ナグ・ハマディ写本に書かれ示唆されていた様にマグダラのマリアが彼の妻であり、女性の弱さへの配慮のあった愛が根底にある教えであった事も改めて明らかになるでしょう。
 この点からもファティマの預言において、恐らくこのチャンスが1960年の時点でバチカンに託されていたのではないかと思います。

 先史文明が光速度のグループと2の12乗根のグループに分かれて争ってきたことは既に書いた通りです。その詳細も論文での公表になり申し訳ありませんが、ファティマの聖母について少し考えて頂ければと思います。
 イエスが人であるとすると、聖母マリアはバチカンの作り上げた偶像であると前回のHPで説明しました。その偶像を誰が何のために奇跡を起こしてまで演出したかを考えてほしいのです。もしイエスの精霊なら何を望んだでしょうか。

 偶像でも聖母が現れたとなれば、実際にこの種の奇跡が起きたとなれば、彼らとしては認めざるを得なくなります。この時に託したメッセージは誰のためのどの様な物になるでしょうか。様々な意見が今後出されることになると思います。
 バチカンは偶像と知りながらも、自らの教えに縛られて聖母を否定することは出来ないですし、実際に10万人の証人の前にそうせざるを得なかったのです。

 聖母が偶像であると知っている時点で、託されてくるメッセージは自分達を導く物ではなく、敵対する物である可能性が高いことも分かっていたでしょう。
 実際に第三の預言は正しく公表されていないと、ファティマの地で預言を託された3人の子供達の一人であるルシア氏はバチカンを非難しながら亡くなりました。心あるキリスト教徒には悲しい現実です。

 様々な存在達を含む2つのグループの争いは今も続いており、先史文明の存在が明らかになる時、多くの人々の思いに変化が生じることになるでしょう。聖母を演出した側にはまだ続きの演出も可能でしょうから、人々が自分達の力で問題に向き合えなければ再度の登場となるかも知れません。そしてその時、他方も宗教支配の維持を目指して死に物狂いで同様に対抗する事となり人々は混乱するでしょう。本来避けるべき事態です。
 この先の変化をどの様に生かすか、人である私たちがまず問われることになるのです。

 次回は旧約聖書についての解説です。この記事に追加で必要な事だけを書いていたつもりなのですが、長くなってしまいましたので改めての記事とします。
 ここまで来てまだ論文に書き足す新しい事項が増えるとは思っていませんでした。客観的に物を見るのは本当に難しいです。その分の時間調整でもあります。

稲生雅之
イオン・アルゲイン
PS
 ギリシア情勢に注意が必要です。国民が銀行から現金を引き出し始めており、混乱の前兆です。