遺跡の論文を公表する前に、2010年出版の「聖書の暗号は読まれるのを待っている」に書いた内容の一部訂正をしたいと思います。
聖マラキの預言とは、未来の112名のローマ教皇の名前を示唆する簡単な預言のリストです。本では聖マラキの預言を112番目で終わる物として解析していましたが、実際には今のフランシスコ教皇が112番目であり、フランシスコ教皇をこの対象にすると預言は外れている事になると思います。先のことは変わりうるので明確には分からないのですが、この状況に対応する説明をしたいと思います。
聖マラキの預言では、112番目は以下の様に書かれています。
・ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう(最後の区切りが曖昧です)
・ローマびとペトロ、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。
この文章が元々二人について書かれた物か、一人について書かれた物かは議論があったとの事です。本を書いたときにこの文章が二つに分けられることには気づいていませんでした。ここは私の間違いです。
この文章では7つの丘の町とはローマ・バチカンを意味します。
111代のベネディクト16世は600年ぶりに生前退位しており、その原因は明確に説明されているとは思いません。
新教皇によれば「マフィアは聖体拝領にあずかることはできない。彼らを破門する。」とのことですが、今更でもあるしバチカン銀行の闇はそのまま残っています。現実の金融的にはイタリアから大きな圧力をかけられていました。
こういった法的な現実の中では、「ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう」という言葉は現実を表していると思います。こちらの新しい解釈としては、112番目はフランシスコ教皇としてこの1行で表されていると思います。
そして、113番目がローマびとペトロとして、この先の未来に現れるのではないかと思います。その時は来年以降の可能性があるのでした。
続いてファティマの聖母ですが、ファティマの聖母は1917年にポルトガルに現れたバチカンの公認する奇跡としての聖母マリアの出現とそのメッセージです。聖マラキの預言同様にこちらも有名で、10万人の人々の前で起きた奇跡とこれに付随する預言です。
3つの預言があって2つは第一次と二次の世界大戦に関する物です。これらは当たって過ぎた物です。
3番目の預言が問題のある物で、1960年に公表するようにと託されていたにもかかわらず、バチカンが40年も公表をためらった物です。
2000年になってその内容が、1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件であったと公表されました。事前に分かっていた歴代教皇が卒倒するほどの物ではなかったために、多くの憶測を呼んでいます。
今回ここに訂正の記事を載せる理由は、聖母マリアの現れた場所であるファティマの地と、聖マラキと関係の深い北アイルランドのアーマーの地の伝える情報を公表するためです。遺跡の解析と同様の解析をそれぞれの地に対して行いました。
論文には預言や聖母の奇跡の情報はオカルト扱いされるために書けないので、ここでの公表としています。論文公表前でないと嫌がらせ他の面倒が起きるので、タイミングの調整でもあります。読者の皆さんには相変わらずの筆者の意味不明な行為に見えると思います。
先史文明の遺跡は、計測の中心から様々な方向と距離に伝えるべき情報を残しています。
アーマーの教会を中心に選び、その場所からバチカン大聖堂を見る角度には2016年を伝える工夫がされています。この場所からファティマの数値を使うと2010年です。
同様にファティマの聖母が現れた地を中心に選びバチカン大聖堂を見る角度には、1948年が選ばれています。同様にアーマーの数値を使うと2073年になります。
現在の読者の皆さんの多くは、これでもまだ偶然だと思うでしょう。計測に必要な角度の精度は0.01度であり4つが意味を持つ確率を計算すると天文学的な物になります。
多少数値がずらしてあるところは、明確には徴を表さないという相変わらずの存在達の手法です。他の遺跡でも数値をわざと1,2ずらして、その意味を考えさせて他の情報に導く事があります。ここでは1948年は2049年の伴星の影響の始まりを示唆し、2073年はその終わりの2075年を表すでしょう。2010年は2012年のマヤ暦の終わりと論文公表までここに書けないもう一つの重要な本来の意味です。
この預言と奇跡を演出した存在達にはつながりがあったと言える状況です。彼らは伴星関連の情報と先史文明の情報を知っていたことを示唆しているのです。
アーマーの伝える2016年がここで伝えたい1つめの情報であり、預言を聖マラキに託した(ことにした)存在達がこの意味を考えるように促している物になると思います。
この年に何があるのかが問題ですが、1~2年のずれも入っているのか分からない状況にされています。112番目までは既に過ぎたので、残る113番目の関連でしょう。
このHPに地震関連の科学の分析をして、自然現象では納得の出来ない物がある事を伝えてきています。少しから、かなりおかしいと感じる程度まで状況に幅があるのですが、普段は明らかにそれと分かることはしないのが存在達の流儀です。
今回の論文の公表は前文明、先史文明の存在を明確にすることが一番目の目的です。54カ所もの遺跡を、苦しい中資金繰りに無理をしてまで解析したのは否定されない工夫であり、宗教の強い反対があっても統計的に科学的見地として公表せざるを得ないという所へ進みたいのです。
ファティマの聖母は明らかにそれと分かる奇跡を起こし、10万人もの人々に見せてバチカンを納得させようとしました。彼らの答えは聖母の意に沿う物だったのか、これから問われるのではないかと思います。
ここまでの事をされた聖母を恐れないのであれば、彼らが従うべき存在が他にいたのかも知れません。もしくはイエスが人であり、聖母マリアが彼らの作り上げた偶像でしかないことを知っているからでしょう。
ファティマに対してつながりの明らかになった聖マラキの預言からすれば、113番目の教皇でバチカンが終焉を迎えることになります。これを避けるために聖母がバチカンにメッセージを送った物が3番目の預言ではないかと思えるのです。
1960年にバチカンが変わっていれば今の世界の状況は全然違った物であり、911を経てイラク戦争など起きたかどうか分からないと思います。
当時の本に書いた通りキリスト教の教義は、4世紀のニケイア公会議を通じて当時のローマ帝国が作り上げた物だと思っています。三位一体の全能の神が高度な文明だった先史文明を知らないのは、ペトロとパウロの作り上げた神であるからでしょう。彼らは人としてのイエス本来の愛の教えを否定した事で、今後アンチキリストと呼ばれる事になりそうです。
高度な文明を持っていた先史文明の存在が否定出来なくなると、バチカンは生き残りをかけて変わろうとするでしょう。この動きに対して自らの教えの聖母を恐れない欺瞞に満ちた彼らには、死海文書やナグ・ハマディ写本に残されているイエス本来の愛の教えを語る資格はないと、多くの人々が考える事になると思います。
重要なのは利権としての宗教の宗主を続けることではありえず、彼らの改心でしょう。
ファティマなどは現実の明らかな証拠であるにもかかわらず、論文には霊的というか、あの世の存在、自らを神と語るたくさんの存在の事はまだ書けないのです。こういった説明は次の本の中でもう少し詳しくする事になります。
過去の科学では関連する理論が分からず手が届かなかっただけなのですが、科学も自分達に都合の悪い現実は簡単には受け入れられないのです。
前文明の人々はこういった存在として、光速度のグループと2の12乗根グループの2つに分かれながら、今も私たちに関与していると言うことを本で説明します。この2つめの本来伝えるべき現実を、理論としての科学に出来るまでにはまだ時間がかかります。今は一部分ずつを存在達が人々に見せることで、私たちへの目覚めを促している状況でしょう。
どうすればこの現実を伝えられるのか、うまく理解されるやり方が分からなかったのですが、彼らの2つの準備がこれを促す事を可能にしてくれていました。この仕事にはありがたいのですが、彼らは気づくのが遅いと思っているかも知れません。
2016年まで半年しか残されていないぎりぎりの所でした。事が起きる前に伝えることに大きな意味があるのです。この先時間はかかるとも多くの人々の理解に届けられるでしょう。
稲生雅之
イオン・アルゲイン