残念な川内の決定とドローン    4月23日

 22日に川内原発の差し止めに関する決定が下されるのを待っていました。新聞を買って前回同様に調べた結果を書こうとしていたのですが、新聞の一面はドローンのニュースになっており、違和感を感じています。
 今日のお昼時点でドローンは21~22日に飛来したと書かれています。23日の新聞に載せるためにタイミングを調整した物と思います。

 ドローンには微量のセシウムの134と137の含まれた液体が載せられていたとのことです。これで何が出来たのかと言えば、たいしたテロにはならないでしょう。
 現時点では犯行声明も出されていないようですが、愛媛県で起きた劣化ウランの保管施設向けの放火と同様に見えています。今回の物は反原発の活動にマイナスになる判断が出るのに合わせて、世論の操作を狙った物という印象です。

 地元で裁判に関わる人にとっては、この種のテロなど無意味ですし、政治がこの程度のことで変わることもないのです。変わるのは新聞の一面に載ることによる反原発のマイナスイメージでしょう。
 ヤラセは常につきまとう物ではあるのですが、少しおかしいと思える状況です。

 ドローンには原子力政策に関する政治的な意図が感じられるだけで、他の件でもこういったヤラセが心配になる所です。彼らに都合が悪いことが起きるとこの種の変な事件が起きるので、この先には他のパターンのテロが心配になる状況です。
 今回のドローンは戦争に都合の良い法改正にもつながる物であり、悪い人たちによる相変わらずの傍若無人ぶりであると考えさせられた事件でした。
 背景には原発に関連する国民の行動が、大きく反原発に振れてゆく事態が続いてゆく状況があるのです。彼らはこの様な事まで起こさないと、流れを変えられないと恐れているのは間違いないようです。

 原発の判断が国に有利になる事は、裁判官の経歴からも明らかでした。東大卒の前田郁勝裁判長の経歴は主要都市の地方裁判所を回っており、法務省には都合の良い判決を出す方だったでしょう。
 福井の裁判もこの方のように法務省に都合の良い方が選べたのではないかと思うのですが、このあたりの事情はよく分からないままです。

 まず決定主旨ですが、朝日新聞のまとめです。
新基準について
 科学的知見に基づき、不合理な点は認められない。審査も厳格で詳細
基準地震動について
 九電が詳細な調査で定め、安全性を確保。過去の超過は東日本大震災前の指針で策定された地震動だった。
人格権について
 人格権侵害、侵害の恐れは認められない。

 彼にマイナスの批判も新聞には書かれており、日経新聞からです。
 今回の決定は規制委の新規制基準への批判的検討の痕跡が乏しい。規制委の言い分を丸ごと受け入れ、想定される地震の揺れも現行のままで良いと判断している。
 火山の影響は一部の火山学者の結論だけを用い、避難計画への評価も住民側の意をくみ取っておらず、安全の根拠が示されていない。
 九州大の吉岡斉教授のコメントです。科学技術史専門の方です。

 朝日新聞には面白いコメントが載せられていました。
 新基準の地震想定の方法について「最新の科学に照らせば合理的ではある」としながらも「福島の事故を経て最新の科学にも限界がある事が明らかになった。決定は科学の限界をもう少し考慮しても良かったのでは」と話す。
 東京大学地震研究所纐纈一起教授のコメントです。

 この判決で明らかな事は、裁判長にとって都合の悪いことは認めないという現実です。法務省の方針なのかは分からない事になっていますが、結論先にありきの決定であり、その為に都合の悪い物ははなから無視する必要があったのでしょう。
 これは噴火の予知が全く出来なかった御嶽山の噴火の経験を全く生かしていないことになるのです。決定における重過失と言う所でしょう。

 火山の影響の強いこの地においては特に愚かな決定である事を非難したいと思います。
 裁判の判決とは政治が決める物もあるのですが、それは最高裁での政治判断を優先するレベルの物であり、地裁で政治判断に頼るのは裁判官の良心の大きな問題でしょう。国民を見ていない良心しか持たないと批判されるのです。

 東大地震研のコメントには驚きました。暗に政治のしていることを批判していることになるのです。科学の限界とは良い表現だと思いますし、出来ない事を出来ると言っても無理なことは後から分かるという、これまでの経験を生かしているのではないかと思います。
 地震の研究をされている方ですから、今の日本列島が311後の地震の活動が高まった状態にある事を意識した発言だと思います。

 311レベルの地震が起きるかは分からないにしても、判決の想定を越える地震が起きる可能性が高いことを考えているのでしょう。
 いい加減なことを言えばさらに地震学者への批判が高まるのです。この事を意識する気持ちの方が、政治寄りのコメントを出すことよりも優先しているのです。これが現実でしょう。今のままなら時間の問題でこの種の地震が起きるだけなのです。

 国民審査において裁判官の判断があるのですが、公益に関わる物はこの種の地裁から判断をした人の×をつけるべきでしょう。国民審査では国民は名前だけを見て×をするのですが、誰がどの様な判断をしたかは全く示されないのです。法務省が制度を利用する姿勢よりも骨抜きにしている物なのです。

 政治的にも国民の活動としても、裁判官の審査をするなら、国民が事前に独自に判断した物を公表し審査の場にも公表すべきでしょう。この種の政治判断しかしない裁判官に国民の利益が守れないことは明らかだからです。
 日本の司法制度だけでなく他の国でも問題なのですが、こういった物を変えてゆく必要があるでしょう。

稲生雅之
イオン・アルゲイン