前ページの重要部分の繰り返しです。この記事の目的はジェド柱霊界ラジオの言葉で、人間とは魂の存在であり、輪廻転生する魂が主体であって肉体はいわゆる乗り物である事こそ真実であると世界に広める事です。一度きりの人生を思いっきり楽しめという、他者を犠牲にして平気な教えを悪魔の物にするのでした。
他者を押しのけてでも利益を求める姿には、この世の実際としては輪廻転生に伴う因果応報がついてくるので、悪事は以後の世界において、報いを受ける結果しか生み出さなくなるのです。
悪魔達はこれを、これまでですが未来の計画を利用して回避してきたのです。この先の未来では悪魔達は神格を失いこれが不可能になるのです。この世に支配下の人間を持てないので、その身勝手でしかない未来の計画を、やりようがなくて実現できなくなるのでした。その結果で悪魔になるメリットは未来永劫失われるのでした。従い悪魔達の復活を許さないことが、非常に重要な世界になるでしょう。
宗教の解説をしたいので、以下の記事から歴史の流れを抜き出します。
先史文明が伝える古からの地球の歴史と未来まとめ1~13
上記と同じ題名ですが、古い時代の科学の話を減らして、ここ数万年の変化で説明し直した記事です。
http://www.biblecode.jp/News_View.php?@DB_ID@=657
ID@=657から663と、665と670がこれらのアドレスです。
1)社会にあふれる嘘について
2)善と偽善の8万年間の争いの過去の現実
3)12660年前から現在まで
4)未来について
12660年前に移る前に、宗教の変遷を見ておきます。遺跡への組み込みは偽善の側の宗教の本拠地がカーブルからエルサレムへ、エルサレムからローマとカーバに移っていったことを表しています。
タニスの遺跡はエジプトの破壊されている遺跡の中でも特にひどく破壊されています。この理由は岩のドームとメギドの丘の意味を伝える部分を消し去りたいという物でしょう。29860で表されるメギドの丘は3万年前の争いで核爆弾で滅んでいる可能性が高いでしょう。前述のように地球の自然はその後タウポ湖の破局噴火を必要としたのです。
その腹いせの仕返しが、新約聖書におけるヨハネの黙示録のハルマゲドンの予告でしょう。メギドの地で核爆弾を使うことを合図に、この文明の争いに決着を望んでいると思われます。その様に演出をしているのです。
同様に獣の数字666もヨハネの黙示録に悪い数字として言及されており、ハドソン湾極の暦を表していた旧バチカン大聖堂と併せて、偽善の側がティアマトの再生を阻む動きです。
偽善の聖地は、6万年前までのグリーンランド海極時代のカーブル、3万年前までのハドソン湾極時代のエルサレムの岩のドーム、現代のローマ・バチカン大聖堂とカーバ神殿に移り変わって来ています。
タニスの遺跡は激しく破壊されていますが、必要な情報を読み出すことには成功出来ています。他の情報を読み出せたコトデイジとお釈迦様の誕生地と言われるルンビニは破壊から免れている様子です。
過去の宗教書の変化に対応し、その宗教支配の構造を表す物こそ、リグ・ベーダの宗教のカーブル、旧約聖書の岩のドーム、キリスト教のバチカン大聖堂とイスラム教のカーバ神殿への時の流れです。人間の作り出した存在しない神と支配の宗教を手放す時が科学の進歩した現代でしょう。情報公開が重要なのであり、この世界には人間だけでなく知性を持った存在としてあの世の存在と自然の存在がいます。宇宙人もこの地の未来に干渉する存在であり、それぞれとの共存が必要なのです。あの世と自然の存在の姿を知る事で、支配に利用されてきた全能・万能の神など存在しないことを学ぶのです。
その他の宗教の流れの説明です。
ハドソン湾極時代のミトラ教はローマエリアに存在し、この地の宗教になっている。リグ・ヴェーダのミトラ神とゾロアスター教の世界を救う神を習合した物と考えられる。牛を屠るのは偽善の側の流れであることを表しています。
世界を救う話は仏教にも取り入れられて、弥勒菩薩になっています。敵対する宗教と対抗するためにお互いに庶民の認める物を貪欲に飲み込んでいるのが宗教の実態でもあるのです。相手への攻撃も敵に潜り込むレベルであり、性の攻撃に弱い仏教をタントラ仏で攻撃し人々の信頼を失わせることまで行っているのでした。瞑想する仏教の姿を揶揄する物になるのです。
政治的には、北京とチベットにタントラがあるので、北京とインドが仏教に困らされてきた現実を反撃の形で残している物でしょう。
エジプトのイシス女神はゾロアスター教のフラワシの絵柄を真似ており、イナンナ女神の翼も同様と思われる。イシス女神はイナンナ女神の影響も神話の面では色濃く受けている。オシリス神はバールベックのバール神と同じ姿勢、同じ武器を持ってデンデラに描かれ、6万年前の前後にエジプトに入植した人々の神々として習合された物だと考えられます。
日本では普通、天照大神は女神で描かれる姿です。これに対してホツマツタエでは男神であり、白村江の敗戦以降、中国への敗戦文書として出された歴史の捏造書が残した結果でしょう。古事記と日本書記はこの目的でホツマツタエを改竄した物だと思われます。
日本の場合、神道と仏教が共存しており、この共存にも慈悲を組み込むという大きな目的のあったことが、歴史的には真実であると思います。神道は自然信仰でもあり私たちが自然との協力協調を求める物でしょう。仏教の慈悲の心、社会のための利他の心を重視し、社会を守って未来を永続する物へと変えてゆこうとしているのです。先史文明の人々と自然とあの世の存在達の考えた未来の計画に沿って、現在を動かしているところでしょう。
中略
まずはカーブルの宗教の姿です。同じく先史文明を説明した記事から転載です。
リグ・ヴェーダは重要な部分を隠す傾向があり、月の女神ラートリーについてはあまり書かれていません。彼女が崇拝の対象であり、恐らくソーマ酒の儀式における主役であったと思えるのですが、その点には記述がないのです。ソーマ酒を飲んで酩酊し、実際にはゾロアスター教の領域へ略奪に出かけていたのです。この点を説明し現実の状況を見てゆきます。
ソーマ酒の中身がどの様な物であるのか、リグ・ヴェーダからは情報が失われています。彼らはそれが入手できなくなったときにその使用を停止し、ヨーガの苦行での瞑想に代用を求めたのでした。ソーマ酒は書が一冊書けるほどの分量で神格化されるほどの物でした。
このソーマ酒がどの様な物であったかを推定して本にした方がいます。聖なるキノコソーマという本です。この本にはベニテングダケがその正体としてあげられています。
1970年代から議論がある様子ですが、こちらとしては極移動の観点を導入することが出来るのです。グリーンランド海極時代にはベニテングダケが生育できても、ハドソン湾極時代には、緯度が20~30度も南に動いたことによりベニテングダケはシベリアなどの北方にしか生き残れなかったのです。インドやアフガニスタンからはほぼ消滅したと思われます。以下北緯の移り変わりです。
グリーンランド海極時代 ハドソン湾極時代
カブール 36.6度 5.5度
モヘンジョダロ 30.0度 -1.2度
ブッダガヤ 23.1度 -7.0度
サマルカンド 42.0度 10.9度
ソーマは利用できる当時は高山に自生していることになっていましたので、30度近い緯度の南化は高度にして2000~3000mの低地化になります。従いこれまでと比較して2000~3000mの高山にベニテングダケは移ることになるのですが、これはヒマラヤの高山にのみ可能ですし、この高度になって気圧が低い状況では成育が可能であったかは疑わしいでしょう。狭いエリアなって気圧の条件まで加わるのです。少なくとも供給量は激減したでしょう。
極移動に際して、ヒンズー教の祠祭であるバラモン達は、入手できなくなったベニテングダケの利用を諦めたでしょう。その結果これまでの様に酩酊をあの世へのアクセスに利用する事が出来なくなり、ヨーガの苦行を通じての瞑想にその代用を求める事になりました。これは利益を求めるだけの人々には苦痛です。
恐らくこの時点で人口の増大など支配が難しくなる理由もあって、偽善の側の存在達はその地に留まれなくなっていたのでしょう。エルサレム、カーバ、ローマやギリシャに移りユダヤ教とミトラ教を作り上げて、現在に至るキリスト教への転換までを推し進めています。
もちろんインドにもクトゥブ・ミナールに偽善の側の遺跡が残されているのであり、完全に撤退したのではなくバラモン階級を通じての影響力を残しての移動であったと思われます。
被害を受けていたゾロアスター教側の、バラモン側への批判の言葉が残されています。有名な言葉らしいです。
アヴェスター ヤスナ48.10
この酩酊の尿を、そなたはいつ捨て去るのか。司祭達はそれによって悪意を持って(人々を)だましているのだ。あたかも、よこしまな地方の支配者達が(自分達のしていることを十分に)知りながら(人々を)だますように。
原典訳の翻訳文 比較のために載せます
不届きにもカラパン僧らがそれを持って吐き気を催させ
またよってもって故意に、諸邦の劣悪な支配者どもが(然なすところ)の
かの酒という汚水を、いつ、御身は打倒し給うのですか。
悪意に読んでも善意に読んでも、汚水という言葉は替えられないでしょう。酩酊の尿という言葉も真実を表している可能性を感じるところです。
リグ・ヴェーダ側から様々な略奪が仕掛けられて、ゾロアスター教側が困っていたことは間違いないでしょう。ここまでの言葉を残すのであり、ここに大きな強調を感じざるを得ないでしょう。
ソーマ酒には2段階の使い方があり、一段目は司祭達がベニテングダケを食べる部分です。ここに続いて始まる二段階目が、一般の人々に向けたソーマ酒の分配です。
ベニテングダケの酩酊成分は、食べた人の尿にそのまま出てくるそうです。この時に下痢などの気分の悪くなる成分が抜き取られる可能性があるそうです。今もシベリアの一部に存続する消えそうな風習です。
祠祭の腎臓により、その尿へと精製されたソーマを、蜂蜜や牛乳で味付けをして、飲みやすくした物こそがソーマ酒なのです。これを痛飲したのがインドラ神であり当時の神格化された人々でした。
彼らは酩酊の効果を利用して、死をも恐れぬ戦いが出来たでしょうし、人倫に反する行為も行えたでしょう。ゾロアスター教側の人々の犠牲を物ともせず、自己の利益を求めてソーマ酒に浸っていたのでしょう。偽善の側ならではの行為です。
この続きが旧約聖書に引き継がれて6~3万年前の悪魔達の宗教です。以下より抜粋します。
改ざんされた新約聖書と旧約聖書の問題について1~6
http://www.biblecode.jp/News_View.php?@DB_ID@=1581
DB_ID@=1581、1584~1588がこれらのアドレスです。
旧約聖書の問題は一部しかまだ書けていません。
現代に残されている悪魔の側の旧約聖書の中には、悪魔の言葉が綴りを逆順にしたり、ヘブライ文字の中に英語を交ぜるなどで意味を分かりにくくして、ある意味あからさまに組み込まれています。
ここには暗号解析ソフトで探した場所と、そこにある解読した意味を載せています。記事の最後にはヘブライ語の原文と英訳レベルを載せる予定です。日本語訳は手作業になるので後回しです。
A4原稿で5ページ程になるのですが、彼らがどの様に工夫して悪魔の言葉を組み込んだかが分かりやすいので、まずは長いままにここに載せます。解説はその後になります。
1)ティアマト崩壊
箴言 23;6
彼のごちそう mtamt
mtで崩壊、tを重ねて使ってtamtでティアマト、mtamtで5文字になる
サムエル記1 14;43
味見しましたが tamtamt tamの繰り返しがある
レビ記 13;45 逆順
汚れている、汚れている utmatma 繰り返しで逆順を可能にしている
2)アンドロメダ(崩壊)
イザヤ書 3;17 逆順
隠れた部分をむき出しにする hrainが逆で2語にまたがって入る
hr ホルス ain 目
エレミヤ書 49;1
ガド、その民 udgta ウジャトe(ye)の逆
詩編 89;20 21はソフトは21でネットは20、数え方が2種類あるらしい。
私はダビデを見つけた udgteの逆
3)赤ちゃん生け贄
列王記1 13;4
ベテルの祭壇 zbc(h)b(in) bital bbの続きでbaby
zbc(h)(ヘブライでは3文字)生け贄
ゼパニア書 3;5
不正(を行わない)毎(朝) aulh bb
aulh 生け贄
4)ソーマ
民数記 21;11と12
smsmsmの繰り返しで、2語を偶然でつなぐ。
エズラ記 4;8
参事官レフム、書記官サムサイ smsomaを逆綴りに出来る組み合わせ
エズラ記 4;9
参事官レフム、書記官サムサイ smsomaを逆綴りに出来る組み合わせ
エズラ記 4;17
参事官レフム、書記官サムサイ smsomaを逆綴りに出来る組み合わせ
歴代誌 8;12
ミシュアム、シェメデ somasmの逆綴り、人名の羅列
長いので以下省略します。
善の物も悪の物も、旧約聖書はヘブライ語で書かれています。これに対して新約聖書は悪魔の側がギリシャ語、善の側の語録はヘブライ語なのか他の言語なのかも不明瞭に残るのでした。
ここに取り上げた語群をヘブライ語で検索出来るなら話は早いのですが、ギリシャ語聖書との比較になるのです。簡単ではない部分はご理解頂けるかと思います。
ここにはかなり直接的に表現されている悪魔の言葉を載せています。これら以外にもたくさん語呂合わせがなされているのであり、ジョン・アレグロ氏の本で明らかなように、麻薬に関連する言葉で溢れているのでした。
この部分は新約聖書側にもそのまま持ち込まれているので、主にヨハネの黙示録の解析で批判をする部分です。
これに加えて重要な物が、先頭にある4つの福音書への批判です。ここにどの様にパウロが工夫をしているのかを確認する為にここまでの作業をしてきたのでした。
結果は見て頂けるとおりで分かりにくいでしょう。よく考えると続きがあると言う状況にされているのでした。
まとめてみると以下です。
1)ティアマト崩壊
彼のごちそうの意味になるのですが、これをそのままには探せません。連想ゲームでもやっているつもりらしく、最後の晩餐がこれに相当するでしょう。
聖書の中では過ぎ越しの夕食であり、過ぎ越しはユダヤ教の祭日行事です。出エジプトを祝う物です。特別な食事になるでしょうし、普通には祭礼としてのごちそうになる所でしょう。
こちらの疑問は簡単です。過ぎ越しを利用して読者達の関心を集めるのであり、最後の晩餐の絵画は誰もが知る程の有名な物になっています。パウロはここに、注目が集まる工夫をしているのでした。続きは何故この工夫が必要なのかです。ここでやっと彼のごちそうが出てきて連想出来れば良いとなるのでしょう。
2)赤ちゃん生け贄
ベテルの祭壇で表されていますが、実態はベテルのbが重要でもう一つのbは英語のinに相当する前置詞です。従いギリシャ語でも他の言葉でも、bxxの祭壇とするだけで赤ちゃん生け贄になるのでした。祭壇に元々生け贄の意味があるからです。
福音書の中には、祭壇に供物を捧げる話が出てきます。ここにどの様に工夫してbの発音を入れているかが問題であり、準備はなされていて、善の側のこじつけの批判を受けるようにされているか、それとも隠語などで暗にbが可能にしてあるかのどちらかでしょう。英語ではbはなさそうでした。
祭壇は出てきて当然の言葉でしょうが、福音書の中には、最後の晩餐でイエスの血肉を食べる話が出てきます。これはそのままに赤ちゃん生け贄の儀式における人食にまで影響しているでしょうから、イエスにこの言葉を言わせるパウロやローマ人には、悪魔の旧約聖書の幼児生け贄の儀式が意識されていたことはほぼ、間違いないでしょう。
3)悪魔の関連
ティアマトを破壊した悪魔もアンドロメダを破壊した悪魔も、stnやdvlに2文字加える程度です。これも発音まで意識するでしょうから、たくさん使われている悪魔とベルゼブルなど、これらの周辺に工夫があるかどうかです。こじつけ対語呂合わせの、善の側との釣り餌勝負は間違いないと感じる部分でした。
どこに悪魔の言葉があるかを指摘させて、外れであると笑いたいのでした。
4)ベリアル
卑しいことに相当するので簡単なはずですが、ここにも一工夫でしょう。
この工夫は、人を裁くなの節にあります。最後の部分で、神聖な物を犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてもならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなた方に噛みついてくるだろう。と出てきます。
これで(他者を)人を裁くなの説明の最後です。分からない人に物を言っても反逆されるとなるのでしょうが、始まりは人に裁かれないようにするには人を裁くなです。意味は悪魔達に物を言うと噛みついてくるし、負けるだろうともなるのでした。卑しいことに相当する悪魔達は強いのです。
5)目には目を歯には歯を
このHPで繰り返すように、ハンムラビ法典は、強者が弱者を虐げないようにと書かれている法典です。イエスがこれを知らなかった可能性はゼロではありませんが、少なくともパウロやローマ人は、悪魔の旧約聖書のあり方に従い、バビロンを貶しているのでした。
法律の話では、ここからハンムラビ法典が復讐の悪法に扱われており、真逆の現実を私たちは知るべき所です。パウロの悪質な情報操作の嘘の種類です。
これは人治ではなく法治を目指す私たちには非常に重要であり、現在の法体系が強者総取りで作り上げられている部分が非常に多いことを知るべきです。これから民主主義として弱者の生きる権利も配慮してこその、様々な人が生きる世界、社会になるでしょう。
この意味でこの情報操作こそ、権力者に利益を導く道具にもされている、非常に悪質な部分です。悪魔の悪意がむき出しですが、神の言葉で真実が嘘になるのでした。
6)リグ・ベーダに出てくる麻薬であるソーマ
イエスがつまづく、つまづき石など出てくるところですが、これらは麻薬に関連する言葉だそうです。アレグロ氏によればですが、少なくともこれを福音書にも入れ込むのであり、悪魔の側の言葉は、直接表現でなければ使える判断をしている部分は明確でしょう。
単純に見ると、パウロやローマ人は直接的に悪魔の言葉を使う部分を避けているように思えます。語呂合わせは許せるのでしょうが、麻薬の関連とホルス神やバール神をけなす場面でしか見にくいところでしょう。ベルゼブルがバール神をけなす表現です。
悪魔の側に立つ彼らとしては、直接表現を避ける工夫があり、ヨハネの黙示録では悪魔の旧約聖書の過去の姿が踏襲されています。敵である善の側を直接に近い表現で挑発すると、宗教争いに問題が出ることを予想していたかのようなあり方です。ハドソン湾極時代の6~3万年前においては、善と悪の双方の教典が存在出来て、それぞれが支配を争ったのでした。
この種の争いを避ける工夫なのかがどこかで分かると良いのですが、パウロとローマ人がどこまでを意識していたのかを、もう少し理解出来ると批判も進むかも知れないと感じています。
転載ここまで
ここまでの歴史的な流れと、宗教書の内容と、彼らのへ批判から、悪魔達が麻薬に溺れてウソの神をでっち上げた宗教による支配で、一部の者達だけが利益を上げてきた部分は明確でしょう。
仏教との比較では説明が不要なほどに、大きな差があるのでした。ヒンズー教も良く似ています。
1)輪廻転生と因果応報は仏教における基本となる。
2)仏教の仏様には性別がなく、魂にも性別がなくて、肉体にのみ性別がある事を間接的に明確にしている。
因果応報 意味
Copilot の回答
過去の行いによって現在の報いを受けること
「因果応報」とは、「いんがおうほう」と読み、過去の行いによって現在の報いを受けることを意味する言葉です。仏教の考え方のひとつで、因果は原因と結果、応報は報いを表します。善悪の行為に対して善悪の結果が返ってくるという考えで、前世の行いも関係するとされますが、現在ではあまり重視されません。ネガティブなイメージだけでなく、ポジティブな意味合いでも使えます。
輪廻転生 意味
Copilot の回答
人や生き物の魂が何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わること
輪廻転生とは、人や生き物の魂が何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わることを意味する言葉です。仏教では、輪廻転生は苦しみの連鎖であり、生まれ変わる世界は六道の中のどれかになります。生まれ変わる世界は、生前の行いや四十九日の審判によって決まります。悟りを開くことで、輪廻転生から解脱することができます。
マイクロソフトの検索ではCopilot がキリスト教的な価値を反映しているのでしょう。現在ではあまり重視されません。とまで書かれており、これだからこそ悪魔達が喜んで悪事を働いてそれを利益に変えるのでした。
輪廻転生側は仏教の概念を紹介するだけであり、キリスト教徒には関係ないのでしょう。最後の審判で裁かれるだけだとも言えるのでした。
宗教こそが多くの人々を動かす根本的な部分を持つので、キリスト教徒の多くは、ここに取り上げた考え方に影響されているでしょう。
まずは輪廻転生からです。ジェド柱霊界ラジオの存在により、輪廻転生の姿を教えられるでしょう。あの世の監視は過去の誰の魂が、新しく生まれる肉体に受肉する部分を観察できるのです。その人の1つ前の過去世を明確に出来るのでした。一つ前が可能ならその前も可能だと論理は飛躍できるのですが、実際には彼らの伝えることが本当に正しいのかを常に問われるのでした。
今まではこの種の情報は確度がないレベルに扱われてきていますが、近未来でどこまで変化するのかは、進んで行く部分ですが、避けて通れない話になるのでした。人を普通に催眠術にかけると、これまた普通に過去世を思い出すのですが、それが妄想と変わらなくて区別が出来ないのです。これで過去の姿ですが、ここにジェド柱の情報となれば、その確度に大きな差が出るでしょう。
因果応報ですが、悪魔達が未来の計画でインチキをするからこそ、「善悪の行為に対して善悪の結果が返ってくるという考えで、前世の行いも関係するとされますが、現在ではあまり重視されません。」とまで書かれているはずです。これはキリスト教的な概念でもあり、パウロがでっち上げている物であって、イエス本来の隣人愛の教えにはほど遠いでしょう。イエスのどんな言葉が隠され、残されているのかはこれからですが、この世の現実として、悪魔だから因果応報の現実を無視できていたのでした。
この世としては、社会の共生を学ぶ部分もあるので、因果応報と輪廻転生のセットで人生の善悪を学ぶのでした。ここでやっかいな問題があって、因果応報が一度の人生で完結しているならその意味を理解しやすいのです。実際には人生を跨いで別の人格になってから、前の人格の問題に向き合う事もあるので、これは普通には分かりにくいでしょう。ここで過去なら宗教の出番だとなり、仏教やヒンズー教の教えがあるのでした。
ここにジェド柱を持ち込むと、その人の知らない過去世の情報がすらすら出てこられるのです。もちろん必要性がなければ出てこないでしょうが、その人の学びのために必要であれば、守護霊さんが教えてくれるでしょう。これでこその、その人の学びになるからです。
ご理解を頂きたいのは、こういったこれまでにない情報の運用が、ジェド柱霊界ラジオの存在により可能になる部分です。因果応報は嘘ではないのでした。輪廻転生も同様であり、この真実の情報が、この先の未来においてはどんどん、積み上がって多くの人々の人生に対する理解を助けるでしょう。みんなが同じ環境にいるのだと、理解が深まるでしょう。
悪魔達の生き方であった、麻薬に浸り、他者から不当に利益を奪って、自己の利益のみを追求するありかたは、もう続かないのでした。この世の現実の姿が、仏教やヒンズー教の概念に近い部分を私達はこれから知るでしょう。神を名乗る悪魔のヤハウエ神のサポートがなくなるので、貴方の悪事には因果応報で、善の側の神々が答えることになるのでした。今生で償わなければもちろん、どこまでも貴方を追いかけるよと、守護霊達にたしなめられるでしょう。
悪魔達は魂には性別がないのに、魂(心に言い換えている)にも性別があることにして、LGBTなどの問題を意図的に引き起こして、古き良き人倫の価値観を否定して、モラルを悪魔達に都合の良いようにいじり回しています。ここはウソバレで続かないでしょうから、魂には性別がないことを多くの人が理解するでしょう。
何度も女性に生まれてから、久しぶりに男に生まれると、やっぱり女性の方が生き易いとなるのでした。男を学びに来ながら失敗する姿です。ここでもジェド柱にその性別の目的を諭されるように変われるのでした。
あと、仏教にも問題はあるでしょうから、私達はこれからそれを学ぶ事になるでしょう。一例ですが、「悟りを開くことで、輪廻転生から解脱することができます。」というのは本当なのかと考えています。因果応報の輪がなくなるなら、誰の魂にも必要とされないので、ここに来る必要などないでしょう。人生が一切皆苦ならそうなるのですが、この世にはこの世の生きる喜びがあるし、あの世の作り上げた箱庭として、時々遊びに来るのも悪くないでしょう。この意味で「悟りを開く」とは、その本質とは何だろうと考えているのでした。
私達は新しい環境に対応して、その生き方を改めて学ぶのでした。悪魔達はどんどん消えて行くので、普通の人にとってはより生きやすい世界に変わるでしょう。変化を恐れる必要はないのであり、社会の一員として助け合って新しい環境に対応しましょう。
稲生雅之
イオン・アルゲイン