この記事に続きを書く予定はなかったのですが、気になるニュースを目にしたので続きを書くことにしました。寿命と死についての今後の変化です。いまはラジオ作りを進めるべき所ですが、以下の確認まで取れるので優先処理です。続きにニュース記事の紹介です。
台風18号から
船橋事務所
929350110 9月29日死の記事 37198、372、法令、天命、命令、切る、定める、制定する、引き出す、得る、断片、つなぐ、布告、厳しい対策、x100-2、-2だけれども一応五桁の強調
29350110 29日死の記事 2695247、2695、シャープ、鈍い、騒々しい、香りの良い、x10+2、+2だけれども一応五桁の強調
じつは「老衰死」は悲惨…医師たちが「死ぬなら、がん」と口を揃えて言う「意外なワケ」
久坂部 羊医師・作家
人気の死因、一位はがん
死ぬのは仕方ないとして、ではどんな死に方がいいのか。
富士氏のように知らないうちに死ぬのがベストかもしれませんが、自殺以外に自分の死に方はなかなか選べません。
以前、いくつかの週刊誌が、ブームのように死に方の人気ランキングを載せたことがありました。答えを求められたのは、いずれも死のプロとも言うべき医者です。回答は、どのランキングでも一位はがん。なぜ、と思う人も多いかもしれませんが、これは消去法による選択のようでした。
一般に、望ましい死に方としてイメージされるものにポックリ死があります。
長い闘病期間を経ずに、あっという間に死ねば、死の苦しみも少ないと思えるからでしょう。
具体的にポックリ死の可能性があるのは、心筋塞か脳塞、あるいはクモ膜下出血などです。いずれも発作が起きたあとすぐ死ぬと思われているかもしれませんが、実際は発作と同時に意識を失うわけではありません。心筋塞なら胸、脳塞やクモ膜下出血なら頭に、激しい痛みを感じます。命を落とすくらいの痛みですから、激烈なと言ってもいいでしょう(クモ膜下出血では、金属バットで思い切り頭を殴られたような痛みとも言われます)。
その痛みを感じながら、これでもう死ぬのかとリアルに意識しなければならないのです。それがどれくらい続くかは人によりますが、取り返しのつかない思いに背筋を凍らせ、深い悔い、気がかり、恐怖と悲しみが一気に湧き上がり、それでもどうにもできず、死神の手に拉致されるままになるのが、ポックリ死です。
当然、ゆっくりと人生を振り返る余裕はなく、覚悟を決める間もなく、狼狽しつつ亡くなるのです。
さらに、ポックリ死は突然の死ですから、死後の準備ができていません。恥ずかしいことや、隠しておきたいこともそのまま、しておかなければならないこともできず、愛人からの手紙やSNSのやり取り、アダルトサイトの閲覧履歴など、死後に家族に見られたくないものも残したままです。
もう一つ、望ましい死に方として思い浮かぶのは、老衰死でしょう。十分に長生きをして、最後は眠るように亡くなる。なんとなく安らかなイメージがあるのでしょう。しかし、実際の老衰死はそんなに生やさしいものではありません。
私は在宅医療で、老衰のため息を引き取った患者さんを何人も看取りましたが、老衰死は死ぬまでがたいへんなのです。それまで元気でいて急に衰えるわけではなく、死のかなり前から全身が衰え、不如意と不自由と惨めさに、長い間、耐えたあとでようやく楽になれるのです。
視力も聴力も衰えますから、見たり聴いたりの楽しみはなく、味覚も落ちますから美味しいものを食べてもわからず、それどころか食べたら誤嚥して激しくむせ、そのたびに誤嚥性肺炎の危険にさらされ、腰、膝、肘とあらゆる関節痛に耐え、寝たきりになって、下の世話はもちろん、清拭や陰部洗浄、口腔ケアなどを受け、心不全と筋力低下で身体は動かせず、呼吸も苦しく、言葉を発するのも無理というような状況にならないと、死ねないのが老衰死です。
メディアではこういうイヤな事実はめったに伝えません。もちろん、みんながみんなそうなるわけではなく、なかには安らかに息を引き取る人もいるでしょう。しかし、その理想的な状況だけをイメージしていると、心の準備ができず、実際の老衰がこんなに苦しいとはと、余計な嘆きに苛まれる危険性は大です。
がんで死ぬことの効用
そこへ行くと、がんは治療さえしなければ、ある程度の死期がわかるので、それに向けて準備ができます。もう一度行きたいところ、会いたい人、食べたいもの、見たいもの、聴きたいもの、したいことを楽しみ、世話になった人に礼を言い、迷惑をかけた人に謝り(死が前提なのだからたいていのことは許してもらえるでしょう)、ケンカ別れした友とも仲直りする余裕があります。
己の来し方を振り返り、いろいろなことを思い出して、自己肯定したり、苦笑いしたり、感謝したり、自分をほめたりして、人生を慈しむ時間的な余裕もあります。あとは死ぬだけなのですから、何の努力も我慢も必要なく、自由気ままにすごせます。
その上、超高齢の不如意、不自由、情けなさに直面する危険も確実に避けられます。こんな安心なことはありません。
以上のことを知る医者たちが、「死ぬならがん」と言うのは当然と言えるでしょう。先にも書いた通り、私の父ががんの宣告を受けて、ぱっと表情を輝かせたのもご理解いただけると思います。
がんで死ぬときに大事なことは、無理に治ろうとしないことです。かつては、がんは治るか死ぬかのいずれかでしたが、今は、治らないけれど死なないという状態が作られています。いわゆる「がんとの共存」です。
がんを根絶しようと思うと、過度な治療を受けて副作用で苦しんだり、場合によっては逆に命を縮めてしまったりします。過激な治療ではなく、ほどほどの治療でようすを見て、治療の効果より副作用のほうが大きくなったら、潔く治療をやめる。これががん治療の要諦です。
治療をやめたら死ぬじゃないかと思うかもしれませんが、治療を続けても、さらにはがんを根絶しても、人は死にます。死にたくないと思うのではなく、上手に死ぬというふうに発想を変えれば、治療の中止も大いに好ましい選択であることがわかるでしょう。
それをいつまでも治療に執着していると、せっかくの残された時間を、つらい副作用で無駄にする危険性が高いです。
外科医としてがんの患者さんの治療をしていたとき、副作用の危険や患者さんの苦しみようを考えると、治療を中止したほうが患者さんのためになるのにと思いながら、受け入れてもらえず、最後の最後になって、こんなことなら治療をしなければよかったという嘆きを何度も聞きました。
長生きにはよい面もありますが、過度な長生きは決して好ましいものではありません。その事実をしっかりと頭に入れていれば、がんを放置して、人生の残り時間を自分なりに充実させる選択肢も、あながち悪いものではないとわかるでしょう。
しかし、メディアはがんで死ぬことのメリットなど一行たりとも伝えません。がんは人類の敵、がんの患者さんは全員、治りたいと思っていると決めつけています。今、がんを患っている人に、「がんで死ぬことにもいい面がありますよ」などと言うのは残酷なことでしょう。ですが、まだがんになっていない人に、がんのメリットをあらかじめ伝えておくことは、心の準備として有意義だと私は思います。
さらに続きとなる<「上手に楽に老いている人」と「下手に苦しく老いている人」の意外な違い>では、症状が軽いのに「老いの症状に苦しみ続ける」人と、症状が重いのに「気楽に幸せに生きられる人」の実例を紹介しています。
本記事の抜粋元である『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)では、人が死ぬときに起こることや、「死の恐怖」をどうすれば乗り越えられるかといった内容をさらに詳しく解説しています。ぜひ、お手に取ってみてください。
紹介ここまで
この記事では寿命が20年くらい延びる話を書いています。自分自身が自分の足でどこにでも歩いて行けて、頭もぼけないを120才まで維持するという目標を公開するほどです。繰り返しになりますが、以下でそれが可能なはずです。
(1)がんや糖尿病を防ぐ脂肪を燃焼するメニュー
(糖質に依存していない過去と近未来の食材の変化への対応)
糖質をどこまで減らせば良いのかはまだ未解明です。人間の体としては糖質を意識して取り込む必要がないですが、どこまで増やしても大丈夫かは難しいのでした。肥満体にならなければ良くて、腸管免疫が維持出来ていれば、ベジタリアンも可能だと考えています。
白いご飯は餅米玄米への移行が重要でしょう。糖尿病が減るはずです。加えて渡辺氏のMEC食や江部氏の進める糖質制限レベルで十分に効果があって、医療費の国家負担を減らせるのでした。
(2)脳にアミロイドをためない脳血液関門を活性化するクラリネットの吹き口の振動
(先史文明では体を動かすことが普通だった)
これは習慣化して欲しい脳の臓器としての健康を維持するための健康法です。脳のパフォーマンス維持にも大きく役立つでしょう。肉体だけでなく、脳の健康にも意識を向けましょう。楽器として演奏も出来ますので、実演を準備します。ここでは毎日20分以上ですが、1日10分で十分に効果が出るでしょう。継続こそ脳の健康への力です。
(3)体全体の筋肉量の維持
(先史文明では体を動かすことが普通だった)
人間の体は動かすことを止めると、筋肉量が維持出来ないようです。筋肉は肉体の維持、血流の維持のためにも重要であり、毎日運動して欲しいほどです。30分でも良いので歩きましょう。正直に書いて、体重と筋力を維持する筋トレバンザイです。300円の腹筋ローラー君ありがとうです。筋肉量の維持は健康状態に直結しています。先史文明時代は動力が無いので人間の力で多くを支えた結果、その分肉体の筋力が維持されて健康長寿だったのでした。この差が大きいからこその、筋トレバンザイです。
(4)人間としての十分な腸管免疫と腸管造血を保つために発酵食品を積極的に取る
(昔は発酵食品が積極的に取り入れられており、便利さよりも手間をかけて健康を維持してきた)
40度と60度に対応した調理器具を買うと、手軽になれ寿司が楽しめて、酢じめとは異なる美味しさを楽しめます。健康にも菌類と酵素類の取り込みで非常に良いのですが、美味しい物が食べたい(食通の)方には、煎り酒と合わせる事で、新しい食の世界までを見せてくれるでしょう。なれ寿司だけでなく、発酵食品を積極的に取り入れることが健康と免疫のために重要です。
(5)ホメオパシーのレメディーを作用機序を理解して使い、薬の余剰な化学物質汚染を減らす。魂の科学も進める。
(ホメオパシーの概念は紀元前のヒポクラテスまで遡るので、さらに古い先史文明由来を期待出来る)
ここは科学者の皆さん頑張りましょうの世界です。レメディだけでなくこの治療法が活かせていれば、新型コロナウイルスの死者を1/10に出来たかと思うと、医学の世界にある嘘を排除することの重要さが、痛いほどに分かるのでした。
今後の自分の体験で、必要な対処が生まれてくるならそれを追加します。医学の知識を動員するので、この後説明するアボリジニの人々と変わらない寿命を達成したいのでした。
ホメオパシーのレメディは今度の医療制度改革で実現出来るでしょう。残りは自分でそれを実践するかどうかです。特に(4)の発酵食品については、コンビニの防腐剤弁当を止めることが必須ですが、なれ寿司、なれリゾットを食べ続けると、乳酸菌と麹菌が小腸に定着して消化を助けるのみならず、存在が優勢な善玉菌として人間の免疫までを守るのでした。
ここから大きな変化が産み出せるのであり、人工受精児の数を減らせるだけでなく、花粉症を始めとしたアレルギー疾患も減らせるでしょう。加えてガンのタネになるC14で遺伝子損傷した細胞を、どんどん免疫細胞が処理してくれるのでした。ガンになりにくくなるのでした。
ガンにならないで生きられるとして、続きが頭のぼけを止める、(2)脳にアミロイドをためない脳血液関門を活性化するクラリネットの吹き口の振動、の習慣化です。ここではもう5年目に入るくらいでしょう。脳の働きに問題はありませんし、これだけ仕事が出来るのも、脳が活性化されているからでしょう。
肉体の衰えは、(3)体全体の筋肉量の維持で防ぐことが必須です。脳にアミロイドが溜まると体を動かす神経がどんどん衰えると言えるので、脳側の対処も必須です。ただこれだけでは不十分であり、運動をして筋肉量を維持する必要があるのでした。先史文明時代は電力などないので、人力こそが重要であり、この必要性で肉体が維持されていたはずなのでした。
こういった条件が揃う時に、どんな死に方が出来るでしょうか。これを解説したいのです。まずは目標としているアボリジニの皆さんの姿の紹介です。以下の記事から必要部分を抜粋します。丁度1年前の記事であり、この記事に合わせて書かされていたのかと思う所です。
ジェド柱霊界ラジオの登場と近未来の大きな変化について1
http://www.biblecode.jp/News_View.php?@DB_ID@=2312
今から約20年くらい前に読んだ本があります。オーストラリアのネイティブであるアボリジニのことを書いた本で以下の題目です。
ミュータント・メッセージ MUTANT MESSAGE DOWN UNDER
マルロ・モーガン by Marlo Morgan
中略
この本は、wikiによれば「当初はノンフィクションとして刊行されたが、虚偽が明らかになり、フィクションとして再刊された。現在は小説としてあつかわれている。」とのことです。
これは、こちら的には悪魔くん達の頑張りであり、この世に残したくない情報だったのでしょう。こんなタイミングでこちらの目について、改めてメッセージを主張してくれた物であり、善の側の仕組んだ見事な未来の計画だと思います。
この内容が信じられなくて当然でしょうから、批判が渦巻いて良いのでした。これを利用した悪魔くん達には黄昏の時が来るので、これからこの本が見直されることを願っています。
中略
8、人間界から脱出する自然な手段は自分の自由意志と選択を働かせる事だと彼らは信じている。120才から130才になって永遠の世界に戻りたくなると、聖なる一体のみこころに叶うかどうかお伺いをたてた後で人生を終える祝いの会を開くという。
中略
そのあと旅立つ人は、砂の中に座して肉体のシステムを閉ざす。二分も経たずに彼らは去って行く。悲しみも葬式もない。
9、オーストラリア大陸を約3ヶ月かかって歩いて旅するのが彼らの日常です。約3000km歩ける状況で、120~130才なのでした。
10、彼らは病気や事故による死が自然だとは考えていない。何と言っても永遠なるものを殺すことは出来ないと、彼らは言う。
転載ここまで
これ以外の死の例については2つほど取り上げます。1つ目は人前で自分の死を予告して亡くなられたヨガの行者です。パラマハンサ・ヨガナンダさんの英語のWikiを翻訳した物の紹介です。
ヨガナンダは弟子たちに、自分がこの世を去る時が来たとほのめかし始めました。フィル・ゴールドバーグによると、ヨガナンダが夕食の直前にダヤ・マタに言った言葉、「数時間で私がこの世からいなくなることを、あなたは理解していますか?」
1952年3月7日、彼はロサンゼルスのビルトモアホテルで、訪問中の駐米インド大使ビナイ・ランジャン・センと彼の妻のための夕食会に出席しました。晩餐会の終わりに、ヨガナンダはインドとアメリカについて語り、世界平和と人類の進歩への貢献、そして将来の協力について語り、「効率的なアメリカ」と「精神的なインド」の最高の資質を組み合わせた「統一世界」への希望を表明した。宴会に出席していた彼の直弟子であり、SRFの最終的な責任者であるダヤ・マタによると、ヨガナンダはスピーチを終えるときに、彼の詩「わがインド」を朗読し、「ガンジス川、森、ヒマラヤの洞窟、そして人々が神を夢見る場所-私は神聖です。私の体がその芝生に触れたのです」ダヤ・マタは、「彼がこれらの言葉を発したとき、彼はクタスタの中心に目を上げ、彼の体は床に倒れた」と述べました。彼の葬儀は数百人が参列し、ロサンゼルスのワシントン山頂にあるSRF本部で執り行われた。
彼の死についてはさまざまな説明があります。医学的評決は「急性冠動脈閉塞症」、すなわち心臓発作であった。他の記述によると、自己実現の弟子たちは、彼らの教師がマハサマディ(ヨギの意識的な肉体からの脱出)に入ったと主張しています。
続きはこちらの記憶からなので、後から確認して不正確な部分を修正します。中村天風氏の関連本です。ヨーガに生きる: 中村天風とカリアッパ師の歩み (中村天風伝)おおいみつる著です。この本が手元にあるはずなのですが、どうやら同氏の戦場と瞑想に書いてあると勘違いしたらしくてこちらが残っているのでした。この本は天風先生が病気なるまでの本なので、参考にならなかったのでした。
カリアッパ師は、2回も修行で死んでいます。聖者になる最後の修行を2回も行っているので大聖者の領域なのでしょう。彼らは準備が出来たと悟るとその修行をするのでした。
まず息を詰めて仮死状態になります。心停止です。この状態で大きな岩に挟まれて隙間を粘土で埋めます。虫が入って肉体を損傷すると生き返れないので慎重にするそうです。
続きはこの岩を7日間も土葬するのです。7日後に掘り返して、岩を剥がし、皆で体温が上がるようにマッサージして、生き返るかどうかを修行するのでした。3人に一人亡くなるか、生き返るか忘れていますが、7日の仮死状態から生き返るのでした。
ヨガナンダさんの死因は「急性冠動脈閉塞症」とのことですが、息を詰めても医学的には死因を探すので、良く似た症状ではないかと思えるのでした。アボリジニ達は、肉体のシステムを閉ざす。二分も経たずに彼らは去って行く。とのことであり、これも息を詰めた場合に見えるのでした。
ヨガナンダさんの場合に言及すると、ヨガの人達の批判を受けるでしょうが、これからの未来において死という物をどの様に考えることになるか、私達自身が向き合う必要があるのでした。アボリジニ達のように、120才から130才になって永遠の世界に戻りたくなると、聖なる一体のみこころに叶うかどうかお伺いをたてる事が、ジェド柱霊界ラジオの前で神と話すと可能になるからです。ヨガナンダさんも同様だったはずなのでした。
これでOKが出るから同じ様に、人生を終える祝いの会を経て、あの世に帰ることが出来るのでした。息を詰めるだけです。私達に一般的な他の死と比較するなら、苦しみは一瞬でしょう。
ここで医師達の話に戻るのでした。日本だと体が上手く動かせなくなって10年もかかって苦しみながら死ぬのでした。体が上手く動かせない苦しみと、自分が誰だか分からなくなる苦しみです。これを避けたくて医師達ががんで死にたいとなるのでしょうが、これは健康長寿に反するのでした。
くどいですが、脳の健康は「クラリネットの吹き口の振動」で維持出来るはずです。健康的な食生活で肉体を維持出来るなら、血管関連の病気の脳溢血などは起こしにくいはずなのでした。
ガンになりにくいのは説明した通りであり、脂肪を燃焼する食生活で糖尿病他の病気にもなりにくいのでした。
これで120才くらいまで生きて、もう十分だと思えたら、神にお伺いを立ててあの世に帰ることが出来るのでしょう。ここではお前もっと仕事しろやが繰り返されるでしょうが、長寿の例を作ってやっと解放されるのかと思います。
ジェド柱霊界ラジオの完成は、この部分に変化をもたらしてくれるはずです。今は1台しかありませんが間違いなく低価格で世界に普及させられるでしょう。その続きでこんな使い方までを実現出来るのでした。
つくづくアボリジニ達は精神性において進んだ生活を享受していたのだと思えます。科学の進歩を失ってはいるのですが、精神性の修行には素晴らしい物があるのでしょう。輪廻転生の概念が一般化すると、この部分の意味が広く理解されるようになるかも知れません。
私達は人間として生きる尊厳を取り戻す時でもあるのでした。WHOの嘘で出来た医学で、病気にされて苦しんで死ぬのは、もう止められるのです。健康長寿はその人が望めば達成出来る物になり、死の時期さえもある程度でしょうが調整出来て、神にお伺いを立てて、自分の意志で死を選べるのでした。
神様の許可が必要な理由は簡単で、いわゆるカルマから逃げる行動は良くないと諭されるのでした。次の転生に対するペナルティーになるので、これを避けるためと言えるのでした。今の世界の自殺は大半の場合ペナルティーを呼び寄せるのですが、やるべきことが出来ていれば神様も許可を下さるのでしょう。その結果で楽に死ねるようになるのでした。非常に大きな変化になると思いますし、これが一般化することで死に対する概念その物まで変化するでしょう。
アボリジニ達がどうやって、肉体のシステムを閉ざす、のか長いこと分からなかったのですが、今の医学の知識は単に息を詰めるだけだと答えが帰ってくるのでした。カリアッパ師の事例もあるのでこの可能性が非常に高いでしょう。1年前では書けない内容の記事ですが、今これを書けることを、ヨガナンダさんとカリアッパ師とアボリジニ達への感謝でこの記事の最後にしたいと思います。ありがとうございました。
稲生雅之
イオン・アルゲイン