なかなか思うように現在の情勢が伝えられないので、改めてお伝えしたいと思います。
今の日本と国際情勢は、第一次世界大戦前のサラエボ事件が起きる時点にとても似ているのです。一発の銃弾が世界大戦を起こしたと言われていますが、この大戦も当時の人々が冷静に対処していれば防ぐことに可能性のあった物なのです。各国の国民は今の私たちのように、直前まで戦争のリスクなど感じないままに大戦に参加させられたのでした。
当時の国際情勢はドイツとオーストリアに対抗するロシアとイギリス、フランスという構図でした。それぞれが勢力の均衡が達成されていると考える中で、自己の利益を求める行動を起こしても、各国は大きな戦争にはつながらないと判断していたのでした。
ドイツとオーストリアの膨張に対抗してバルカン半島では独立自立の機運が高まっており、紛争が起きている状況下にオーストリアの皇太子夫妻がセルビアを訪問し、サラエボでの暗殺事件に巻き込まれたのでした。
この訪問が必要であったのかは意見の分かれるところであり、リスクを冒して訪問したことは、このサラエボで事件を起こしてもらえばセルビアの制圧に口実を設けることが出来るという戦略的な物であったようです。後世の歴史家によって様々に語られることになっていますが、実際にこの結果を引き起こしたのでした。ある意味皇太子夫妻が犠牲になる可能性を知った上でオーストリアの皇帝はリスクを取ったのです。
これが事件の背景にあった利益を求める当時の政治の現実なのです。
オーストリアの皇太子夫妻は、サラエボ訪問中に爆弾テロにも遭っています。この時点で訪問を中止して帰国すれば事態は異なる展開を見せていた可能性もあるのですが、その後は偶然も重なり銃弾によって命を落とすことになっていったのでした。
事件後ドイツはオーストリアがセルビアに対して圧力をかけても戦争にならないと考えていました。ロシアとフランスは手を出せないと考えたのですが、ここにも情勢判断の間違いがあり、お互いの相反し干渉する利益が長い戦争を引き寄せたのでした。
各国の政策当局者は、この事態を避けることが出来なかったのです。戦争を避けると言うよりもそれぞれの利益を求めた結果が戦争につながったのです。
今の私たちとは価値観の異なる時代であり、大きな悲劇を起こした第一次大戦が終わっても、国際連盟という機能しない仕組みしか作り上げることが出来なかったのです。
実際に力ではなく言葉だけのきれい事による解決が議論されるだけで、全会一致などの現実的解決には程遠いことを机の上で議論していた時代です。それでも私たちの社会の発展の段階としては必要な事だったのでしょう。
この反省を経て国際連合という今の仕組みがあるのですが、冷戦構造を生み出しただけでなく、イラク戦争では国連の枠組みを超えた戦争が引き起こされており、現実には今の仕組みも限界に来ているのです。私たちはこれまでに大きく進歩してきていますが、まだ社会の中での集団のあり方としては発展段階にあるのです。
この事を意識した上で利益を求め今戦争が求められて、引き起こされようとしているのです。国連の枠組みを超えていても正義のための聖なる戦いであれば、イラク戦争のように戦えると考えているのです。
戦争は自分が得をすると考えて始められて、実際には損をする結果を呼び寄せることになるものです。相手の利害が絡む部分を読み間違うのが過去の歴史の記録です。
今戦争を求める人々はウクライナ情勢に関心を集める中で、アジアだけでなくイスラエルなど他の場所でも紛争を求めています。恐怖をあおるだけでなく、ある意味油断している所につけ込むのです。
このHPで何度も触れてきた4月の日本のテロですが、今までの情勢から考えるとかなり準備が進展しているようです。このリスクの高まりが九州の鳥インフルエンザウイルスを通じて自然界などからも警告されている事になるのです。
こちらがよく例に引く2011年の起きなかった211テロですが、この日は雪が降ったのでテロが起きなかったと思うくらい、準備は進んでいたと思っています。
今回の情勢ですが、沖縄の自然信仰家の比嘉さんは、22日に自然災害が起きる心配を伝えていました。この状況を詳しくは知らないのですが、オバマ大統領の訪日は23日からです。22日の自然災害という物はこの訪問を止める働きも当然あるでしょう。
現時点で22日の自然災害の可能性は低いと伝えられていますので、この仕組みは普通に見ればスタンバイ状態でしょう。これほどの危惧感を存在達は持っているのです。
4月の訪日時にオバマ大統領が暗殺テロに遭うと、命の有無やけがの状況にかかわらずここから犯人を捜し出しての戦争が引き起こされることになってゆきます。北朝鮮への介入と戦争が続いて起きてゆくことになるのでしょう。
その後は中国やロシアとも紛争の種を抱えていますので、国連を無視することが火に油を注ぐ結果になって行く事になりかねません。
戦争を求める人々は少数でありごく一部の勢力なのですが、権力や資本、マスコミへの強い影響力を持っています。資金を背景にいわゆる力で押してくる存在達です。
彼らが戦争を望むには人々を扇動する必要があるのであり、今この扇動に非常に都合の良い状況が生まれるタイミングなのです。日本とアメリカと周辺国の情勢が安倍首相などの政策と絡まって扇動しやすくなっているのです。
民主主義の進んだ今の時代にあって、一部の人々の卑怯な銃弾一発で世界の歴史が変えられてしまうのは情けなくそして悲しいことです。奇しくもちょうど100年前、あの時はサラエボで銃弾が飛ばなくても、その後の世界大戦は別の形で起きていたのではないかと思います。当時の人々の戦争を厭わない自己中心的利益感とユートピア的(きれい事的)価値観がこの様な戦争を引き込みやすかったのです。
今の私たちはどうなのでしょうか。100年の進歩は大きく戦争は既にどの国の国民にも望まれる物ではなくなっています。にもかかわらず一部の人々により、正義のための聖なる戦いという物が私たちを戦争に導く道具に使われてしまっています。これを止めるには何が必要なのでしょうか。私たちの社会が戦争を必要とするのではなく、国民の望まない戦争は未発達で野蛮な時代の遺物に出来る可能性が少しずつ見えてきているのです。
次の大戦で核が使われて放射能が広く拡散し自然の循環が破壊されるとなれば、誰もが恐れるでしょう。二度の大戦のように次の大戦が始まってから後悔しても遅いのです。これまでの戦争被害とは異なり、自然の循環が破壊されれば未来が失われかねないのです。
社会のリスクに対して今何が起きているかを知ること、テロを起こされないようにすること、そしてもしテロが起きてもこれに扇動されないことが私たちに求められています。
今の未発達な社会において平和に対する責任は、私たち国民にも大きくあるのです。一部の人々の暴走や扇動を許さず安心して暮らせる仕組みを作り上げる必要がありますが、この作業はまだこれから先の物になるでしょう。今は個人個人の未来を守るという自覚が必要であり、大切な時なのです。
稲生雅之